個人授業  第十七章


 先生の後について廊下を進む。この間と同じリビングに通されたオレは明るい光が降り注ぐ部屋の中にポカンと口を開けた。
「そか、この間来た時は夜だったから…」
 大きな窓からは午後の光が部屋の中に差し込んでいる。突っ立ったまま窓を見つめるオレに、先生が言った。
「どうかしたか?」
「あ、いえ。この部屋こんなに明るかったんだ、って思って」
 オレがそう言えば先生がああ、と頷く。
「この間来たときは夜中だったからな」
「すみません」
 言われて思わず首を竦めたオレに先生が笑った。
「気にすることない、私が寄っていけと言ったんだから。それにそのおかげでお前が“錬金術のはじまりの本”を持っている事が判ったんだしな」
 先生はそう言うとオレに椅子を薦める。「コーヒーでいいか?」と聞かれて頷けば、先生はキッチンへと入っていった。ソファーに腰を下ろした拍子に手にしていた袋がガサリと音を立てる。そう言えばこの菓子やら花束やらはどのタイミングで渡せばいいんだろうと思ったオレは、とりあえず菓子だけでもと、それを手にキッチンへと入っていった。
「先生」
「うわぁっ!」
 入りながら声をかければコーヒーを淹れていた先生が飛び上がる。そんなに大きな声を出したわけではないのにと、声をかけたこっちの方がびっくりして先生を見つめれば先生は恥ずかしそうに顔を赤らめた。
「ごめん、ちょっと考えごとをしてたものだから」
「すみません、びっくりさせちゃったっスか?」
「いや、そんなことは…」
 すまなそうに言うオレに先生はもごもごと答える。なんだか妙に落ち着きのない先生にオレは手にした包みを差し出した。
「これ、お土産なんスけど。ほら、先生が好きな喫茶店あるでしょ?あそこで来週売りに出される新製品」
「来週売りに出される?」
「特別に分けて貰ったんス」
 キョトンとする先生にそう言うと先生は箱を受け取る。いそいそと包みを開けた先生は綺麗に並んで詰められた焼き菓子に目を輝かせた。
「凄い。来週販売って言ってたか?」
「はい。なんか旨い菓子売ってないか見に行ったらマスターが特別に出してくれて」
 オレがそう言うと先生は「ああ」という顔をする。
「あそこのマスター、お前のこと気に入ってたからな」
「へ?なんで?」
「いい食べっぷりだって」
 え?オレ、そんなにがっついて食べてたっけ?
 言われて思わず顔を赤らめれば先生がクスクスと笑った。
「悪い意味じゃないよ。あんまり旨そうに食うから嬉しかったんだろう」
 そんなもんなのかなと思ったけど、少なくとも悪い意味じゃないならいいかと思いながら、「戻ってますね」と言いおいてオレは一足先にリビングへと戻る。ソファーに腰掛けてもなんだか落ち着かなくてきょろきょろと視線をさまよわせているうち、先生がトレイを手にキッチンから戻ってきた。
「おまたせ」
 先生はそう言ってテーブルにコーヒーのカップとさっきオレが渡した菓子を載せた皿を置く。ソッコーで出てきた菓子に思わずクスリと笑えば先生が言った。
「おもたせで悪いなとは思ったんだが…食べたいじゃないか」
「そっスね」
 薦められるままにコーヒーを口にする。先生は子供のように目をきらきらさせて菓子へと手を伸ばした。
「うん、旨い!お前も食べて見ろ、旨いぞ。これはメープルシロップが使ってあるのかな」
 先生がそう言いながらオレの方へ皿を押し出す。オレは先生が食べたのと同じヤツを摘むと一口かじった。
「あ、ホントだ」
 口の中でサクリと崩れるそれは、甘いものが苦手なオレでもおいしいと思う。先生の顔を見ればもの凄く嬉しそうに菓子を頬張る姿が可愛いと思った。
 暫くの間「こっちの方が旨い」だのなんだのと、菓子の吟味をしていたが、そう言えばこんな事をしに来たんじゃないと思い起こす。オレは手に着いた菓子の欠片を払うと袋の中から本を取りだした。
「先生、これ。例の本」
 そう言って差し出せば先生がパッと顔を輝かせる。まるで宝物を手にするみたいに受け取ると膝の上に載せてそっとその表紙を撫でた。
「懐かしい……確かにあの本だ」
