個人授業  第十八章


 オレはしゃがみ込んだ膝を抱えて顔を埋める。時折、邪魔だと言いたげにオレの体にぶつかっていく人がいたが、立ち上がる気力もなくてオレはその場に座り込み続けた。
 やっと好きだって言ったけど、結果はやっぱり最悪だった。いや、思っていたよりもっと悪いかもしれない。先生は好きだと言ったオレに返事もせずに逃げ出してしまった。
(それだけ迷惑だったんだ……)
 断りの言葉を言う気にもならないほどに。こんな事なら好きだなんて言わなければよかった。きっともう、二度と口をきいて貰えない。そう思ったら目の奥が痛くなってくる。こんな往来で泣くなんて、そんなみっともない事だけはするまいと、ギュッと唇を噛んだ時、頭上から呆れた声が聞こえた。
「何やってんの、お前」
 聞こえた声に引っ張られるように顔を上げれば、髭面のオヤジがオレを見下ろしている。何も言わず、しゃがみ込んだまま見上げるオレに、ヒューズはくすりと笑うとオレの腕を掴んだ。
「おら、こんなとこにしゃがんでたら邪魔だろうが」
「ヒューズ、さん」
 グイと引き上げられて、オレはフラフラと立ち上がる。力が抜けてまともに立っていられないオレの腕を支えるように掴んで、ヒューズは言った。
「どうした。調子悪いのか?それとも凹んでるのか?」
 そう言いながら覗き込んでくる常盤色の瞳に、オレは鬱陶しそうにヒューズの手を振り払った。
「アンタに関係ねぇでしょ」
 そう言ってヒューズに背を向けよろよろと歩き出すオレの肩をヒューズが掴む。乱暴に振り向かせるとオレの腕を掴んで言った。
「関係ないかもしれんがそんな顔した奴を放ってはおけんだろうが」
「大きなお世話っス」
 言うなりもう一度振り解こうとしたが、がっちりと掴まれた腕は今度は自由にならなかった。
「離せよッ」
 思わずカッとなって言えばヒューズはオレの顔をじっと見る。その目を睨み返せばヒューズは一つため息をついた。
「あのなぁ、そんな捨てられたワンコみたいな顔すんじゃねぇよ」
 ヒューズはそう言ってオレの頭をわしわしと掻き混ぜる。その優しい手のひらにオレはギュッと手を握りしめて言った。
「おっ、オレはっ!!」
 アンタの助けなんていらない、そう言おうと思ったのに。
「おいおい……」
 気がつけば道の真ん中でオレはボロボロと涙を零していたのだった。

「ほれ、これでも飲めや」
 ヒューズはそう言ってオレにココアのカップを差し出す。なんかすげぇ子供扱いされてるみたいで悔しかったけど、オレはぺこりと頭を下げてカップを受け取った。コクリと一口飲めば優しい甘さが体に沁み渡る。悔しいけど、今はやっぱりブラックコーヒーよりココアなんだと思った。
「少しは落ち着いたか?ん?」
 ヒューズはオレの向かいのソファーに座って言う。ここはヒューズが泊まってる長期滞在型のホテルの一室だった。
「なんとか……さっきはどうもすんませんでした」
 いきなり道の真ん中で泣き出されてヒューズは面食らったに違いない。だが、この髭面のとぼけたオヤジは文句一つ言わず優しくオレの肩を抱いて自分が泊まってるホテルへと連れてきたのだった。
「何があった、って聞いたら教えてくれるか?」
 もしオレが嫌だと思えば断る余地を残してヒューズは聞いてくれる。さりげない気遣いを見せられて、オレはカップをギュッと握り締めると言った。
「先生に…」
「先生ってロイの事か?」
 聞かれてオレは頷く。手の中のココアの表面を見つめたまま言った。
「先生に好きだって言ったっス」
「…え?ええッ?!マジっ?!」
 ヒューズはソファーの上で大袈裟に仰け反って叫ぶ。そりゃ自分の友達が男から告白されたらビックリだろうけど、何もそんなに思い切り驚かなくたっていいじゃないか。
 思わず睨みつければヒューズは如何にもオヤジらしくニヤニヤと笑いながら言った。
「で?ロイはなんだって?」
 興味津々といった体で聞いてくるのをコノヤロウと怒鳴りつけたいのをグッと唇を噛み締めてこらえる。
「そんなの判ってんでしょ。玉砕したに決まってんじゃないっスか」
 そうでなければあんなところで泣くもんか。そんなにコイツはオレが何て言って先生にフラれたか知りたいんだろか。だが、ヒューズはポカンとした顔をしたかと思うと、まじまじとオレの顔を見つめてきた。
「玉砕?ロイが“ノー”って言ったってのか?」
 玉砕っていうのはそう言う意味じゃないのか?なんでわざわざはっきり言わせたがるんだろう、このオヤジは。
「オレ、もう帰ります。ココア、ごちそうさまでしたっ」
「えっ?あ、おいっ、ちょっと待てよっ!!」
 ヒューズが慌ててそう言ったけどオレは構わず部屋を飛び出す。
「おいっ!ワンコっ!!」
 もしかしたら優しい人なのかもしれないなんて、ちょっとでも思った自分を罵りながら、オレは階段を駆け下り外へと飛び出していった。

