| 個人授業 第二十一章 |
| ヘスティングの後を追うこともできず、呆然として突っ立っていたオレだったが、グイと腕を引っ張られて我に返る。オレの腕を引く手の主を見れば先生の黒い瞳が心配そうにオレを見つめていた。 「お前、今の呪文…ッ」 「呪文?あれ、呪文なんスか?」 食い入るようにオレを見つめて聞く先生にそう答えれば、強ばった先生の体から力が抜けるのが判る。先生がオレの胸ぐらをギュッと掴んで顔を埋めたので、オレは仰天して飛び上がった。 「よかった…ッ、もしあの呪文が効いてたら私は…」 呟くように言う先生の肩が震えているのに気づいてオレは目を見開く。オレは恐る恐る先生の肩に手を置いて顔を覗き込むようにして聞いた。 「あの呪文なんの呪文なんスか?」 そう尋ねれば先生の黒い瞳がオレを見つめる。ドキドキしながらも目を逸らさずに見つめ返せば先生が言った。 「お前、あの呪文を聞いたんだろう?その時どうだった?」 「どう、って…」 言われてその時どうだったかを思い出した途端、背筋を冷たい汗が流れる。何よりも大切な先生への想いを無理矢理に消し去られ別の何かに塗り替えられそうになった事への恐怖と、そうならなかった安堵にオレは思わず先生をギュッと抱き締めた。 「先生を好きだって気持ち、とられそうになった。でも先生の声が聞こえたから…っ」 そう囁いて抱き締める腕に力を込める。そうすれば先生が居心地悪そうにオレの名を呼んだ。 「ハボック、その…」 おずおずとしたその声にオレはハッとして先生を離す。きまり悪そうに目を逸らす先生にオレは慌てて言った。 「すっ、すんませんッッ!!こんな事言って、オレっ!つか、抱き締めたりして、気持ち悪いっスよねッ、ごめんなさいっ!!」 「…っ?違…っ、違う、ハボ───」 「助けてくれてありがとうございましたッ!」 オレは何か言い掛けた先生の言葉を遮って頭を下げる。「それじゃ」とそのまま駆け出したオレの耳に先生の声が聞こえた。 「馬鹿ハボっ!!人の話を最後まで聞けッ!!」 そう怒鳴る声にオレはビックリして足を止める。そっと振り向けば先生が目を吊り上げて睨んでいた。 「せ、先生…?」 よっぽど気持ち悪かったんだろうか、もっとちゃんと謝らないといけなかったのかもと思いながら先生を見つめていると、先生は「はああ」と深いため息をついてしゃがみ込んでしまう。気分でも悪くなったのかと駆け寄って先生の肩に手を掛けて聞いた。 「先生、気分悪いんスか?」 そんなに嫌だったのかと落ち込みながらも顔を覗き込む。そうすれば顔を上げた先生の黒い瞳に真正面から睨まれてオレは息を飲んだ。 「先生…」 怒りにきらきら光る先生の瞳はとても綺麗だ。たとえ嫌われていてもやっぱり好きだと思いながら見返すオレの頬を先生は両手で思い切り引っ張った。 「こ、の、馬鹿ハボーーーッッ」 「イデデデデデッッ!!」 細い指のどこにこんな力があるのだろう。思い切り引っ張られてジンジン痛む頬を両手で押さえて蹲るオレの耳に先生の声が聞こえた。 「勝手に一人で決めつけるなっ!好きな相手に抱き締められて気持ち悪いなんて思うわけないだろうっ!」 そんな事を言う先生をオレは両手で頬を押さえたまま見つめる。ええと、先生、今なんて言った? 「……お前、今私が言ったことが判ってるのか?」 「………や、全然」 だって、なんか聞きなれない言葉が入ってた。好きな相手って───誰? 先生はボーッとして見返すオレにため息をつく。オレの手の上から両手でオレの顔を包み込んで言った。 「この間だって言いたいことだけ言って私の返事も聞かずに帰ってしまうし」 この間ってあの時のこと? 「学校で話そうと思っても逃げてしまうし」 だって、まだ先生と話すのは辛かったから。 「今だってろくでもない事考えてる」 先生はそう言って包み込んだ手でオレの顔を引き寄せる。間近からオレの目を覗き込んで言った。 「お前が好きだ、ハボック」 …………今、なんて言った? 「ずっと前から好きだったんだ」 好き?………好きって、言ったの?好き、…って。 「えっ?えええッッ?!」 「うわっ」 オレは素っ頓狂な声を上げて立ち上がる。オレがいきなり立ち上がったせいで、先生は両手を地面についてオレを見上げた。その黒い瞳を見下ろしてオレは両手で頬を押さえたまま叫んだ。 「せっ、先生がオレをっ?!ウソっ!!」 「なんでウソだなんて言うんだっ」 オレの言葉に先生はムッとして立ち上がる。睨んでくる黒い瞳を見返して言った。 「だって、オレが好きって言った時、先生逃げちゃったじゃん!オレがいくら話しかけても出てきてくれなかったくせに!!」 オレがそう叫べば先生が顔を赤くする。 「あっ、あれは!お前がいきなり好きだなんて言うから!びっくりして…っ!」 そう怒鳴った先生はフッと口を噤むとオレに向かって手を伸ばす。ギクリとするオレの襟元を掴んだと思うとオレの胸に顔を埋めた。 「びっくりしたんだ。