| 霧屋 第七章 |
| 「…大佐、アンタの親友は報告書の数字をまともに読めないほど耄碌してるんスか?」 「…アイツは昔っからいい加減なところがあったんだ」 二人は今ここにいない髭面の男に悪態を付きながらジリジリと後ずさる。廊下沿いに並ぶ扉のノブに手を伸ばしたハボックがそれをまわすのと近づいてきたキメラが飛びかかってきたのがほぼ同時だった。 「大佐ッ」 ハボックは叫んで開いた扉の中にロイの体を突き飛ばす。続いて自分も中に飛び込むと体をぶつけるようにして閉めた扉にガンッッと音を立ててキメラが体当たりしてきた。 「ヤバイっスよ!これじゃ相手に気付かれて逃げられちまうッ!」 「それ以前に我々がここから出られんだろうがッ」 ガンガンと扉を打ち叩くキメラたちに二人が顔を見合わせた時、廊下に面した窓が高い音と共に砕け散り、キメラが一匹飛び込んで来た。 「ゲーッ!入ってきたッ!!」 「クソッ!」 叫ぶハボックの1歩前にロイは踏み出すと発火布を嵌めた手を翻す。パチンと指がなるのと同時にキメラの体が焔に包まれた。のたうつキメラのすぐ傍に更に一匹が入り込み、ロイはそれに向けても焔を走らせる。燃え上がる焔に金髪を煌めかせてハボックがロイに言った。 「ダメっスよ!その調子で燃やし続けたらこっちが蒸し焼きになっちまうッ!」 「だったらどうしろと言うんだッ!扉を開けてキメラの群れの中に飛び込むのかッ?」 そう言われてグゥと黙り込むハボックからキメラに視線を移してロイが言う。 「それよりこのまま相手を逃がすなんて事になったら目も当てられんぞ」 「中佐、絶対自分の調査不足は棚に上げてオレ達のこと責めるっスよね」 ロイも大したことねぇな、とかなんとか、とハボックが言えばロイが思い切り顔を顰めた。 「それだけは絶対に赦せん」 そう呟いて次々と飛び込んでくるキメラに焔を叩きつけるロイの影に隠れるようにしてハボックが叫ぶ。 「大佐ッ!熱いッ、この部屋、もう蒸し風呂ッ!!」 「煩いッ!貴様、自分より前に出るなとか言ってなかったかッ?!私を盾にするなッ!」 そう怒鳴るロイに背中を預けるとハボックは「ウーッ」と唸った。ボリボリと頭を掻くとロイに向かって言う。 「ねぇ、大佐。これから先見ることに関しては一切コメントなしって事にしてくれます?」 「はあ?何を突然言い出すんだ、お前は」 「いや、とにかくこの暑さ、耐えられないんで…」 そ う言うハボックはまるで頭から水を被ったように全身汗でびっしょりだ。額の汗を手の甲で拭いながらハボックが言った。 「アンタ、クソむかつくほど涼しげな顔してるっスね」 「自分の作った焔を熱がってどうする」 「そりゃそうっスけど」 ハボックはそう呟くと汗に濡れた髪をかき上げる。額を出しただけで意外と精悍な顔つきになるものだとロイがこっそり胸の内で思った時、ハボックが懐からケースを取り出して煙草を咥えた。 「お前ッ、今どういう状況だと――」 そこまで言ってロイはその煙草に錬成陣が描かれている事に気がつく。ハボックが火をつけたそこから立ちのぼるのが煙などではなくて微小な霧の膜だと判った時、ロイの黒い瞳が大きく見開かれた。 「ハボック、お前…」 「コメントなしってことで」 剣呑な表情を浮かべるロイにハボックが苦笑する。ロイはハボックをじっと見つめると言った。 「今はコメントなしって事にしてやる」 「えーーッ、それ、ずるいっスよ」 「四の五の言うな」 ロイはそう言って広がっていく霧に目をやる。それはゆっくりと部屋の中に広がると割れた窓や扉の隙間から静かに外へと漏れ出て行った。あたりを埋め尽くす白いベールにキメラたちも警戒して動きを止める。その醜い容姿が霧の中に飲み込まれていくのを見ながらロイが言った。 「どうするんだ?これじゃキメラがどこにいるか判らんだろう?」 向こうからこっちが見えないようにこちらからも向こうの様子が判らない。これでは結局身動き取れない事に変わらないのではとそう思ってロイが聞けばハボックが答えた。 