個人授業  第十五章


 ベッドに入って目を瞑れば瞬く間に朝がやってくる。オレはいつものように朝のジョギングを済ませるとシャワーを浴びに洗面所に向かった。ちょうど朝のシャンプーを終わらせた妹が出てきて「おはよう」とだけ言うと部屋へ行こうとする。女ってどうして朝からシャンプーなんてメンドクサイ事をするんだろう、オレだって走ってなけりゃシャワーなんて浴びようと思わないのになんて考えていたオレは、ふと思いついて妹に聞いた。
「なあ、お前さぁプレゼントに何貰ったら嬉しい?」
 そう訪ねれば妹はキョトンとした顔をする。
「なあに、私に何かくれるの?」
「なんでオレがお前に何かやらなきゃいけないんだよ」
 とんでもない事を言う妹にムッとして言えば妹は肩を竦めて「冗談に決まってるでしょ」と言った。
「そうねぇ、やっぱアクセサリーかな」
 先生は男だからアクセサリーなんて贈れない。聞いた相手が間違ってたと、もういいや、と言おうとする前に妹が言った。
「後は花束ね」
「…花束?」
「うん。こーんな、両腕でも抱えきれないような大きな花束貰えたら嬉しいな」
 花束。それなら先生にあげてもおかしくない。ありがとう、と言って洗面所に入ろうとしたら妹が後ろからオレの顔を覗き込むようにして言った。
「なあに?お兄ちゃん、好きな女の子でもいるの?」
「ばっ…そんなんじゃねぇよっ!ちょっと世話になった人のうちに行くから何持っていこうかと思っただけ!」
 世話になった人、って嘘じゃないよな。学校で勉強教わってるし。
「ふぅん」
 妹はくすくすと笑いながらオレの顔を見る。思わず顔を赤くするオレの肩をぽんぽんと叩いて言った。
「まあ、頑張ってね。お兄ちゃん、見端は悪くないから頑張れば何とかなるわよ」
 妹は励ましてるんだかなんだか判らない事を言うと、今度こそ部屋へと上がっていく。オレはムゥと唇を突き出すと洗面所へと入った。

 手早くシャワーを済ませ朝食を食べると鞄を持って家を出る。同じタイミングで家を出てきたブレダを待って歩きだした。
「おはよ、ブレダ」
「おう」
 いつものように朝の挨拶を交わし、冷たい空気に首を竦める。オレはマフラーに顔を半分埋めてブレダに言った。
「明日先生のうちに本持ってくことになった」
 そう言えばブレダがオレの顔を見る。オレは顔が赤くなるのを感じながら前を見たまま続けた。
「そん時先生に好きだって言う」
「…そっか」
 オレの言葉にブレダは頷いて前へと視線を戻す。
「結構上手く行っちゃうかもしれないぜ」
「ははは、だったらいいけどな」
 あの呪文の本を持ってたらそうなったのかもしれない。
 ふとそんな考えが浮かんでオレはぶるぶると首を振った。
「何やってんだよ、お前」
「何でもないっ、それよりブレダ、寒いから早く行こう!」
 オレはそう言って走り出す。「えーっ」と不服そうな声と足音を背後に聞きながらオレは学校への道を走っていった。

 いつものように退屈な授業ばかりだったけど、今日はマスタング先生の化学の授業と同じくらい大好きな体育があってオレはいそいそと更衣室ヘ行くと体育着に着替える。体を動かすものは何でも好きなオレだったが今日はその中でも特に好きなバスケで、早々に着替えてしまったオレは集合の笛が鳴るまでずっとフリースローをやっていた。ラインの前に立ちボールを構える。よっく狙って全身のバネを使うようにしてボールを高く押し出せば、ボールは弧を描いてリングの中へと吸い込まれていった。
 やがて集合の笛が鳴って、ボールをカゴに戻すとみんなが集まっているところに行った。準備体操の後、前もって決めてあったチームに分かれてパス回しの練習なんかをして、それからミニゲームをする事になった。総当たり戦で勝ち数の多いチームが優勝、優勝したチームには何かご褒美でもやるか、なんて先生が言えば俄然空気が熱を帯びる。オレたちはコートの中をファウルぎりぎりのプレイでボールを奪ってはシュートを決めた。味方から貰ったボールをドリブルで相手のゴールまで持ち込む。ディフェンスの腕をかい潜ってシュートを決めた瞬間っていうのはどんな時でも気持ちいい。シュートを決めてワアッと仲間と喜んでいた視線をふと体育館の入口へ向ければマスタング先生が立っていた。「アレ?」と思ったけどすぐ試合再開の笛が鳴ってさすがに先生どころではなくなる。ボールがアウトになって入口へ目をやった時にはもうマスタング先生の姿はなかった。

