個人授業  第六章


 先生は小部屋に入っていくとこの間とは違う一角へと歩いていく。そこにはさらにたくさんの本の山が床から盛り上がっていた。
「私が系統立てていくからお前はそれを順番に本棚に入れていってくれるか?」
 先生はそう言うといくつも積み重なった本を崩しては引っ張りだし、引っ張りだした本でまた新たに山を作っていく。ある程度仕分けが済むまではやることのないオレは、傍に積んである本を開いて中を見たがまるでちんぷんかんぷんだった。
「先生、この本、この学校の本なんスか?」
 どう考えてもこの本は学生が普段の勉強に使うものとしては専門的過ぎる気がする。そう思って尋ねれば先生が答えた。
「ここには昔、科学分野を専門に学ぶ機関があったんだよ。だが金が足りなくて立ち行かなくなってね。その時集められた資料やら文献やらだけが残されたというわけだ」
 先生はそう言うと持っていた本をぱらぱらとめくる。
「私がこの学校に来たいと思ったのもこれがあると知ったからだ。ここの教師になれば読み放題だからね」
 そう言った先生の目が本の活字に吸い寄せられるようにのめり込んでいく。そのまま黙りこんで本を読み始めた先生をオレは暫く見つめていたが、眉を顰めて先生を呼んだ。
「先生」
 だが、先生はオレの声なんて聞こえない様子で本を読み続けている。オレは寄りかかっていた棚から背を離すと先生の耳元に唇を寄せた。
「マスタング先生…」
 低い声でそう囁けば先生がビクッと体を跳ね上げる。声をかけたオレの方がびっくりするぐらい飛び上がったかと思うと、耳を押さえた先生が真っ赤な顔で振り向いた。
「なっ、なっ」
「…どうしたんスか、先生」
 ちょっとした悪戯だったのにその過剰なまでの反応にオレが目を丸くして聞けば、綺麗な黒い瞳をまん丸に見開いていた先生がガックリと肩を落とした。
「そんなところで声をかけるなっ」
 ぞわぞわする、と耳をガシガシと擦る先生を見ていたオレはつい笑ってしまう。そんなオレをまだ紅い顔で睨んでくる先生にオレは言った。
「なに、先生ってもしかして耳弱いの?」
 そう尋ねれば先生は唇を尖らせる。
「ふつうそんなところで声を出されたら誰だって飛び上がるだろうっ」
「そっかなぁ、先生だけじゃないんスか?」
 納得しかねてオレがそう言えば先生はムッとした顔をして本を脇に置いた。
「そうまで言うなら試してみるかっ?」
「へ?試す?」
 先生の言ってることがよく判らなくて尋ねれば先生がニヤリと笑う。いったい何なんだと思ったら先生が不意に近づいてきてオレの耳元に唇を寄せた。
「ハボック…」
 先生が低い声でオレの名を呼ぶ。耳の中に直接吹き込まれる甘い声にオレが硬直していると先生はオレから離れて偉そうに笑った。
「どうだ、ぞわぞわするだろう?」
 固まったままのオレに先生は言ったが、いつまでたっても何も言わないオレを心配そうに見つめる。何か言わないと拙いのは判ってたけど正直オレはそれどころじゃなかった。
(ぞわぞわじゃねぇっ!下半身にキタッ!!)
 あんな風に囁くなんて反則だ。不思議そうに見つめるその表情がまたやけに可愛くて、ゴクリと唾を飲み込めばその分よけいにアッチに溜まる気がする。
「おい、大丈夫か?」
 そんなオレの気も知らずに先生は手を伸ばしてオレの腕を掴んだ。心配そうに見上げてくる黒い瞳にオレの心臓がやかましいほど鳴り響く。なんかもう、このまま押し倒したって、全部先生のせいなんだから構わないんじゃねぇの?って思った時。
「マスタング先生、職員室に電話入ってるって」
 ヘスティングの声がしてオレは飛び上がるようにして先生から身を離した。
「ああ、ありがとう」
 先生は訝しげにそんなオレを見たが、オレから手を離すと本棚の間をすり抜けて外へ出ていく。その背が見えなくなるとオレは体の力が抜けて、目を閉じると本棚に寄りかかった。まだドキドキと鳴っている心臓に大きく息を吐いた時、近くに人の気配を感じて目を開ければすぐ近くにヘスティングの顔があった。
「あ…なに?」
 先生はもう行っちゃったのにオレにも何か用事だろうかとそう尋ねればヘスティングがオレの顎をクィと持ち上げる。そうされればヘスティングの方がオレより少しだけ背が高いのが判った。
「お前、顔真っ赤だぞ」
「そ、そう?」
 そりゃだって、まだ心臓バクバク言ってるもん。顔色だってそう簡単には戻んないだろう。オレが「はあ」とため息をつくとヘスティングが言った。
「どっか具合でも悪いのか?」
「あ、ううん。そうじゃないっス。ここ狭いから暑いのかも」
