| 個人授業 第十四章 |
| 「ハボック」 数日ぶりに顔を見た先生はちょっぴり眠たそうに見えた。 「先生、相変わらず夜更かししてるんスか?」 大方本でも読みふけっているのだろうとそう尋ねれば、図星だったようで先生は顔を赤らめる。そんな表情がかわいく思えて先生の顔をじっと見つめるオレを見返して先生が言った。 「この間の本のことなんだが」 「はい、オレもちょうど聞きにいこうと思ってたところでした」 オレがそう答えれば先生は嬉しそうに笑う。 「お前、部活は入ってなかったな。もしお前の都合がよければ明後日はどうだろう」 「明後日っスね。大丈夫です!」 たとえ予定が入っていたとしても、そんなの先生との約束に比べればどうってこともない用事ばかりだ。 「そうか、じゃあ、明後日で頼むよ」 「はいッ」 勢いよく返事するオレにもう一度微笑んで、先生は足早に廊下を歩いていってしまった。 オレはホッとため息をつくと図書室の中に戻る。さっきまで座っていた椅子に腰を下ろすとヘスティングが言った。 「マスタング先生、なんだって?」 「えっ?えっと…」 何となくおもしろくなさそうに聞いてくるヘスティングにオレは言葉に詰まる。なんだか本当のことを言いたくなくて、オレは一瞬のうちに考えると思いついた言葉を口にした。 「この間出したレポート、添付するはずの実験結果が抜けてたから出せって」 「そんなこと、授業の最後にでも言えば済むことじゃないのか?それをわざわざ?」 「今週はもう、先生の授業ないからじゃないっスか?」 オレは殊更なんでもないようにそう答えると広げっぱなしだった本に視線を戻す。そんなオレをヘスティングはじっと見つめていたけど少しして言った。 「あのさ、お前に話したいことがあんだよ。今度放課後、会えないかな」 「え?話したいことなら今言えばいいじゃないっスか。急いで読まなきゃいけない本じゃないし、いいっスよ?」 オレはそう言って本を閉じる。なに?と見つめればヘスティングは眉を顰めた。 「今は言えない」 「へ?なんで?」 キョトンとするオレをヘスティングは睨みつける。そうして手を伸ばしてくるとオレの金髪を鷲掴んで思い切り引っ張った。 「イッ、イデデデデデッッ!!」 抜けるほど引っ張られて悲鳴を上げながら腰を浮かしたオレにヘスティングはフンッと鼻を鳴らして行ってしまう。オレはドサリと椅子に腰を戻すとジンジンと痛む頭をさすりながらヘスティングが出ていった扉を見つめた。 「なんなんだよ、一体……」 そう呆然として呟いたオレに答えてくれる奴は誰もいなかった。 家に帰って母さんに一声かけて2階へ上がるとオレは制服を着替えいそいそと本を取り出す。もう、なんど開いたか判らないその本の中のフラスコを持った老人を見てオレはハッとした。 「そうだ、マオにお礼言わなきゃ」 マオがこの本を薦めてくれなければこうしてまた先生の家に行く約束なんて取り付けることはできなかっただろう。オレは本を机の抽斗に戻すとジャンパーを手に部屋を出た。 「ちょっと出かけてくる」 「お夕飯までには帰ってきてね」 部屋にちょっと顔を出して洗濯物を畳んでいる母さんに声をかける。母さんの言葉に判ったと返事を返して、オレはジャンパーを羽織りながら靴を履き家を出た。 もうすぐ春だというのに外は相変わらず寒い。そう言えばこの先の天気予報に雪マークがついてたよな、なんて思いながらオレは駅前へと歩いていった。賑やかな通りを抜けて細い路地へと入る。薄汚い店は変わらずちんまりとその路地の奥に建っていた。 「こんちは」 そう声をかけながら細い通路を積み重なった本を崩さないように気をつけて奥へと進めばやっぱりマオは相変わらずカウンターの中にちょこんと座っていた。 「こんちは、錬金術師のマオ」 オレがそう言えばマオがニヤリと笑う。 「おや、バレちまったかい。でも、誰にも内緒にしてておくれよ」 そんなことを言うマオに思わずオレは吹き出してしまった。マオなら錬金術が魔法でも信じられないことはないけど、やっぱり今の世の中そんなの夢物語だ。オレは笑いを引っ込めると改めてマオの顔を見て言った。 「マオが薦めてくれた“錬金術のはじまりの本”、本当に先生との話のネタになったよ。