| 個人授業 第二十章 |
| マオの店に行って、ヒューズに電話をして。結局その後はどこに行く気にもなれなくて、オレはずっと橋の上から川面を見て過ごした。きらきら輝く川がいつしか夕日を映して黄金色に変わる。そうしてそのうち夜の闇を飲み込んで黒くうねるのをオレは飽きもせずに眺めていた。あんまりそこに長くいたせいか、近所に住んでいるらしいおばさんが2度ほど声をかけてきた。さりげなく話しかける中にもどこか心配する様子が見えて、よほどせっぱ詰まって飛び込みそうな顔をしてるんだうかと思いながら、笑って少し話をした。 そんな風に時間を潰して、家に帰ればもう皆食事を済ませた後だった。母さんは怒りはしなかったものの「連絡を入れなさい」と静かに言った。フられたばっかりの昨日は普通にメシを食ったのに、今日はあんまり食べたい気がしない。それでもこれ以上母さんに心配をかけるわけにはいかないから、そそくさと食事を済ますと部屋に上がった。 部屋に上がって一人になれば、川面を眺めていた時とは違っていろんな事が思い浮かぶ。 「恋の呪文」の本を買っていったのは誰なんだろう、とか、先生はあの本をどうするんだろう、とか、思いがけず巻き込まれたヒューズは、先生に文句の一つもいっているだろうか、とか。 「そういや委員長の話ってなんだろう」 ヘスティングの気迫に押されたのと、先生から逃げたかったのとで思わずOKしてしまったけれど、わざわざ場所を改めてまでしたいという話というのは皆目見当がつない。そもそも学年の違うオレとヘスティングの接点と言ったら委員会の活動しかなく、わざわざ場所と時間をとってまで話すようなこともなかった。 「まあ、いいか。明日になれば判るだろうし」 正直ヘスティングの事なんて考えている余裕はなかった。オレの頭の中は相変わらず先生の事でいっぱいだった。だからヘスティングがしようとしていたことなんて、その時のオレには全く想像がつかなかったのだ。 翌日。 今日は先生の授業がある。変に意識してるとこを見せないよう、普通にしてなくちゃと自分に言い聞かせていたオレの耳に大声で言う声が聞こえてきた。 「今日、マスタング先生休みだってさ。自習だって」 「マジ?やった!サボれる!」 自習だと聞けば皆途端にだらけ始める。後ろに座っているブレダに髪を引っ張られて振り向けば、ブレダが言った。 「お前、何か聞いてるか?」 そんな事を言う友人をオレは顔を顰めて睨む。 「聞いてるわけねぇだろ。つか、あれ以来先生と話してねぇもん」 「そっか」 なぁんだ、と言う顔をするブレダにオレは唇を尖らせた。 「いくらオレが諦め悪くったって昨日の今日で平気な顔で喋れるかよ」 そう言うオレにブレダはにやにやと笑う。それでもふとまじめな表情に戻ると言った。 「でも、本当にどうしたんだろうな。マスタング先生、今まで休講ってなかったろ?」 「うん……」 顔を合わせるのは辛かったけど、先生が来ないと思えば避けられてるみたいで、なんだか胸が痛かった。 「おう、ハボック!これからみんなで遊びに行かね?」 鞄を持って立ち上がれば寄り集まって喋っていたクラスメートが振り向いて言う。オレは肩を竦めると答えた。 「わりぃ、今日はちょっと約束があるからパス」 オレの返事を聞いて他の奴らも振り返って言う。 「お前最近つきあい悪すぎ!」 「なんだよ、俺らとじゃつき合えないっての?」 そう言って、ゴツゴツと拳を当ててくるクラスメート達にオレは笑って答えた。 「そんなんじゃねぇって。今日はホント先約あるから」 そう言えば漸く拳の嵐から解放される。「今度はつきあえよ」と言う声に手を振って、オレは教室を出た。 ヘスティングとはどこでと待ち合わせ場所を決めていた訳ではなかったから、とりあえず図書室に足を向ける。入口から覗けば、いつもの席にヘスティングの姿は見えなかった。 「どこにいるんだろ」 3年の教室に行ってみようかとも思ったけど、上級生のクラスというのはやはり行くのがはばかられる。オレも結構デカいほうだけど、そのオレより頭一つデカいようなのがゴロゴロいるのだ。 