 よっぽど紅い顔をしてるのかそう聞いてくるヘスティングにオレは答える。いい加減この手、離してくれないかなと思ったオレがヘスティングから離れようとすれば、逆に顎を掴む手に力が入ってオレは目を見開いた。
「委員長?」
 じっと覗き込んでくる瞳を見返してオレはヘスティングを呼ぶ。
「お前さぁ、今ここでーー」
 訳が判らず上級生の顔をオレは見返した。正直ヘスティングが何を考えてるのかなんてどうでもいい。それよりさっきの事を思い出せばぼーっとかすむ頭でぼんやりと見返したオレにヘスティングが何か言おうとした時。
「ハボック」
 先生の声がして足音とともにマスタング先生が棚の陰から顔を出した。
「…どうかしたのか、お前ら」
 棚に押しつけられるようにして立っているオレと極間近からオレの顔を覗き込んでいるヘスティングを見て、先生が眉を顰める。
「別にどうもしません」
 ヘスティングはそう言うとオレから手を離した。先生はそんなへスティングに何か言いたそうな顔をしたが、オレを見て言う。
「悪いが急用が出来てね。また今度整理を手伝ってくれるか?」
「あ、そうなんスか?判りました」
「勝手を言って悪いな」
 先生はそう言うとすまなそうに笑って部屋を出ていく。それを追うようにして部屋を出たオレは一緒に出てくるとばかり思ったヘスティングが出てこない事に首を傾げた。
「どうかしたか?」
 そう尋ねる先生にオレは慌てて首を振る。先生の手伝いをしないならやることもないので、オレはカウンターの後ろに置いておいた鞄を取り上げると、貸出の手続きをしている当番に手を振って図書室を出た。そのままドスドスと職員室の前まで先生と歩き、そこで先生と別れると歩くオレのスピードはどんどんと早くなって、しまいには廊下をもの凄い勢いで駆けていた。
「ハボック!廊下を駆けるな!!」
 誰か先生が怒鳴る声が聞こえたけど、今度は何も答えずに廊下を走り抜ける。昇降口まで来るとそのまま外に飛び出した。そのままの勢いで道を駆けていたオレはだんだんとスピードを落としやがて立ち止まる。じっと足下を見つめていたが唐突に顔を上げると再び走り出した。必死に走って自宅の前を走り抜けると、ガキの頃から自分の家と同じくらいの時間を過ごした家の扉をドンドンと叩いた。
「ブーレーダーーッ!ブレダってばーーッッ!!いないのー?!」
 大声で怒鳴ればバタバタと家の中で走る気配がしてバンッと勢いよく扉が開く。
「バカか、おまえは!そんなすぐに出てこれるわけないだろっ!!」
「ブレダーッ、聞いてっ、もうオレどうしようっ!!」
 ブレダが言ってることには答えず、その太めの体にギュッと抱きつけばブレダがゲーッと喚いた。
「まったくお前はっ!!」
 ブレダは思い切り顔を顰めてそう言うとオレの体を引き剥がす。うんざりした体でブレダはオレを家の中に引き込むと乱暴に扉を閉めた。オレが付いてくるかも確かめずにブレダは2階へと上がっていく。オレはその幅広の背中を追いながら喚いた。
「なーっ、ブレダッ!オレ、先生のこと押し倒しそうになっちゃった!!」
「は?なんじゃそりゃ」
 部屋の扉を開けながらブレダは肩越しにオレを見る。部屋に入るブレダに続いて中に入るとオレは鞄を放り出してベッドに腰掛けたブレダの足元に座り込んだ。
「だって、先生がオレの耳元で囁くんだぜッ、もう押し倒してくれっていってるようなもんじゃんッ!」
 支離滅裂なオレの説明を根気よく聞いていたブレダは肩を竦めると言った。
「なんにせよ押し倒さなくてよかったな」
「なんで?チャンスだったのに」
「チャンスって、お前、学校の図書室でなにするつもりだよ」
 ブレダは呆れたため息をつく。
「あのさ、お前本気で先生の事好きなの?」
「当たり前じゃん」
「だったら真面目にやれ。勢いに流されんじゃねぇよ」
 そんな事を言い出すブレダをオレは目を丸くして見つめた。
「逆の立場だったらどうよ。お前、いきなり押し倒してきた相手をこの先どうこうって思うか?思わねぇだろ?しかも相手は学校の教師でお前は17のガキで。本気で好きで真面目に取り合って欲しいならお前もちゃんと真面目に向き合え」
 ブレダはそう言うとニッと笑ってオレの髪をクシャクシャと掻き混ぜる。
「焦んな。先生と話す機会も増えたんだろ?じっくり頑張れ」
「……うん、ありがと、ブレダ」
 本当にこんな時、ブレダってオレと同い年なのかって思う。年ごまかしてんじゃねぇの?
 オレはコテンとべっどに頭を載せるとそっと目を閉じた。


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