個人授業  第七章


 少しして気持ちが落ち着くとオレは家に帰った。冷静になって考えればあの時押し倒さなくてよかったと思う。オレは自分の部屋に入ると鞄を放り投げてベッドにドサリと横になる。頭の下に手を組んで天井を見上げれば、真っ赤になって耳を押さえる先生の姿が浮かんだ。
「先生、耳弱いんだ」
 思いがけず判った事実にオレはホウとため息をつく。それからギュッと目を閉じた。
「先生、すげぇ好き…」
 いっそ家庭教師にでもなってくれないだろうか。そうすればオレだけの先生になるのに。
 そんなことを考えながらオレは寝返りを打って小さく体を丸めた。

「うーす」
「おはよー」
 教室に入ればあちこちからかかる声に答えてオレは席に座る。結局あの日以来、先生に手伝いを頼まれることもなくオレは用もないのに図書室でたむろする日々を送っていた。いつも通り面白味のない授業を聞きながら窓の外を眺める。何か変わったことがあるとしたら、ブレダに勉強を教えて貰うようになって、ほんの少し成績が上がったことくらいだ。どうせならマスタング先生に個人授業して貰って成績が上がったんならよかったのに、とブレダが聞いたら殴られそうなことをつらつらと考えているうち、漸く放課後になった。
「あーあ、つまんねぇ…」
 図書室の机に突っ伏してあからさまなため息をつくオレにヘスティングが笑う。そう言えばこの人も年中図書室にいるなぁと思ってオレはヘスティングに尋ねた。
「委員長って毎日図書室に来ないといけないんスか?」
「そう言う訳じゃないけどな」
「でも、毎日来てるっスよね」
「そういうお前もな」
 そう言われてオレは思わず押し黙る。そんなオレを見てヘスティングはクスクスと笑った。ちょうどその時、マスタング先生がひょっこり顔を出す。先生の黒い瞳がオレをみつけるとにっこりと細められた。
「ここにいたのか、ハボック」
「先生」
 授業以外で先生の顔を見るのは久しぶりだ。自分でも答える声が弾んでいるのが判るほど嬉しかった。
「明日時間があればこの間の本の整理を手伝って欲しいんだが」
「時間なら山ほどありますっ!手伝わせてくださいっ!」
 オレの勢いに先生は一瞬目を丸くして押し黙ったがくすりと笑って言う。
「じゃあよろしく頼むよ」
「はいっ」
 先生はオレの返事に頷くと行ってしまった。ドキドキと胸を弾ませて椅子に座り直すオレにヘスティングが笑みを深める。ヘスティングは机に肘を突いてオレを見つめながら言った。
「ホント、お前判りやすいよな」
「え?」
「いや、こっちの話」
 そう言うヘスティングにオレは首を傾げつつ立ち上がる。
「んじゃ、オレ、今日はもう帰ります」
「ああ、またな」
 手を振るヘスティングに軽く頭を下げてオレは図書室を後にした。明日は先生の手伝いをするんだと思うと自然と口元が緩んでしまう。オレはうきうきとした足取りで学校を出ると家に帰った。

