| 個人授業 第十九章 |
| いつの間に眠っていたのだろう、気がつけば朝になっていた。そう言えば風呂にも入っていなかったのだと、延々と髪の毛を弄っている妹を追い出してシャワーを浴びる。熱い湯を被ればボウッと霞んでいた頭もシャンとするような気がした。 いつものように朝食を取りながらちゃんと腹が減っている自分に呆れる。先生にフられて世界が真っ暗になったような気がしているのに、何も変わらず眠って起きてメシを食ってるのが不思議だった。 食事を済ませて家を出ると、ブレダが自分の家の門に凭れて立っているのが見える。ブレダはオレが出てきたのに気づくと小走りにやってきて「おう」とオレに声をかけた。 「おはよ、ブレダ」 答えてオレは歩き出す。何も言わずに並んで歩きだしたブレダにオレはポツリと言った。 「やっぱダメだった」 「……そっか」 夕べオレから連絡がなかったから大凡の結果は察していたのだろう。ブレダは短く答えたきり暫く何も言わずに歩いていたが、ちらりとオレを見て言った。 「で?どうすんだ?」 「オレ、諦めわりぃんだ」 「そういやそうだったな」 苦笑混じりにオレが言えばブレダは肩を竦める。そのまままた何も言わずに歩いていたが学校の門が見えてきたところで口を開いた。 「まぁ、気の済むまで足掻け。泣き言言いたくなったら聞いてやる」 「うん。ありがと、ブレダ」 ブレダは頑張れとは言わなかった。それがむしろオレの気持ちを軽くする。 「ありがと、ブレダ」 もう一度そう言えばブレダの手が伸びてオレの髪をくしゃくしゃと撫でた。 今日はありがたいことに先生の授業はなかった。たとえ授業でも先生の顔を見るのはまだ辛かったから助かったと思う。いくら先生への気持ちを捨てられなくて、ブレダの言うように気の済むまで足掻くにしても、やっぱり気持ちの切り替えは必要でそれが済むまではできることなら先生の顔を見たくなかった。 そんな時に限って運の悪いことに図書委員の当番だったりする。カウンターに座っていたら先生とうっかり顔を合わせてしまいそうな気がして、オレはおそらく今日も図書室に来ているであろうヘスティングに当番を代わってもらうつもりで図書室へと向かった。 「委員長」 思った通り図書室のいつもの一角に陣取っているヘスティングに声をかける。ヘスティングは読んでいた本から顔を上げてオレの顔を見ると眉を顰めた。 「あの、今日の当番なんスけど、代わって貰っちゃダメっスか?」 理由を聞かれたらどうしようかと思いつつ、オレはヘスティングに言う。ヘスティングは傍に立ったオレをじっと見上げていたが、手を伸ばすとオレの腕をグイと引いた。 「何かあったのか?」 「……え?」 突然そんな事を言われてオレは面食らう。ポカンとして見つめるオレの腕を掴む手に力を込めて、ヘスティングが言った。 「変な顔してる」 そんな風に言われてオレは目を見開いてヘスティングを見る。それからヘラリと笑って答えた。 「何もないっスよ。ちょっと急用が出来たんで代わって貰えないかなって」 オレの答えに納得しかねるとでも言うようにヘスティングはオレを見つめる。掴まれた腕が居心地悪くて、オレは何とかさりげなくその手を振り解こうとヘスティングから離れようとしたが、ガッシリと掴まれた手は容易には外れなかった。 「委員長」 ちょっと苛々してそう呼んだがヘスティングは離してくれない。力任せに振り解こうか、どうしようかと思った時、ヘスティングが言った。 「当番、代わってもいいぜ。そのかわり明日の放課後つき合えよ」 「え?」 「いいだろう?そんな時間は取らせないから」 食い入るように見つめてくる瞳と、血が止まるんじゃないかと思うくらい強く掴んでくる手が酷く落ち着かない気分にさせる。早くその場から逃げ出したくてオレがコクコクと頷いた時、今一番聞きたくない人の声が聞こえた。 「ハボック」 いつからそこにいたのだろう、マスタング先生がオレとヘスティングのすぐ傍に立ってオレ達を見つめている。その黒曜石の瞳をまともに見返す事なんて出来なくて、オレはヘスティングの顔を見ると言った。 「それ、オッケーっスから!当番お願いしますっ」 オレがそう答えればヘスティングは笑ってオレの腕を離す。オレは殊更に先生へは目を向けずに足早に図書室を出た。 