個人授業  第五章


 委員会は先月の図書室の利用状況と、今学期中にやらなきゃいけない本の修復や整理なんかの話し合いだけで、30分もあれば終わってしまった。オレの当番は週に一日、放課後だけ。なんだ、それっぽっち?とオレは拍子抜けしてしまう。もっとたくさんあればいいのに、そうしたら先生と一緒の時間が増えるって思ったけど先生も当番の間中いる訳じゃないらしいから、ま、いいかって思った。
 今日の当番のヘスティングに貸し出しカウンターを任せて他の委員たちは帰っていく。先生もこれで帰るなら一緒に帰れる、って思ったオレの期待に反して、先生は図書室の奥の小部屋に入って行ってしまった。
「あの小部屋、なんスか?」
 図書室の奥に部屋があるのは知ってたけど、普段縁のないところだから何が置いてあるのかなんて知らない。カウンターに座るヘスティングにそう訪ねれば、委員長は読んでいた本を置いて答えた。
「修復しなきゃいけない本とか、あとはふつう学生が読まないような希少本が置いてあるんだよ。ほら、うちの学校って一応歴史のある学校じゃん。結構古くて価値のある本があるらしいぜ」
 俺たちには関係ないけどな、と言うヘスティングに礼を言ってオレはその小部屋に入る。棚が立ち並んだ狭い部屋を見回せば先生の黒い頭が見えて、オレはそっちに歩いていった。
「先生、何してるんスか?」
 オレがそう声をかければ先生が驚いたように振り向く。声をかけたのがオレだと判るとにっこりと笑った。
「ああ、昔の文献をちょっとね」
 そう答えた先生は、ひょいひょいと積んである本の間を無造作に歩いてくるオレを見て眉をひそめる。
「おい、蹴飛ばさないようにしてくれよ。貴重な本もあるんだから」
「貴重な本を足下に積んでるんスか?それって変じゃないの?」
 まるでオレがいかにも蹴飛ばしそうだと言う先生にそう返せば、痛いところを突かれたのか先生がムゥと唇を突きだして押し黙る。その顔がなんだか子供みたいでくすりと笑えば先生の眉間の皺が益々深くなった。
「仕方ないだろう、片付ける暇がないんだから」
 読むのに忙しくて片付けるまで手が回らないと言う先生の傍まで来ると、オレは足下に積んであるうちの一冊を取り上げてそれをパラパラとめくりながら言う。
「読んだんならその都度しまえば少しずつでも片づくんじゃねぇんスか?」
 使い終わったらしまえ、と言うのは普段オレが母親から口を酸っぱくして言われていることだ。それだけでも部屋の散らかり具合は違うと主張する母親の言葉通り、使ったものはしまう、を心がけているオレの部屋は同年代の連中の部屋の中では比較的片づいている方だった。
「まあ、それはそうなんだが…」
 先生はぼそぼそと言いながら手にした本を積みあがった本の一番上に置く。それを見ていたオレは先生に尋ねた。
「先生、それ、もう読み終わったヤツ?」
「ん?ああ、そうだが」
「言ってる傍から積まないで、本棚に戻したら?」
 オレがそう言えば先生がオレを睨む。何なんだと思った時、先生が言った。
「届かないんだ」
「え?」
 言った先生の視線が棚の上の方を見やり、オレは「ああ」と頷く。先生の手から本を取ると聞いた。
「どこっスか、先生?」
「一番上の緑の本の隣」
 オレは先生に言われたとおり持っていた本を一番上の棚の緑の背表紙の本の隣に立てる。
「ここでいいっスか?」
 念のため確認すれば頷く先生に、オレは本から手を離すと伸ばしていた手を下ろした。
「なんだかムカつくなぁ」
 オレより頭一つ低い先生はオレを見上げて言う。オレの襟首を掴むとグイと引き下ろして言った。
「お前、17だろう?何センチあるんだ?」
「最近計ってないっスけど、春に計ったときには180チョイありましたよ」
 ちなみにまだ絶賛発育中だ。春の時に比べたらずいぶんと伸びていることだろう。
「何を食ったらそんなにニョキニョキ伸びるんだ?」
 生意気な、と言いながら先生はオレの頭をかき混ぜる。生意気って言われたってこればかりはどうしようもない。
「先生だってそんなに小さかないじゃないっスか」
「お前が私より高いのが気に食わんのだ」
 何とも勝手な理由を言って先生はオレを離す。先生は肩を竦めると言った。
「まあいい。図書委員になったからにはこき使ってやる」
 ヘスティングが言ってたのはこれだったのか。まあ、先生の手伝いができるんならオレはなんだっていいけど。そう思っていたら先生がニヤリと笑って言った。
「そんなわけだから明日、早速手伝え」
「えっ?明日?」
「なんだ、何か用事があるのか?」
「や、別にないっスけど」
 オレがそう答えれば先生は「では決まりだ」と勝手に決めてしまう。
「それじゃあ私はやることがあるからな、また明日、ハボック」
「は、はいっ、さよなら、先生!」
 慌てて答えるオレに先生は笑うと手を振って出ていく。部屋の外で先生がヘスティングに後はよろしく、とかなんとか言っているのを遠くに聞きながらオレはドキドキと胸を弾ませていた。
「うわ、先生と一緒に本の整理だって」
 図書委員になってちょっとだけ先生の顔を見られる機会が増えたらいい、そんな下心がなかったと言ったら嘘になるけど。
「こんなラッキーでいいの?オレ!」
 夢じゃないかとギュッと抓った頬はもの凄く痛かった。

