| 個人授業 第八章 |
| てっきり駅前の大きな本屋に行くのだとばかり思っていたら、先生は駅を通り過ぎて狭い路地へと入っていく。少し行くと薄汚い古書店の前で立ち止まった。 「ここだ」 そう言って先生は店の中へと入っていく。古い店はいろんな本が雑然と積まれていて、一種不思議な空間だった。 「先生、頼んでた本って古本なんスか?」 「ああ、もう絶版になった本でね、ずっと探して貰ってたんだがやっと見つかったって連絡があって」 そう言う先生は凄く幸せそうだ。ホントに本が好きなんだなぁと先生の後について狭い店の中を奥へと進むと、本の山の中に小さなカウンターがあって、その中に小さなおじいさんだかおばあさんだかが座っていた。 「こんばんは」 先生はうっすらと口元に笑みを浮かべてカウンターの中の人に話しかける。するとその人はかけていた小さな眼鏡の中の目を眇めるようにして先生を見てにっこりと笑った。 「やあ、ロイ。早速来たね」 その声を聞いても中の人がおじいさんなのかおばあさんなのか判らない。思わず先生の肩越しにジッとその人の顔を見つめれば、オレを見てニィと笑った。 「生徒さんかい?」 「こんばんは、マスタング先生の学校の生徒でハボックって言います」 そう言ってぺこりと頭を下げればその人は笑いながら頷く。 「きちんと挨拶が出来るね。挨拶の出来る子は好きだよ」 その人は立ち上がってオレに向かって手を差し出した。 「あたしはマオ。この古書店の店主だ」 立ち上がってもオレの半分くらいしか背のないその人は、間近で見てもやっぱり男か女か判らなかった。手を握り返すオレの顔をマオはじっと見つめてうんうんと頷く。それから手を離すと先生に言った。 「そこの扉を開けてすぐ右に置いてあるよ」 「ありがとう、マオ。代金はこの間きいたのでいいのかな」 先生はそう言いながら懐から財布を取り出す。なんの気なしに見ていたら先生はカウンターに分厚い紙幣の束を置いてマオに差し出した。 「えっ、ちょっとその本、いくらするんスかっ?」 「全集だからね、これでも安いと思うよ」 「でも、古本っスよね?」 「絶版の本だと言ったろう?全部揃って手に入るのが信じられないくらいなんだから」 目を丸くするオレに先生はなんでもないように言う。何冊ある全集か知らないけど、あの大金、しかもキャッシュでって凄くないか?マオは先生から受け取った金を素知らぬ顔で数えている。 「確かに。毎度あり、ロイ」 数え終わるとそう言ってカウンターの引き出しに金を放り込んだ。先生はそれを確認すると奥の扉の中に入っていく。 「えっ、ちょっとそれ、不用心じゃねぇのっ?」 そのあまりにぞんざいな扱いにオレが思わずそう言えば、マオはにんまりと笑った。 「この店に金を盗みに入るのは、余所の街から来たか、よほどの阿呆だけだね」 「それってこの店、古くてボロいように見えるけど、実は最新の防犯システムが設置されているってことっスか?」 オレがそう尋ねればマオはからからと笑う。 「正直なガキだねぇ。確かにこの店は古くてボロいけどね。でも、残念ながらそうじゃないよ」 「じゃあどういうことっスか?」 興味津々で聞いたオレにマオは指を振った。 「内緒さね」 「えーっ、なんで?すげぇ知りたいっ!」 「教えてやってもいいけど、そしたらアンタ、ここから帰れないよ」 ニィと笑って言うマオにオレは思わず押し黙る。その時、奥から先生の声が聞こえた。 「ハボック、悪いが手伝ってくれ」 「あ、はい!」 そう言われて漸くオレはこの店に来た目的を思い出す。さっきマオが示した扉の中に入ると先生が分厚い本の山を前に立っていた。 「…って、先生、もしかしてこれ全部?」 先生の前には厚さが5センチほどもある本が10冊ずつ紐で括られた山が3つほどある。オレの言葉に先生は首を傾げて言った。 「そうだが、無理かな、持って帰るの」 1冊だって結構重さがありそうなのにそれが10冊も束ねられた山が3つ。オレは先生を見ると言った。 「先生、山1こなら持てます?そうしたら残りはオレが持ちますから」 「ああ、1個くらいならなんとか」 先生はそう言うとよっこらせと中の一つを両手で持ち上げる。先生がヨタヨタと部屋を出て行くのを見届けて、オレは残った二つをそれぞれの手にぶら下げて部屋を出た。 「マオ、本当にありがとう。このお礼は必ずするから」 「礼なんていらないよ。これがあたしの仕事だからね。それよりまた何かあったら言っておきな。探しといてやるから」 そう言うマオに先生はにっこりと笑う。それじゃあ、また、と店を出ていく先生の後を追おうとして、オレはマオを見ると言った。 