霧屋2  第二十三章


「……嫌な事を思い出したぞ」
 タイマーの意味を考えるうち思い出した過去の場面に、ロイは思わず低く呻いて眉を寄せる。あの晩は、この時とばかりにハボックに調理器具を買わされ、大量のリブステーキを食い荒らされて、思いもかけない出費だった。幾ら高給取りとはいえ、何となく抱いていた釈然としないものに傾きかけた思考をロイは慌てて引き戻す。今考えるのはそんな事ではないと、ロイは一度目を閉じてから開いた。
(十五分後に広間を霧に沈める気か?)
 あの時は湯気と煙で視界が遮られた。だが、今回はそんなものではなく錬金術を使って一発で広間を霧に沈めるつもりなのだろう。十分に広さのある広間ではあるが、ハボックの腕なら大したことではない筈だった。
(その前に人質の安全を確保しろと言うことか)
 有り体に言って何をするにも人質は邪魔な存在でしかない。とはいえ、ハボックが彼自身でどうにかするには無理があり、おそらくは嫌々ながらロイに頼んできたに違いなかった。
(フン、ハボックのクセに生意気だ)
 微かな笑みを唇に載せて、ロイは屋敷のどこかに身を潜めている男に向かい胸中に呟く。だが、次の瞬間表情を引き締めて広間を見渡した。
(アラームが鳴ってから何分たった?五分だとすればあと十分)
 安全を確保しろと一言で言っても簡単な事ではない。下手に動けばかえってテロリスト達を刺激してしまう。ロイはゆっくりと移動してマレーネに近寄ると彼女を見ずに囁いた。
「マレーネ、動かずに聞いてください。あと十分したら私の部下が行動を起こします。その前にみんなに伝えたい」
 ロイの言葉にマレーネが僅かに目を見開く。ほんの一瞬考えてマレーネは答えた。
「水を配りたいと頼んでみます。伝える事を教えてください」
 素早い返答にロイはうっすらと笑みを浮かべる。伝えるべき事を小さなメモに素早く(したた)め後ろ手にマレーネの方へ滑らせると、更に言葉を続けた。
「それから議員からタイマーを貰ってきて下さい。テロリストに気づかれないよう、こっそり」
「はい」
 マレーネは小さく頷くと肺の中の空気を吐き出す。キュッと唇を噛んでゆっくりと立ち上がった。


「中尉、ハボックっス」
 けたたましく鳴り響くタイマーを握り締めてテロリストが飛び出して行くのを、身を潜めて見送ったハボックはコムに向かって囁く。ザザッと短いノイズの後、ホークアイの短い(いら)えがあった。
「十分したらゾラに連絡入れて下さい。注意引きつけて欲しいっス」
『貴方は?』
「十五分後に行動を起こします」
『判ったわ』
 ホークアイはそれ以上聞かずに無線を切る。ハボックは一つ息を吐き出すとステンレスの調理台に背を預けて、ポーチから新しい煙草を取り出し短くなった煙草と取り替えた。
(ちゃんと伝わったかな)
 ロイと連絡を取る術が思いつかず悩んで見回した視線の先に、キッチン用のタイマーを見つけた。咄嗟に浮かんだ過去の場面にタイマーを鳴らしてみたが、果たしてロイはその意味を間違わずに理解してくれただろうか。
(ありゃ結構酷かったから記憶に残ってると思うんだけどなぁ)
 そう思ったものの、ロイのことだから逆に記憶から閉め出しているかもなどという考えが頭をもたげてくる。
(今は本、読んでねぇし、幾ら大佐がいい加減でも今度のタイマーの意味は判んだろ)
 ロイが聞いたら怒りそうな事を考えながら、ハボックはちっとも旨くない煙草を吸い込んだ。
(ああ、早くまともな煙草が吸いてぇ……。なんで錬成陣描くと不味くなんだろう)
 ハボックはそんな事を考えながらも来るべき時に備えて煙草を吸い続けた。


「くそっ、軍の奴ら、何してやがる」
 連絡すると言ったきりなんの音沙汰もなく待たされ続ける事に、いい加減苛ついてゾラが呟く。何人か所在が判らないままの仲間の事も気になったが、今は下手に分かれるよりも人質を楯に一カ所に固まっていた方がいいと思えた。
「少し急かしてやるか」
 そう呟いたゾラは、人質の中から立ち上がる人影に気づいて目を向けた。
「あのう」
「なんだ」
 立ち上がったのがガーランドの娘だと判ってゾラはぞんざいに答える。ジロリと睨めばマレーネは小さく身を縮めて言った。
「喉が乾いたんです。水を貰ってもいいですか?」
「水だぁ?」
 ムッとして言えばマレーネがビクリと肩を震わせる。そのパッとしない容姿をジロジロと見て、ゾラは短く舌打ちした。
「仕方ねぇな、水だけだぞ」
「ありがとうございます」
 マレーネはホッと息を吐き出してテーブルに歩み寄る。水滴のついたボトルからグラスにミネラルウォーターを注いで一気に飲み干すと、ゾラを見て言った。
「みなさんにもお水をお配りしてもいいですか?お願いします」
 地味な娘はその容姿を補う為に他人への気配りの心とやらを与えられているらしい。ゾラはどこにいるかも判らない神の配慮にほんの少し感心して肩を竦めた。
「好きにしろ。だが余計な真似はするな。さっさと済ませろ」
「ありがとうございます……っ」
 ゾラの言葉にマレーネはホッとしたようにペコリと頭を下げ、グラスに水を注いでいく。それを疲れきって座り込む人質に配り歩くことはせず、グラスを手に取り声をかけた。
「順番に取りにきて頂けますか?みなさん」
 そう言えば顔を見合わせた客達が一人二人と立ち上がってグラスを受け取りにマレーネに近づく。マレーネはゴクリと唾を飲み込むとグラスを差し出しながら小声で囁いた。
「声を出さずに読んで」
 グラスの陰でメモを見せながら大きな声で言った。
「大丈夫ですか?せっかくのパーティがこんな事になってしまってごめんなさい」
「……いえ、大丈夫です」
 メモに素早く目を通した男がそう答えてマレーネを見る。それにマレーネが頷けば、男はグラスの水を飲み干して近くのテーブルの床に届くほど長いテーブルクロスのすぐ側に腰を下ろした。


 ぞろぞろと人質が立ち上がってはマレーネから水を受け取り、立ち上がった場所とは違うところへ腰を下ろす。その動きを目で追いながらロイは僅かな焦りに目を細めた。
(急いでくれ。あまり時間がない)
 ロイがそう思った時、広間の中に電話の音が鳴り響いた。


→ 第二十四章
第二十二章 ←