「判りますよ、オレに取っちゃこれはセンサーっスから」 キメラが動けば判るのだとハボックは言うとロイの背を押す。 「とりあえず手近なヤツの動きを止めます。そうしたら大佐は5階に行って下さい」 「お前は?」 「オレも行きますけどキメラも構ってやらないと。アンタは一直線に錬金術師の捕獲に向かって下さい」 ハボックはそこまで言ってロイを見た。 「一人で大丈夫っスね?」 「お前、私を誰だと思ってるんだ」 「ロイ・マスタング大佐。オレの一番好きな人」 そう言ってにっこりと笑うハボックにロイは思い切り舌打ちする。プイとそっぽを向いた耳が真っ赤になっているのを見て、ハボックはくすりと笑うと言った。 「じゃあとりあえず動き止めますね」 ハボックはいとも簡単にそう言うと咥えていた煙草を手に取り宙に模様を描く。すると霧の所々が濃度を増し、キメラたちの低い呻き声が聞こえた。 「地上で溺れてたっていうのはこういうわけか…」 暫くしてドウと倒れる音が聞こえてロイはそう呟く。ハボックはロイを振り向くと言った。 「もっと手っ取り早い方法もあるんスけどね、今ここでやったらアンタに嫌われそうだから」 「既にこの鬱陶しい霧にはウンザリしてるんだが」 思い切り眉間に皺を寄せて言うロイにハボックがニヤリと笑う。 「あれ?焔の錬金術師殿はこの程度の湿気、どうってことないんじゃないんスか?」 ロイがそう言うハボックの向こう脛を思い切り蹴り付ければハボックが声にならない悲鳴をあげた。フンッと鼻を鳴らすと扉に手をかけるロイにハボックが慌てて言う。 「待って、大佐」 ハボックは脛を擦りながら言うとロイを押しのけて扉に手をかける。そっと押し開けば扉に遮られて聞こえていなかったキメラ達の低い唸り声が聞こえた。 「後何匹くらいいると思う?」 ロイがそう囁けばハボックが霧の向こうを見透かすように目を眇める。 「7匹…いや8匹ってとこっスかね」 「判るのか?」 「霧の中にいるヤツはね。ちなみに錬金術師もまだ5階にいますよ」 驚いて目を瞠るロイにハボックが笑った。 「センサーだって言ったっしょ。大佐、こっち」 ハボックはそう言うとロイの腕をとって歩き出す。足音を立てないようにゆっくりと動きながらロイが囁いた。 「襲ってこないな」 「警戒してるんスよ。本能的にこの霧が普通の霧じゃないってわかってんでしょ。でもいつまでもじっとしちゃいないだろうから」 そう言ったハボックが強くロイの腕を引いて立ち止まる。ロイが見上げればハボックが言った。 「2匹、こっちに来てるっス」 ハボックは丁度角に差し掛かった廊下でロイを横の通路に押し出す。 「そっちからぐるっと回れば5階に行ける階段があります。大佐はそこから先に上に行って」 「ハボック」 「すぐ追いかけます」 言って笑うハボックにロイは頷いてハボックの胸倉を掴んだ。グイと引いて下りてきた頬に唇を寄せるとくるりと背を向け廊下を走って行ってしまう。目を丸くしてその背を見送ったハボックはフッと笑うと頬に手を当てた。その手を離した時にはハボックの面からは表情が抜け落ち瞳は硬質な光を湛える。ハボックは咥えていた煙草を手に取るとスッと目を細めた。 「それじゃお相手仕りましょうか」 そう言うと同時にヌッと顔を出したキメラの下に手をつく。「ハッ」と短い掛け声と共にハボックが手を付いた上に漂っていた霧の粒子が瞬時に下から上へと一枚の薄い板と化していく。極薄いそれは剃刀のようにキメラの喉元を引き裂いた。 「ギャアアッッ!!」 血しぶきを上げて一頭が仰け反れば一緒に歩いていたもう一頭がハボックへと襲い掛かる。だが、キメラが床を蹴って跳んだ時にはハボックの手に握られていた銃が火を噴き、その眉間を打ち抜いていた。ドウッと倒れ込む音と霧の中に立ちこめる血の匂いに残ったキメラが一斉にざわめく。 「やべぇやべぇ…」 ハボックはそう呟くと一目散にロイの後を追って通路を走り出したのだった。 |
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