 その後はどこをどう走ったのか覚えていない。気がついたらオレは家の前に立っていて、丁度遊びから帰ってきた弟に引っ張られるようにして家の中に入った。話しかけてもうんともすんとも言わないオレを弟は暫く不思議そうに見ていたが、飽きたのだろう、やがてオレを置いてテレビを見に行ってしまった。時間になっていつものように賑やかな食事の席につきながら、オレは一人別の場所にいてこの場を覗いているようなそんな気になっていた。いつもなら何か嫌なことがあっても母さんの作った食事を食べれば気持ちが晴れるのに、今日は気持ちが晴れるどころか味すら判らなかった。オレはもそもそと食事を済ませるとのろのろと立ち上がる。自分の部屋に上がろうとダイニングを出ようとしたオレを弟が呼び止めた。なんだと思って振り向くと弟が小さな手を突き出す。つられる
ように手を差し出せば弟がキャンディの包みを載せた。
「元気出してね、お兄ちゃん」
 弟はそう言うとパッと身を翻してテレビを見に行ってしまう。何も言えずに手のひらの上のキャンディを見つめているオレの耳に優しい声が聞こえた。
「ジャン」
 声のした方を見れば母さんがオレを見つめている。いつの間にかずっと大きくなってしまったオレの体を、母さんは小さい時にしてくれたのと同じように抱き締めた。そうして宥めるように優しく背を撫でてくれる。オレは弟がくれたキャンディごと母さんの体を抱き締めてその肩口に顔を埋めた。そのまま何も言わずにいたオレは、少しして母さんの体を離す。それから何とか笑顔を作って言った。
「ありがと、もう大丈夫」
「ジャン、何かあったらいつでも相談して」
 言われてオレは頷くと、今度こそダイニングを出て2階へと上がった。部屋に入って後ろでに扉を閉め、ベッドに体を投げ出す。寝ていた熊を引き寄せてギュッと抱き締めた。
 先生に告白するんだと、ドキドキしていたのはつい昨日の事だ。まだ丸一日たっていないのに世界が180度変わってしまったような気がする。昨日まではあんなに明るかった世界が今では薄暗く沈んで見える。オレの先生への気持ちはこれっぽっちも変わっちゃいなかったけど、その気持ちを拒絶される前と今じゃ心の持ちようがまるで違った。
 オレが「好きだ」と言った時、先生はまるで信じられないものを見るみたいにオレを見てた。きっとあの時、いろんな事を後悔してたんじゃないかと思う。オレに図書室の小部屋の整理を手伝わせたことも、マオの店で買った本を運ばせたことも。自分の気に入りの店にオレを連れていったことも、夜中にオレを家に通したことも。
 そしてなにより、自分の一番大切なものの話をオレにしてしまったことを。
「先生、好き…」
 それでもそんな簡単に先生への気持ちを諦めきれるはずもなくて。
「好き…」
 オレはそう呟いて熊をギュッと抱き締める。苦しくて悲しくて辛かったけど、涙はもう出てこなかった。


→ 第十九章
第十七章 ←