「ねぇ、マオ。さっきのは冗談でしょ?」 「さっきの?」 「教えて貰ったらここから帰れない、っていうの」 そう尋ねればマオは眼鏡の奥の目を細める。 「さあね。なんなら試してみるかい?」 そう言うマオに慌てて首を振って「さよなら」と言って店を飛び出すオレの背に、笑いながら「またおいで」と言うマオの声が聞こえた。 オレが外に出ると先生が店の前で待っていた。「平気か?」と聞いてくるのに頷くとオレと先生は並んで歩き出した。先生は少し歩いては下げている本を右に左にと持ち変える。持ち変えるたび、痛そうに手を振るのを見ていたオレは持っていた本を近くの営業を終えた店の前にそっと置くと言った。 「先生、ちょっと待って」 そう言えば先生が本を手に立ち止まる。オレは肩に背負っていたスポーツバッグの中から教科書を取り出すと、体操着を入れてある袋に一緒くたに放り込んでそれを先生に差し出した。 「悪いけど、先生これ持って」 「え?」 「んで、今持ってる本、こっちにちょうだい」 オレはそう言って先生の手から本の山を受け取ると紐を解いてバッグの中に詰め込む。入らない分は自分が持っていた本の上に積み重ねて縛りなおした。 「んじゃ、行きましょうか」 オレはスポーツバッグの持ち手の部分をそれぞれ腕に通すとリュックのように背中に背負い、縛りなおした本を両手に下げて言う。先生は目を丸くしてそれを見ていたが心配そうに言った。 「大丈夫なのか?ハボック。相当重いんじゃないか?」 「重いっスよ。でも、先生に持たせてるとなかなか家に着きそうにないから」 オレがそう言えば先生は顔を赤くする。オレはクスリと笑って先生に言った。 「いいから早く行きましょう」 「あ、ああ」 促すオレに先生は頷いて、オレ達はまた並んで歩きだす。先生が時折心配そうにオレを見上げるのがなんだかくすぐったくて、オレは先生をちらりと見ると言った。 「先生、もしオレが一緒に来なかったらどうするつもりだたんスか?とても一人じゃ持って帰れなかったでしょ?」 マオの店で配達までしてくれるとは思えない。そう思って尋ねれば先生はもごもごと答えた。 「ええと、3回くらい往復すれば何とかなるかな、と」 「3回?ホントに?」 「いや、5回くらいかな」 「そんな事してたら夜中になっちゃいますよ」 クスクスと笑って言えば先生は顔を赤くして押し黙る。そのまま暫くなにも言わずに歩いていけば先生が曲がり角で言った。 「こっちだ」 そう言う先生について行けばあたりはだんだんと閑静な住宅街になっていく。大きな邸宅ばかりが立ち並ぶこの辺りは結構裕福な人ばかりが住んでいるところじゃないかと思いながらもう二つばかり角を曲がると、先生は指さして言った。 「あそこだ」 先生が指さしたのはかなり大きな屋敷だった。学校の近くに部屋を借りてるっていうからてっきりアパートか何かだとばかり思っていたオレがびっくりして立ち止まっていると、先に行った先生がオレを呼ぶ。慌てて追いかければたどり着いた門を押し開いている先生の前を通って中へと入った。先生はオレが通ると門を閉め、ポケットから鍵を取り出して扉を開ける。ギィと開いた扉の中へ入ったオレはその立派な作りにきょろきょろと辺りを見回した。 「悪いがハボック、中まで運んで貰ってもいいかな」 「あ、はい」 先生の声にオレは慌てて答えると先生の後について家の奥へと入っていく。先生があけた扉の中に一歩踏み入れたオレは、ぎっしりと棚を埋め尽くした本の山に目を丸くした。 「そこの隅に置いておいてくれ」 「はい」 答えてオレは先生が言ったところに手にした本を置き、バッグの中から取り出した本をその横に積み重ねる。漸く本の重みから解放されてホッと息をつけば先生が言った。 「ありがとう、ハボック。本当に助かったよ」 にっこりと笑う先生にオレは肩を竦める。 「疲れただろう?お茶でも飲んでいかないか?」 先生がそう言った時、家の奥で電話が鳴った。 「ちょっとごめん」 先生はそう言って足早に奥の部屋へと入っていく。受話器を取ると話し出す先生をオレは部屋の入口から見ていた。 「ああ、なんだ、お前か、ヒューズ」 そう相手を呼んだ先生の顔が柔らかく微笑むのを見て、胸がズキンと痛くなる。 「先生、オレ、帰りますっ」 「えっ?おい、ハボック?!」 なんだかその場にいたくなくて、オレはそう大声で言うと呼び止める先生の声を無視して家を飛び出していった。 |
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