「遅くなりましたっ!」
 オレはそう叫びながら図書室の扉を勢いよくあける。するとヘスティングが思い切り顔を顰めて立てた指を唇に当てた。
「ハボック、図書室だぞ」
「あっ、そうか」
 ペロリと舌を出すオレにヘスティングは苦笑する。奥の小部屋を指さすと言った。
「マスタング先生なら奥にいるよ」
「ありがとうございます!」
 教えてくれたヘスティングに礼を言ってオレは小部屋へと入る。そうすれば先生はこの間と同じ場所で本の整理をしていた。
「遅くなりました、先生」
 そう言いながら近づけば先生は持っていた本から顔を上げる。仕分けた本がさして増えてないと言うことは、今回も整理するつもりで読んでいる時間の方が長いと言うことなんだろう。
「ああいや、私も今来たところだから」
 先生は名残惜しそうに本から目を引き剥がして答える。オレは一応仕分けが済んでいるらしい山を叩くと言った。
「これは済んでる分スか?並べるのはそこ?」
 そう言いながら棚を指させば先生が頷く。
「ああ、そこに頼むよ」
「はい」
 オレは答えて本を取り上げると本棚の一番上の棚に本を並べていく。ヒョイヒョイと次から次へと並べるオレを眺めて先生が言った。
「背が高いというのはいいもんだな。色々便利だろう?」
「まあ便利っちゃ便利っスけど、不便な事もありますよ」
 頭ぶつけたりするし、とオレが答えれば先生が笑う。その笑顔にドキドキしながらオレは言った。
「先生、早く仕分けてくれないと、オレのやることがなくなっちまいますよ」
「おっと、そうだったな」
 先生はオレの言葉に慌てて本の山を崩しにかかる。手早く片づけていく様子にオレは目を丸くして言った。
「なんだ、先生。片づけるの早いじゃん」
「はあ?なにが言いたいんだ」
 眉を顰めてオレを見る先生に言う。
「だってこの間の見てたらすっごい時間かかりそうだったから」
「私だってやるときはやるんだ」
 先生は顎を突き出してフフンと笑った。なんかこう言うとこ子供っぽいよなぁって思いながら先生を見ていたら黒い瞳が不服そうにオレを見る。
「お前、私をバカにしてるだろう」
「そんなことないっスよ」
「その笑い方がバカにしてる」
「先生、可愛いなぁって思っただけっス」
 オレがそう言えば先生は目をまん丸にした。次の瞬間ボンッと火がついたように真っ赤になった先生を見て、今度はオレの方が目を丸くする。マジマジと真っ赤になった顔を見つめれば先生は慌てて顔を背けた。
「大人をからかうんじゃないっ」
「からかってなんてないっス。思ったことを言っただけっスもん」
 そう言えば先生は目尻を染めた目でオレのことを盗み見る。そう言う顔ってそそるからやめてくれないかなぁって思いながら見ていると、先生はフイと目を逸らした。
「ほら、さっさとするぞ。今日はこの辺の整理を終わらせてしまうつもりなんだからな」
「先生がさっさとしないとって気がしますけど」
 そう言うと先生はオレを睨む。かわいくない、とかなんとかブツブツ言ってるから思わず吹き出したら脚を蹴飛ばされた。
「先生、やっぱ可愛い」
「やかましいっ」
 オレに背を向けた先生の耳が真っ赤になってるのが見えて、オレはなんだかとても幸せだった。

「遅くなってしまったな」
 一緒に学校を出ながら先生が言う。
「別に地元だから平気っス。家にも電話しといたし」
 オレがそう言えば先生は笑って言った。
「助かったよ、また手伝ってくれるともっと助かるんだが」
「いっスよ。オレ、図書委員だし」
 仕事の一つでしょ、と言えば何故だか傷ついたような顔をした先生に何か言おうとする前に先生が目を背けてしまったので、オレはなにも言うことが出来なかった。暫く無言のまま歩いていたが曲がり角に差し掛かった時先生が立ち止まる。オレを降り仰いで言った。
「お前の家はこっちだろう?私は寄るところがあるから」
「寄るところ?まっすぐ帰らないんスか?」
 もしかしてデート?とそんな考えが頭に浮かんで苦しくなる。先生はポケットから取り出した銀時計を見ながら言った。
「もう閉まってしまったかもしれないが、頼んだ本が来てる筈なんだ。とって帰ろうと思ってね」
「先生、家に帰ってからも本読むんスか?」
 学校でも暇さえあれば、いや暇がなくても本を開いている姿をよく目にする。オレがそう言えば先生は不思議そうに首を傾げた。
「おかしいか?」
「いや、先生、本好きっスね」
「本はいいぞ、世界が広がる」
 先生はそう言うと手を振って歩きだす。オレは少し考えると先生を追いかけて言った。
「先生、オレも行きます」
「ハボック?」
「荷物持ち。どうせ山ほど買ったんでしょ?」
 オレがそう言えば先生は考えるように手を口元に当てる。
「そうだな、それじゃあ手伝ってくれるか?」
「はいっ」
 オレは元気よく頷くと先生について歩きだした。


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