| 霧屋 第八章 |
| 霧の中をロイはあたりに注意を払いながら駆けていく。薄っすらと浮かび上がるように見えてきた階段に駆け寄るとステップに足をかけた。後ろを振り返って耳を澄ませばキメラの咆哮が聞こえる。一瞬戻りたい衝動に駆られたが戻る事はハボックを信じていないと言う様なものであり、彼のプライドを傷つける事になるだろう。ハボックは信頼できる部下なのだ、何も心配することはない。ロイはそう思うと躊躇うことなく階段を駆け上る。階下と同じように霧に包まれた5階に辿り着くとあたりを伺った。左右に伸びる長い廊下を見渡し司令部で見た建物の見取り図を思い浮かべ、研究室が立ち並ぶ方へと廊下を歩き出した。 「それにしても凄い霧だな…」 これがあの煙草1本から生み出されているのだから大したものだ。霧屋というのが何者なのか、霧屋が現れるところにハボックが居合わせることが重なったので何か知っているのではないかと思いはしたが、まさかハボックが霧屋本人だとは思いもしなかった。ハボックに錬金術が使えるはずはないと思い込んでいた自分の頭の硬さをロイは叱り飛ばしながら意識は目指す人物を探し出そうと辺りをうかがっていた。 「あそこか…」 目をスッと細めるとロイは扉の一つに向かっていく。そっと扉を押し開けば霧の中で後生大事にカバンを抱えたまま不安そうにきょろきょろと辺りを伺う男の姿が見えた。霧の中からヌッと姿を現したロイにギクリと体を強張らせる。 「なっ…お、お前はッ」 「そのカバン、渡してもらおうか。そして私と一緒に来てもらおう」 そう言ってロイが手を差し出せば男は歯を剥いて後ずさった。 「ふ、ふざけるなッ、そんなこと出来るわけがないだろうッ!」 男はそう怒鳴ると背後の扉に飛びつく。ガチャリと開くそれに逃げる気かと踏み出そうとしたロイは目に飛び込んできた物にギクリとして足を止めた。 「キメラ…」 ダラダラと涎を零しながらのそりと部屋に入ってきた醜い生き物にロイは視線をきつくする。男をギッと睨みつけると言った。 「一体どれだけ命を弄べば気が済むんだ。キメラといい、薬といい…」 ロイが呻くように言うのと同時にキメラが腕を振り上げる。よけようと身構えたロイはだが、キメラの長く伸びた爪の切っ先が男の肩口を切り裂くのを見て目を見張った。 「ウワァッ!」 ザクリと切り裂かれて男は悲鳴を上げると床に倒れる。痛みに蹲る男に向かって再び腕を振り上げるキメラに、ロイは咄嗟に発火布を嵌めた手を翻した。 「ギャアアアッッ」 焔で顔を焼かれてキメラは絶叫を上げると身悶える。ロイは踏みつけられそうになっていた男の体をグイと引っぱって間一髪のところでキメラから引き離した。そのまま男を抱えたまま後ずさり霧の中、距離を取る。 「痛いッ!!痛いーーッッ!!」 「黙れッ、死にたいのかッ!」 痛みに喚く男にビシリと言えば、男が息を飲んで口を閉ざした。いくら霧の中とはいえ血の匂いをさせていたらキメラはすぐに追ってくるだろう。ロイはいつでも攻撃できるよう手を構えていたがしっとりと纏わりつく湿気に顔を顰めた。 「…ハボックのヤツ」 焔を錬成するのにいつもよりコンマ数秒遅い気がする。なかなか現れないハボックにロイはブツブツと悪態をつくと男と共に部屋の外へと出た。それにしても下のキメラはどうなったのだろう。そう思った時、ゆらりと背後の霧が揺れて慌てて振り向けばそこには淀んだ目をしたキメラがもう一体立っていた。 「ヒィッ」 ロイとほぼ同時にキメラの存在に気付いた男が悲鳴を上げる。ロイは舌打ちすると指を鳴らして焔をキメラに叩きつけた。 「貴様ッ、一体何体錬成したんだッ?!」 「わ、わからな……殺されるッ!嫌だッ、死ぬのは嫌だッ!!」 「あっ、おいッ!」 男は喚くとロイの手を振り払って廊下を駆けていってしまう。少しして聞こえた断末魔の悲鳴にロイは目を見開いた。 「くそ…ッ」 ろくでもない錬金術師とはいえ死なせるつもりはなかったのにとロイは唇を噛み締める。だが、今は死んだ男の事よりも己の置かれた状況にロイは顔を顰めた。 