「やっぱここで待ってよう」 もしヘスティングがオレのクラスに行ったとしていないと判ればこっちに来るだろう。そう思ってオレは中に入るといつもの席に腰を下ろして本を広げた。 そうして30分も待っていたろうか。オレはいい加減待ちくたびれて本から顔を上げた。授業はとっくに終わっていたし、何かで居残るとしても一言くらい言ってきそうなものだった。 「休みだったりして」 そう思えばこのままここで待っていてはいけない気がする。オレは本を閉じると立ち上がり、図書室を出た。3年生の教室がある階へとあがるとヘスティングのクラスをそっと覗く。もうほとんど残っていない教室にはヘスティングの姿はなかった。 「おい、なんか用か?」 野太い声が聞こえてオレは慌てて振り返る。するとそこにはオレより頭一つ背が高くて幅が倍近くある3年生が立っていた。 「えっ、ええと、委員ちょ…ヘスティング先輩いませんか?」 「ああ、図書委員の後輩か。ヘスティングなら今日は来てないぜ」 「あ、そうなんスか」 オレは礼を言うとそそくさとその場を立ち去る。ドタドタと階段を駆け降りるとちょっぴりホッとした。 「なんだ、やっぱり休みだったのか」 もっと早く教室に行っておけばよかった。早く判っていればみんなと一緒に遊びに行けたのに。 オレはため息をつくと学校を後にする。みんなが居そうな場所にいってみようかなと思った時。 「ハボック」 呼びかける声がして振り向けばヘスティングが立っていた。 「あ、委員長」 私服姿のヘスティングはえらく顔色が悪い。その青白い顔の中で目だけがギラギラと輝いていた。 「休みだったって聞いたっスけど、大丈夫なんスか?」 オレはそう言いながらヘスティングに近づく。もしも約束があるからと無理して出てきてくれたのだとしたら、申し訳ないと思いながらそう言ったオレに答えず、ヘスティングはオレの手首をグッと掴んだ。 「向こうに行こう」 そう言うとヘスティングはオレの返事を待たずに歩き出す。もの凄い勢いで歩いていくヘスティングに半ば引きずられるようになって、オレは何度も転びかけた。 「ちょっ、委員長っ、待って!!委員長ってば!!」 そう言ってもヘスティングは振り向きもしない。肩越しに見えるその思い詰めたような表情が妙に悪鬼じみて見えて、オレはゾクリと体を震わせるとヘスティングの手を振り解こうとした。 「離してくださいっ!話なら向こうで聞きますッ!」 グイグイと引っ張られて、気がつけば学校の裏手にある林まで来ていた。昼でも鬱蒼としたその場所でヘスティングはオレを木の幹に押しつけるとズイと顔を近づける。何なんだとその瞳を見返した時、ヘスティングの唇から聞きなれない言葉が零れた。 「…え?」 言葉というより歌に近いそれを耳にした途端、ヘスティングの瞳から目を離せなくなる。ヘスティングの声が黒い霧のようになってオレの心の中に入り込んできたかと思うと、オレの一番大切な想いに襲いかかってきた。 オレの一番大切な、先生への想いに。 「い、や、だ…ッッ」 黒い霧は先生への想いを包み込み飲み込もうとする。心臓を冷たい手で鷲掴みされてるみたいで、怖くてイヤで仕方ないのに、オレは金縛りにあったみたいに指一本動かすことができなかった。 このままじゃなによりも大切なものをなくしてしまう。その恐怖に涙が零れそうになったとき。 「ハボックっ!!」 オレを呼ぶ声が聞こえて心の中に入り込んでいた霧がサーッと引いていく。凍り付いていた体が動くようになって、林の入り口に目を向ければマスタング先生が走ってくるのが見えた。 「ヘスティング!その呪文を使うんじゃないっ!」 先生はそう叫びながら駆け寄ってくる。その声に思わずヘスティングを見れば、真っ青な顔でよろよろと後ずさっていった。 「委員長?」 後ずさったヘスティングは辛そうに自分の両肩を抱く。思わず差し出した手を振り払って、ヘスティングはまろぶように林の中へと入っていってしまった。 |
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