 その次の日はもっと時計の針が進むのが遅かった。いっそのこと放課後になるまで寝てようかと思ったけど、こういう時に限って眠くならない。オレはつまらない授業を聞くともなしに聞きながら放課後が来るのを待っていた。
 漸く授業の終わりを告げるベルが鳴り響いて、オレは締めのHRが終わるのを苛々としながら待つ。もう、尻が椅子から浮いているような状態で今か今かと待っていたオレは、担任が終わりを告げた途端、教室から飛び出していた。
「こら、ハボック!廊下を走るな!」
「すんませーんっ!」
 もの凄い勢いで廊下を駆けるオレにすれ違った教師が怒鳴る。それに口だけ謝っておいて、オレは一目散に図書館を目指した。ガラガラッと勢いよく扉を開ければ、丁度来たばかりだったらしいへスティングが驚いて顔を上げる。ハアハアと肩で息をするオレにヘスティングは笑って言った。
「マスタング先生ならまだだぜ」
「なんだ……って、なんで知ってるんスか?」
 オレがマスタング先生を探してるって何で判ったんだろう。そう思って尋ねればヘスティングが答える。
「昨日、帰り際に先生が言ってた」
「あ、そうなんだ」
 そう答えてからオレは、もしかしてヘスティングも手伝いを頼まれたのかと思い至って尋ねれば、委員長は首を振った。
「いんや、頼まれたのはお前だけ」
「じゃあ、委員長はなんでここに?今日は当番じゃねぇでしょ?」
 当番なんてめんどくさいもの、誰だって本当はやりたくない。それなのに当番でもない委員長がなんでいるんだろうって尋ねたけど、ヘスティングは肩を竦めただけで答えなかった。その時、今日の当番がやってきてオレとヘスティングに声をかける。だからそれ以上ヘスティングがここにいる理由を尋ねることができなかったが、先生が来ることばかり気になっていたオレは、そんな事などあっと言う間に忘れてしまった。気持ちを落ち着かせるためにカウンターを開ける手伝いをしていると扉が開いてマスタング先生が顔を出した。
「先生」
「ああ、もう来てたのか。悪かったな、待たせて」
「いえ、当番のやり方教わってたっスから」
 オレがそう言えば先生は頷いて奥の部屋へと入っていく。いそいそとその後について小部屋に入ろうとしたオレが視線を感じて振り向けばヘスティングがこっちを見ていた。「なに?」と目で聞いたけどヘスティングは何も言わずに目を逸らす。
(なんだろう?)
 不思議に思ったオレだったが、先生の呼ぶ声にヘスティングのことなどあっと言う間に意識の外へ追いやって、オレは先生の傍へと歩いていった。


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