「このままじゃこっちもやられる…」 とにかくハボックと合流する事が先決だとロイは階段を目指して廊下を進む。霧の向こうにザワザワとキメラの気配を感じ取ってチッと舌打ちした。仕方なしに手近の角にルートを変更すると進んでいく。このままでは合流する前に囲まれてしまうのではとふと不安に駆られた時、再びキメラが目の前に現れた。 「クソッ!何が建物の中には5体だっ、あの大嘘つきの髭めッ!」 悪態と共に焔をキメラに叩きつける。倒れたキメラの横をすり抜けて廊下を走るロイは向かいから近づいてくる影に足を止めた。スッと手を上げるロイの耳に聞きなれた声が飛び込んでくる。 「大佐ッ、大丈夫っスかっ?」 「ハボック」 霧の中から現れた長身にホッと息を吐いたロイは、だがその後ろから付いてくるキメラの群れに目を丸くする。くるりと背を向けハボックと同じ方向へ走りながら怒鳴った。 「お前ッ、何を連れてきてるんだ、何をッ!!」 「仕方ないっしょ!キリがないんすよッ、数、多すぎッ!」 「クソッ、あのクソ髭、戻ったら絶対殴ってやるッ」」 綺麗な顔で口汚く罵るロイにくすりと笑ったハボックは慌てて首を振ると表情を引き締める。 「そういえば錬金術師はどうなりました?」 ロイと一緒にいるとばかり思っていた姿が見当たらない事にハボックがそう尋ねればロイが顔を顰めた。 「死んだ。キメラに襲われてパニックを起こしてな。守りきれなかった」 たとえ悪人であろうと死なせるつもりはなかったと後悔を滲ませるロイの声にハボックは眉を寄せる。こんな命を弄ぶような行為を繰り返していた錬金術師が死んだところで同情するつもりもないハボックは、ロイがそんな事で心を痛めているのが赦せなかった。 「アンタらしいっちゃらしいっスけどね、気にする事ないっスよ」 廊下を走りながら吐き捨てるように言うハボックをロイは驚いたように見上げる。そのへの字に引き結んだ口元を見てロイがくすりと笑えば咎めるようにハボックが睨んできた。その視線に更にくすくすと笑えばハボックが小さく舌打ちするのが聞こえる。そんなことに場所柄もわきまえずなんだか嬉しくなってしまう自分にロイは慌てて心を引き締めた。のそのそと追ってくるキメラたちの気配にハボックに聞く。 「どうする?焔で燃やし尽くしてやろうか」 「オレ達まで蒸し焼きになるのはゴメンです」 ハボックはそう答えるとロイを見た。 「30秒くらい足止めしてもらえます?その後はどこかにしっかり掴まって」 ハボックが何を考えているのかは判らなかったがそう言うからには焔で燃やし尽くすよりいい方法があるのだろう。 「判った。30秒でいいのか?」 「それだけあれば十分っス」 ハボックはそう言うと懐からケースを出すと先ほどとは違う錬成陣の書かれた煙草を取り出す。口に咥えライターで火を点けようとするハボックに向けてロイが軽く指を鳴らした。ジジ、と音がして火の点いた煙草から目をあげてロイを見ればニヤニヤとロイが笑っている。それに苦笑して見せたハボックは次の瞬間表情を引き締めるとロイに頷いた。それに答えてロイが押し寄せてくるキメラに向けて指を鳴らす。その白い指先から焔の龍が走りキメラへと襲い掛かった。 「1ッ…2ッ…」 ロイが焔を操りながら数を数えていく。その間にハボックは新しい煙草から生まれた霧の中に煙草の先で錬成陣を描いていった。 「9ッ…10ッ…」 霧を裂いて走る焔がキメラたちをなぎ倒す。焔に熱せられた霧で辺りは瞬く間にサウナのような状態になっていった。 「20ッ…ハボッ?」 「あと少しっス!」 「うわっ」 ハボックを振り返った拍子に逸れた視線の死角から飛びかかってきたキメラにロイは焔を叩きつける。その時、錬成陣を描き終えたハボックが叫んだ。 「たいさっ、どっか掴まってッ!!」 その声にロイは廊下に沿って巡らせてあった手すりを掴む。眩い光が煌めいた次の瞬間。 ドオオオンッッ!!! 轟音と共に回りに漂っていた細かい霧の粒子が一斉に大粒の水へと変化した。 |
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