個人授業  第十章


「今帰りか?そろそろ終わることかと思って学校にいくところだったんだが」
 ちょうどよかったな、と笑う男に先生が答える。
「ヒューズ、早かったな」
 にっこりと笑って男に歩み寄る先生の口から出た名前にオレは目を瞠った。
 ヒューズ。あの時先生が電話で呼んだ名前。
 男だったんだとあの時はそれすら判らなかった事に今更ながら気づく。先生と酷く親しげに話す男をオレはじっと見つめた。そうすればその視線に気づいたように男がオレに視線を向ける。男はオレのことを頭のてっぺんから爪先まで2往復も眺めると言った。
「ロイ、こいつもしかして」
「ああ、ハボックだよ」
 先生はそう言ってオレのことを紹介する。
「ハボック、コイツは私の友人のヒューズだ」
(先生の友人…)
 そう思いながらもとりあえずオレはペコリと頭を下げて見せた。でもソイツときたら失礼にもオレのことをじろじろと見て言う。
「へぇ、コイツがハボックか。いや、そうじゃないかなぁとは思ったんだけどな。ふぅん、コイツがねぇ」
 そう言いながら眼鏡の奥から面白そうに常盤色の瞳がオレを見た。ニヤニヤと笑うその瞳が気に入らなくてオレはムッとして睨み返す。そんなオレに気づいたのか先生が窘めるように言った。
「ヒューズ」
「いやだって、どういうヤツなのかと思ってたからさぁ、お前が」
「ヒューズ!もういいだろうっ!」
 何か言いかけるヒューズを遮って先生が声を張り上げる。先生はヒューズの背を押すようにして歩き出しながら言った。
「それじゃあ、ハボック、悪いがここまでな。また学校で」
 先生は早口にそう言うとまるで逃げるみたいにヒューズとか言うヤツの背を押して行ってしまった。オレは暫く呆然としてそこに立ってたけどだんだんと腹がたってきた。
「なんだよ、あれっ!」
 先生の友達だかなんだか知らないけど人のことジロジロ見やがって。初めて会ったのに失礼だろう?信じらんねぇ!
 オレはムカムカしながらドスドスと靴音も荒く歩き出す。このまままっすぐ家に帰る気にもなれなくてオレは駅の方へと歩いていった。といって当てがあるわけでなく、人で賑わう夕暮れの通りをただ自分の足下だけを見て歩き続ける。そうして暫く歩き続けているとどこからかオレを呼ぶ声が聞こえた気がしてオレは足を止めて辺りを見回した。
「ハボック?」
「…委員長」
 見回した先にいたのはヘスティングで、彼は声をかけたのが確かにオレだと判ると笑みを浮かべて歩み寄ってきた。
「よ、今帰りか?」
「ええ、まあ…」
 そう言うヘスティングはいつもの学ランじゃなくてトレーナーにジャンパーをひっかけている。ジーンズをはいたその姿はいつもの堅苦しさがなくて、ちょっと年上のお兄さんといった感じだった。
「どうしたよ、なんかすげぇ怖い顔してるぞ」
 ヘスティングは笑いながらそう言うとオレの顔を覗き込む。深い緑色の瞳で見つめられてオレはムゥと唇を突き出して黙り込んだ。ヘスティングは暫くなにも言わずにオレの顔を見つめていたけどやがて少し身を引いて言った。
「ゲーセンでも行くか?」
「は?オレ、制服なんスけど」
「上着脱げよ、ジャンパー貸してやる」
 ヘスティングはそう言うとオレの返事を待たずにジャンパーを脱ぐ。グイと差し出されて断るタイミングを逸したオレは上着を脱ぎ鞄に突っ込んでジャンパーを受け取った。ヘスティングはというとオレが首に巻いていたマフラーをさっさと取ると自分の首に巻き付けている。なんだかなぁと思ったけどジャンパーをオレに貸したら寒いだろうから仕方ないかとそのままにさせておいた。
 ヘスティングのジャンパーを着たオレと、オレのマフラーを巻いたヘスティングは駅前のゲーセンに入る。オレはヘスティングがどのゲームをやりたいかなんて聞きもせずにシューティングマシンのところへ行くと大きな銃を手に取った。コインを入れて画面に現れるモンスターを次々と倒していく。そうすればムカムカしていた気持ちも少しは晴れていく気がした。
「うまいもんだな」
 いつの間にか傍にきていたヘスティングが言う。オレは今日のハイスコアを難なく更新しながらヘスティングに聞いた。
「委員長はやらないんスか?」
 そう言いながらも銃を撃つ手は休めない。ガンガンとモンスターを倒していくオレを面白そうに見ながらヘスティングは言った。
「ムシャクシャしてたのはお前だろう?」
「え?」
 そう言われて思わずヘスティングを見てしまったせいで連続ヒットが止まってしまう。それでも構わずヘスティングの顔をマジマジと見つめてオレは言った。
「そんなに顔に出てたっスか?」
「思い切り。お前、判りやすぎなんだよ」
 そう言って笑うヘスティングにオレは顔を紅くすると銃を置く。
「もういいのか?」
「もういいっス」
 オレは答えて足下に置いていた鞄を持ち上げるとゲーセンを出た。出たところでジャンパーを脱いでヘスティングに差し出す。
「別にまだ着ててもいいぜ」
「もう帰りますから」
「やけ食いでもするか?」
「母さんが作ってくれてるし」
 オレがそう言えばヘスティングは肩を竦めてマフラーを外すとオレに差し出す。ジャンパーと交換に受け取ったそれを巻こうとして、妙に人の温もりの残るそれを巻く気になれず、オレは鞄にマフラーを突っ込んで代わりに上着を出すとそれを羽織った。オレがそうするのを黙って見ていたヘスティングがオレが鞄を肩にしょうのを見て何か言おうとしたのが判って、オレはその前に口を開く。
「つきあってくれてどうもありがとうございました」
「ハボック」
「じゃあ、さよなら」
 ヘスティングが何を言おうとしたのか判らない。けれど今はそれを聞く気にはなれなくてオレはそれだけ言うとヘスティングに背を向けてさっさと歩きだしていた。