「ハボック!!」 先生が呼ぶ声を無視して図書室を飛び出すと、オレは逃げるように廊下を駆けていった。 急用というのは口から出任せだったから当然用事などあるわけがない。それでもまっすぐ家に帰る気にはなれなくて、オレはとぼとぼと道を歩いていった。ゲームをする気も何か食べにいく気も起きない。誰か友達を呼びだしてバカ騒ぎでもしたら気が晴れるんだろうかとも思ったが、結局それもできなかった。 行く場所もないまま歩き続けたオレは、気がつけばマオの店に来ていた。相変わらず古ぼけた店の中へと入っていけばやっぱり変わらずマオが奥まったカウンターにちんまりと座っている。マオはオレの顔を見ると細い目を更に細めて笑った。 「来たね」 そう言う小さな老人をオレはじっと見下ろす。思い出したように「こんちは」と言えばマオはオレを見上げて言った。 「あの本はロイに見せたのかい?」 そう聞かれてオレはなんと答えていいか迷ってしまう。それでも何とか笑顔を浮かべると答えた。 「うん、見せたよ、ありがとう。先生、ずっとあの本探してた、懐かしいって喜んでた」 「そうかい」 頷いて笑うマオの顔を見ているうち、オレはふとあの本の挿し絵を思い出してマオに尋ねた。 「そう言えばあの本、挿し絵の錬金術師がマオそっくりだろ!」 「おや、そうかい?」 「そうだよ、そっくりっていうかマオそのもの。あれ、マオがモデルなの?」 そう尋ねたけどマオは例によって笑うばかりで答えてはくれなかった。 「ああ、そうだ。お前がいらないといってたあの本だがね」 突然そんな事を言い出すマオにオレは目を丸くする。マオはにんまりと笑いながら続けた。 「もう忘れちまったかい?ほらあの“恋の呪文の本”さね」 「ああ、あれ!あの本がどうかしたの?」 正直言われるまで忘れていた。あの呪文を唱えていたら結果が違っていたのだろかと、ちょっとだけ思ったオレの耳にマオの声が聞こえた。 「売れたよ」 「…えっ、うそ!」 マオの言葉にオレは思わずカウンターに身を乗り出す。 「売れたって……、誰が買ったの?」 「知るもんかい。いちいち名前なんて聞いてないからね」 マオの言うことはごもっともでオレは乗り出していた身を戻す。買わないと決めたのは自分なんだから今更何を言っても始まらないけど、それでも売れたと聞けば何となく惜しい気がしてオレはため息をついた。 「なんだい、やっぱり欲しかったのかい?」 「え?いや、そう言う訳じゃないけど……どんな奴が買ったのかなぁって思って」 知ったからってどうなるわけでもない。オレは慌てて手を振るとマオに言った。 「ごめん、ただの野次馬根性だから気にしないで」 オレはそう言って改めてマオに言う。 「マオ、ホントにありがとう。感謝してる」 マオがきっかけをくれたおかげで先生に告白出来た。結果は辛いものだったけど、それでもオレは前に進んだと思う。 「じゃ、また来るね」 そう言って背を向けたオレにマオが言った。 「信じてりゃきっといい事があるさね」 その言葉にオレは振り向いてマオを見る。ニィと笑う老人の言葉は不思議な力があるようにオレには聞こえた。 「うん、そうだね。ありがとう、マオ」 オレはそう答えると今度こそ店を後にした。 店を出るとオレはポケットから以前貰ったメモを取り出す。ずっと入れっぱなしだったそれはすっかりしわくちゃになってたけれど、オレはメモに書かれていた番号に電話をかけた。そんなに間をおかずに出てきた人物にオレは名乗るとすぐに用件を切り出す。 「こんちは、ハボックですけど。先生に伝えて欲しいことがあって」 『おう、ワンコか。ロイに伝えて欲しいことってそんなの自分で言えばいいだろう?大体お前ロイとのこと――』 「本、捨てるなり先生が持ってるなり、好きにしてくださいって言っといてください。それじゃ」 『あ、おいっ、ちょっと待っ』 ヒューズが何か言いかけたけど構わずに電話を切る。一気にまくし立ててオレはホッと息をついた。図書室で先生がオレに声をかけてきたのはきっとあの本のことだろう。もうこれで先生を煩わせることもない。 そう思うと安心したのと同時に胸にぽっかり穴が開いたような気がした。 |
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