 今日は図書委員の当番だったのでカウンターに座って本を広げる。図書委員になる前は、どうしていつも図書委員って本読んでるんだろう、よっぽど好きなんだな、って思ってたけど、実際委員になってみてその理由がよく判った。図書当番がここで本を読んでいるのは他にやることがないからだ。流石にここで宿題をするわけにはいかないし、何もせずにじっと座っているのもの手持ちぶさたで落ち着かない。結局図書委員なら本読んでいるのが一番と、みんな当番はここで本を開くのだ。
 そんなわけでいつものように本を読みながら、時折やってくる生徒の為に貸し出しの手続きをしているうち、閉館時間がやってきた。オレはカウンターを閉めると窓の戸締まりを確認する。灯りを消して図書室の鍵を閉めると鍵を返しに職員室に行こうとしたオレは、廊下の向こうにヘスティングが立っているのに気づいて足を止めた。思い詰めたような表情でこっちを見ているヘスティングがなんだか怖くなって、オレはヘスティングに背を向けると廊下を走り出す。職員室へはヘスティングがいる方の廊下を通った方が近いのは判っていたけど、ヘスティングの傍を通る気にはなれなくて、オレはぐるっと回って職員室へ行くと図書室の鍵を返してそのまま学校を出た。

 一度家に帰ると普段着に着替え、オレはもう一度家を出る。花は明日買えばいいとして、なんだかそれだけだと心許ない気がしてオレはもう一つ何か添えられるものがないかと店を覗いて歩いていた。
「先生の欲しいものってなんだろう…」
 正直オレは学生で、大人の先生にあげられるものなんてそうありはしない。それでも自分で選んで決めたものを先生にあげたくてオレはきょろきょろとしながら歩いた。その時以前先生に連れていって貰った喫茶店の看板が目に入って、オレは足を止める。
「そういや先生、甘いものには目がないんだっけ」
 甘いものなんて食べたらそれでおしまいだけど、かえって後腐れがなくていいかもしれない。そんなことを考えながら店の中に入ればオレの顔を見たマスターが言った。
「やあ、前にマスタング先生と一緒に来た子だね?」
 そう言われてびっくりするオレにマスターが笑う。
「客商売はお客さんの顔を覚えてなんぼだからね。覚えてると判ればお客さんも嬉しいだろう?」
 そう言われてみれば確かに覚えていて貰えるのは嬉しいことだと思う。オレはマスターにちょっとしたプレゼントになる菓子がないかと尋ねた。
「マスタング先生にあげるのかい?だったら特別にこれを出してあげようか」
 マスターはそう言って店の奥へと引っ込むと少しして小さな箱を手に戻ってくる。それをショーケースの上に置くと言った。
「これは来週から販売する予定の焼き菓子なんだ。だからまだ店頭には出していないんだがよかったら分けてあげるよ」
「ホントっスかっ?!だったらまだ先生も食べたことないっスよね」
 もしそれを分けて貰えるならこんなに嬉しいことはない。
「そうだね。持ってくかい?」
「勿論です!」
 即答で返すオレにマスターは笑って箱をきれいに包んでくれた。販売前だからおまけ、とおそらくは販売価格の半分くらいの値段で売ってくれる。
「そのかわりマスタング先生の感想聞いてきてくれよ」
「はい。ありがとうございました」
 オレは笑って答えると包みを持って家に戻った。


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