 家に帰ればやっぱり母さんが夕食を作って待っていてくれて、あのまま食べてこなくてよかったと思う。母さんの作る料理はいつものようにおいしくて暖かくて、やけ食いなんてするよりよっぽどオレの気持ちを宥めてくれた。賑やかな弟妹たちと一緒に食事を済ませるとオレは自分の部屋へと上がる。扉を開ければこの間ブレダのところから連れて帰ってきた熊のぬいぐるみがベッドの上でオレを待っていた。まだ着たままだった制服を脱ぐと部屋着に着替えてベッドに横たわり熊を抱き締める。そうすればさっき会ったヒューズとか言うヤツの事が浮かんできて、熊を抱く腕に自然と力が籠もった。
「先生の友達って言ってた…」
 それもすごく親しい友人みたいだった。オレとブレダみたいな幼馴染みとかなんだろうか。今頃二人は何をしてるんだろうと思ったら、せっかく収まりかけていたムカムカした気持ちがまた戻ってきてオレは熊の胸に顔を埋めた。
「なあ、アイツ、何者なんだろう」
 すごく優しい顔で電話で話してた先生。さっきもあのちょっとしたやりとりで二人が極親しい間だと判った。
「恋人…とかじゃないよな?」
 自分でそう言っておいてたまらなく不安になる。
「あんな失礼なヤツが先生の恋人なんて絶対にヤダ!」
 誰が先生の恋人だって嫌だけど、アイツだけは絶対に嫌だ。そんなことを思った時、オレの頭にふとアイツが言っていた言葉が蘇った。
『へぇ、コイツがハボックか。いや、そうじゃないかなぁとは思ったんだけどな。ふぅん、コイツがねぇ』
「あれ?どういうことだ?」
 思わず声に出してしまってオレは首を捻る。確かにそう言ってた。でもそれって。
「オレのこと知ってるみたいな口振りじゃねぇ…?」
 オレだって向こうのことは知ってた。でも一度名前を聞いたことがあるだけだ。だから顔を見たってアイツがヒューズだなんて判らなかった。でも。
『そうじゃないかなぁとは思ったんだけどな』
「どう言うこと…?」
 オレは突然降って沸いた疑問に、ムカムカしていた気持ちもすっかり忘れて考え込んでしまった。


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