だって、ずっと私の片想いだと思ってたから…。私は教師でお前は生徒で。絶対叶うことのない恋だと思ってた。それなのに突然好きだなんて言うから…ッ」 胸に顔を埋めているせいでくぐもってはいたがはっきりとそう告げる言葉が聞こえてオレは目を瞠る。先生の肩に手をかけてそっとその顔を覗き込むと聞いた。 「ずっと好きだったって……ホント、に?」 そう尋ねれば先生は紅い顔で頷く。 「好きだって言われて嬉しくて……。でも、お前ときたら勝手に人の気持ちを決めつけて勝手に誤解してしまうし。誤解を解こうにもろくに話も聞いてくれなくて、どうしたらいいのか判らなくて、そうしたらもう授業どころじゃなくて……」 どうしたらいいのか判らず、授業を休んでしまった先生が足を向けたのはマオの店だった。特に何かあてがあったわけじゃない。それでも先生がマオの店に行ったのはある種運命だったのかもしれない。 「マオからヘスティングが“恋の呪文の本”を買ったと聞いて……。ヘスティングがお前を好きなのは知ってたからもし呪文を使われたらと思ったら…っ、でも、間に合ってよかった!」 「先生…」 「お前が好きだ、ハボック」 先生はもう一度そう言ってオレを見上げる。その黒い瞳に込められた想いにようやく気づいて、オレはうっとりと笑った。 「オレも、オレも先生が好きっス」 そう告げれば嬉しそうに笑う先生をオレはギュッと抱き締めた。 「マオ!」 オレは先生の手を引いてマオの店にやってきた。狭い通路を本の山にぶつからないよう精一杯の早さで駆け抜けるとカウンターに座るマオの前に立つ。バンッと手をついて小さな老人を睨みつけるとマオはニィと笑った。 「おや、間に合ったようだね、ロイ」 「おかげさまで」 オレの事は無視して先生に話しかけるマオにムッとして、オレは二人の間に立ち塞がる。高い場所から睨みつけるオレに全く動じずマオはオレを見ると言った。 「よかったじゃないか、想いが通じ合えて」 「どうしてあの呪文の本買ったの、ヘスティングだって教えてくれなかったんスかっ?!」 「名前までは知らなかったし、お前もやっぱりいいと言っただろう?それにお前が知ったところで何ができたと言うんだい?あの子の想いに気づいてすらいなかったお前が」 「そりゃそうっスけど…っ」 マオの言うことはもっともだ。それでもやっぱり納得できなかったオレは、ふと思い出してマオに聞いた。 「ねぇ、マオ。前に呪文を使うにはそれ相応の代価だかなんだかが必要だとかいうようなこと、言ってなかった?」 「さぁ、言ったかもねぇ」 ニマニマと意地悪く笑う老人にオレは口を噤む。でも、やはり黙っていられなくて聞いた。 「委員長はどうなるのさ」 「ハボック」 きつく問い質す口調のオレの袖を先生が窘めるように引く。それに構わずオレは促すようにマオの名を呼んだ。 「呪文は失敗したんだろう?」 オレの質問に直接答えず、逆にそう尋ねるマオにオレは頷く。そうすればマオは面白そうに笑って言った。 「だったら奴が抱いていたお前への想いは消えちまったろうね。綺麗さっぱり跡形もなく」 想いが消える? 「呪文を使いたいほど強くお前を好きなら尚の事。あの子はお前への想いどころかお前の存在すら忘れてしまったかもしれない」 「………なにそれ…っ、想いが消えるって、好きだって気持ちをなくしちゃうってこと?そんなことって…」 もしオレが先生にフラレたとしても先生への想いを消し去りたいとは思わないだろう。その想いを抱えている事がどんなに辛くても、それでもやっぱり好きだった記憶をなくすのは嫌だ。 「そんなの酷いよ、マオ!」 「お前が怒ることないだろう?それにそもそもお前にはあの子の気持ちを受け入れる気はないんだから、あの子がお前への気持ちをなくしてしまうなら、面倒が省けて助かるじゃないか」 「そ、それは……でもっ」 確かにオレにヘスティングの気持ちを受け入れるつもりはないけど、でも。 「ねぇ、マオ。じゃあ聞くけど、もし呪文が成功していたら、その時は代価を払わなくてもいいわけ?」 「そんなわけあるかい。代価は何時だって求められるもんだ」 「じゃあその時は何を差し出せばいいのさ」 成就させたい恋に匹敵するほどの代価とは何なんだろう。 「お前さん、あの呪文を使う気があるのかい?」 「ないけど」 「じゃあ知る必要はないね」 「マオ!」 不服そうな顔をするオレにマオはにんまりと笑う。カウンターの抽斗から本を一冊取り出しながら言った。 「まぁ、使いたくなったらいつでも言いな」 そう言ってマオが取り出したのは「恋の呪文の本」だった。 「マオ、それ!もう一冊あるのっ?」 「こんな本はこの世に一冊あれば十分さね」 「それじゃあヘスティングが返してきたのか?」 やはり驚いてそう聞く先生にマオはニィと笑う。 「この本は役目を終えたからね。帰ってきたのさ」 そう言うマオの言葉に、オレと先生は見開いた目を見交わしたのだった。 |
| → 第二十二章 |
| 第二十章 ← |