ありがとう」 そう言って頭を下げればマオはくつくつと笑う。 「最初は子供向けだってお気に召さなかったようだけどね」 「だって、ふつう学校の先生との話題で子供向けの本の話なんて考えないだろ?」 オレは唇を尖らせてそう言ってからふと疑問に思っていたことを聞いた。 「そう言えばマオはどうしてあの本をオレに薦めてくれたの?あの本は先生が科学への興味を持つようになったきっかけの本で、子供の頃から大好きだったんだって言ってた。でも、引っ越しのさなか失くしてしまって、欲しくてずっと探してたって」 どうして知ってたの、と尋ねたオレにマオは笑っただけで答えなかった。でも、マオなら何を知っていてもおかしくない気がしてオレもそれ以上は尋ねなかった。マオは黙ったまま古い本の背表紙を直していたけど、顔を上げずに言った。 「それで?今日は新しい本が欲しかったんじゃないのかい?」 「え?」 キョトンとするオレにマオは顔を上げると言う。 「恋の呪文の本。ほら、探しておいてやったよ」 マオはそう言って抽斗から小さな古い本を取り出す。黒い表紙に見たことのない金色の文字でタイトルらしきものが書かれたそれをズイとオレの方へ押し出すと言った。 「これだよ。この中の呪文を相手の前で唱えれば、ソイツの心は一生お前のものだ。そんな呪文の載った本が2000センズ。安いもんだろう?」 そう言って差し出された本をオレはまじまじと見つめる。そんな呪文あるわけないと頭では判っているのに、もし今度マスタング先生の家に行った時にこの呪文を唱えたらどうなるんだろうと考えるのを止められなかった。 「好きなんだろう?ロイが。だったらロイの前でこの呪文を唱えてごらん。そうしたらたちまちロイとお前は恋人同士さ」 先生と恋人同士。なんて甘い響きだろう。オレは恐る恐る手を本へと伸ばしていく。その黒い表紙に浮かぶ金色の文字に触れた途端、ピリッと走った痛みにオレは慌てて手を引っ込めた。 「いい。やっぱりいいっス。ズルはしたくないから」 「この呪文を唱えればロイは必ずお前のものになる。でも、唱えなかったらフラレるかもしれないよ?」 「そうなっても仕方ないっス。フラレたらきっと泣いちゃうけど、でも、泣いたらまた先生に好きになって貰えるように頑張るだけだから」 オレは子供で大人の先生に今すぐ認めて貰おうなんて思う方がおかしいのだ。今はただ先生にオレの気持ちを知って貰って頑張るしかない。マオと話しているうちだんだんとそんな気持ちになって、オレはマオを見てニッと笑った。 「ありがと、マオ。マオのおかげで踏ん切りがついた。今度先生と会ったらちゃんと好きだって言うよ、自分の力で」 「…そうかい。じゃあこの本は他の奴に売ることにしよう」 マオはそう言うと本を抽斗の中に戻す。ぱたんと抽斗が閉まる音を聞いてオレは言った。 「じゃあ、そろそろ帰るね。また来るから。本、ほんとにありがとう!」 「ああ、またおいで」 そう言って笑うマオに背を向けてオレは通路を外へと歩き出す。店の外へ出る瞬間、マオの声が聞こえた気がして振り向いた。 「マオ?」 だがマオの声は聞こえず出てくる気配もない。オレはちょっとの間そこに立っていたが、吹いてきた風に首を竦めると家へと走って帰った。 家につけばもう夕飯が出来ていて、腹を空かせた弟たちに早くしろとせっつかれた。仕事から帰ってくるのが遅い父さんは無理だが、うちではなるべく家族揃って夕食を食べることにしている。オレが手を洗って慌てて席に着けば待ちかねた弟たちが「いただきます」と一斉に食べ始めた。それぞれに学校での出来事を母さんに話しながら食事を続ける。賑やかな食事が終わるとオレは部屋に上がって抽斗から本を取り出すと、ベッドの上に横になり熊と一緒に本を開く。フラスコを持った老人の絵を見た途端、さっきのマオの声が頭に蘇った。 『賢い子だ。呪文は必ずその術者に見返りを求めるからね』 マオは確かにそう言っていた。それがどういう意味なのかはよく判らない。でも少なくともオレは間違った選択はしなかったのだとホッと息を吐いて本の中の老人の頭をそっと撫でた。 |
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