 先生は呟くように言って表紙をめくる。幸せそうなその顔を見つめていればオレ自身凄く幸せな気持ちになった。うっとりと夢見るようなその顔はとても綺麗でドキドキしてくる。もしかして今が「好き」っていうタイミングなんじゃないかって、そう思った時、先生が「アレッ?!」と素っ頓狂な声を出した。
「そう言えばこの老人、マオに似てないか?」
「あ、やっぱり先生もそう思います?」
 何となく出鼻をくじかれた感じでガクッときたが、それを顔には出さずに本を覗き込む。
「思う、似てる、絶対」
「マオに会った時、気づかなかったんスか?」
 そう尋ねれば先生は挿絵の老人を見つめながら言った。
「無理言うな。子供の頃だぞ、この本を読んでたのは。さすがに挿絵まで覚えてるもんか」
 言われてみれば確かにそうだ。「そっか」と呟けば先生は良いことを思いついたとでも言うように小さく声を上げる。それを言おうとしてパッと顔を上げた先生は、思いがけず近くにあったオレの顔にギョッとしたように身を引くと顔を赤らめた。そんな態度を取られたらこっちまでドキドキしてしまう。それでもオレの頭で「ここだ!」と叫ぶ声が聞こえた気がして、オレはソファーの上に置いたままになっていた花束をひっつかむと先生に突き出した。
「せっせっ先生っ、これ、貰ってっ!」
「えっ?!」
 そう言ってグイと花束を押しつければ、反射的にと言う感じで先生が受け取る。花を抱えて見開く黒い瞳を見つめてオレは言った。
「好きです!!」
 主語も何もかもぶっ飛ばして叫ぶ。本当はもっとカッコよく言いたかったのに咄嗟に出てきたのはその言葉だけだった。
「……え?」
 でも、その短い言葉ですら理解できないと言うように先生は花束を抱いたままオレを見つめる。「好きだ」と叫んで顔を赤くするオレと、花束を抱えて頬を染めた先生と、ふたりして黙ったまま互いの顔を見つめる。オレの言ったこと、ちゃんと判ってくれたんだろうかと心配になり始めた時、先生はガタンと乱暴な仕草で立ち上がると、花束を抱えたままリビングを飛び出していってしまった。
「…え?…先生っ?!」
 びっくりして一瞬凍り付いてしまったオレは、慌てて先生の後を追う。ドタバタと階段を駆け上がる音の方へ走れば、階段を上がりきって2階の廊下に飛び込む先生の後姿が見えた。
「待って!先生、待ってっ!!」
 オレはそう叫んで階段を駆け上がる。いくつか並んだ部屋のどれに先生が入ったのか判らなくて片っ端から開けて回った。
「…っ!!」
 すると一カ所、ガチッと鍵が引っかかる音がする扉を見つける。オレはガチャガチャとノブを回したが、開かないと判ると扉に顔を近づけて言った。
「先生…、先生、中にいるんでしょ?」
 そう尋ねたが中から返事は聞こえない。オレは扉を叩きながら何度か「先生」と呼びかけたが、先生の声は聞こえなかった。オレはギュッと唇を噛み締めると唾を飲み込む。震えそうになる声を必死に宥めて扉越しに先生に言った。
「ごめんなさい、いきなりあんな事言って。気持ち悪くて…びっくりしたっスよね。……オレ、先生のこと、好きです。最初に先生を見た時からずっと好きだった。先生はオレのこと何とも思ってないだろうけど……。あ、それどころか迷惑っスよね。……ごめんなさい。ホントに、ごめんなさい」
 そう呟くうちにドキドキと高鳴っていた鼓動が収まっていく。オレは一つため息をつくと言った。
「オレ、帰りますね。今日は嫌な思いさせちゃってすんませんでした」
 そう言って、見えはしないのを判っていながら扉に向かって頭を下げる。それから、階段を二段飛ばしで駆け下りるとそのまま玄関から外へと飛び出した。後ろから声が聞こえたような気もしたが構わずに走り続ける。走って走って、心臓が破裂しそうなほど走って漸く足を弛めた。だんだんと足が動かなくなって、オレは道の真ん中で立ち止まる。その途端、力が抜けたような気がしてオレはその場にしゃがみ込んでしまった。


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