霧屋  第二章


「ハボ、また来てるぜ」
 ブレダがそう言いながら手にした郵便物の中のひとつをハボックに放り投げる。パシッと乾いた音と共に受け止めたハボックは薄い水色の封筒に僅かに眉を寄せた。
「それ、例の爺さんからだろ?」
「うん、だな」
 ハボックは裏を返して「H」とだけ書かれた差出人の名を確かめる。咥えていた煙草を灰皿に押し付けると立ち上がった。
「ちょっと電話してくる」
「ここですりゃいいじゃねぇか」
「プライベートだから。公私の区別はつけないとな」
 と言えば、ブレダが嘘くせぇと顔を顰める。ハボックはそんなブレダに笑って手を振ると司令室を出た。足早に廊下を歩き司令部の建物の外へ出ると一番手近の電話ボックスに入る。空でまわした番号は交換手の手を煩わせず、直接目指す本人へと繋がった。
「オレっスけど」
『よぉ、早かったじゃねぇか』
 楽しそうな声にハボックは眉を顰める。
「アンタが手紙送ってきたんでしょ。で、なんスか?」
 ハボックは言いながら手にした封筒を開けた。中に入っていた小さな紙片を引き出していると受話器から声が聞こえる。
『そこに書いてあるヤツを捕まえてくれ』
 手にした紙片を表に返せばそこには一人の男の名がが書いてあった。
『ソイツんとこ経由で麻薬が流れてきてんだよ。捕まえりゃ芋づる式で全部取り押さえられる』
 そう言う相手にハボックは眉を顰める。ボックスの壁に背を預けると嫌そうに言った。
「中佐、オレ、忙しいんスけど」
『だから?』
「アンタ絡みの仕事ならアンタのとこから人寄越してくれません?」
『お前がいるのになんでわざわざそんな事しなきゃなんないんだよ』
 不思議そうに言う声にハボックの眉間の皺が深くなる。
「だから、忙しいっつってんでしょ!」
『お前ならこれくらい大した手間じゃねぇだろ』
「オレはアンタの部下じゃねぇっ!」
 ハボックは受話器に向かってそうがなり立てたがヒューズは軽く笑っただけだった。
『ま、そんなわけだから、よろしく頼んだぜ、霧屋』
 そう言うとハボックの返事を待たずに電話は切れてしまう。空しい発信音だけが響く受話器を睨んでいたハボックは叩きつけるようにフックへと戻した。
「あの、髭オヤジッ!!」
 悔し紛れにそう怒鳴ったものの相手に伝わる筈もなく、ハボックは手にした紙片を見つめる。
「くそー、またただ働きかよ…」
 そう呟くとライターを取り出し紙片を燃やすと電話ボックスを後にしたのだった。

「大佐、オレ今夜ちょっと例の爺さんのとこ行ってきますんで」
「爺さんのところ?最近多いな」
 サインをした書類をハボックに返しながらロイが答える。ハボックは困ったように煙草の煙を吐き出すと言った。
「何か、通いのオバちゃんが怪我したとかで色々困ってるみたいで。だから申し訳ないっスけど今日のメシ…」
「ああ、判った、気にするな」
 そう言いながらもロイの声音に不機嫌さが滲むのにハボックは苦笑すると机に手をついてロイの顔を覗き込む。
「大佐」
 宥めるようにそう名を呼べば、ロイが恨めしそうな顔でハボックを睨んだ。
「赤の他人なんだろう?なんでそこまで世話してやるんだ」
 ハボックが言う爺さんとは昔ハボックが住んでいたアパートに一人で暮らしている元軍人の老人のことだ。お隣さんのよしみでアパートにいる頃何かにつけて手助けしてやった老人をハボックはロイと一緒に暮らすようになった今でも時折世話してやっているのだった。
「だってオレがアパートにいる頃は軍人だってことで難癖つけてくる住人との間をとりなしてくれたりしたんスよ。それにアパート出たからじゃあおしまい、じゃ冷たいじゃないっスか」
 ハボックはそう言ってロイの髪を撫でる。ロイはムゥと唇を尖らせると言った。
「面倒見がいいのはお前の美点だと思うが…」
「この埋め合わせはちゃんとしますよ」
 そう言いながらハボックは髪を撫でていた手を滑らせてロイの頬に添える。優しく撫でるハボックをロイは目元を赤らめて睨むと言った。
「他の人間の面倒ばかり見てると後でどうなっても知らないからな」
「うわ、そりゃ勘弁」
 苦笑してハボックはロイに軽く口付ける。
「愛してますよ、大佐」
「…だったらとっとと済ませて帰って来い」
「アイ、サー」
 そう答えるハボックの首に手を回すと、ロイは自分から口付けていった。

「来たか、中佐から連絡は貰っとるよ」
 ハボックを中に迎え入れながら老人がそう言う。ハボックは部屋に入るなり着ているものを次々と脱ぎ捨てて言った。
「いいから早くしてくれ」
 そう言いながらクローゼットに歩み寄ると中から黒い潜入服を取り出して素早く身につけていく。老人は部屋の隅の椅子に腰掛けると言った。
「ソイツが住んでいるのは西地区の雑居ビルの3階だ。これがビルの見取り図と周辺の地図」
 座ったまま老人が差し出すそれを身支度を整えたハボックは近づいて受け取る。図面を見つめながら聞いた。
「脱出ルートとか用意してんのかな」
「商売が商売だからな。少なくとも窓から逃げる為のロープくらいは置いとるじゃろ」
 老人が答えればハボックが眉を顰める。手にした紙を老人に返すと言った。
「今日は早く帰りたいんだよ」
「なんだ、せっかく来たんだから帰りに色々やってもらおうと思っとったのに」
「通いのオバちゃんにやって貰ってくれよ」
「彼女が怪我したのは本当なんじゃ」
 そう言われてハボックは口を噤むと老人の顔をまじまじと見る。思い切り嫌そうな顔をするハボックに老人はニヤニヤと笑うと言った。
「うっそーん」
「なっ…アンタねぇっ!」
 キーッと喚くハボックに老人はカラカラと笑う。
「あんまりラブラブだからからかっただけじゃ」
 楽しそうにそう言う老人をハボックは思い切り睨みつけた。
「行ってくるッ!」
「おお、焦ってドジ踏むんじゃないぞ、霧屋」
「うるせぇっ!」
 そう怒鳴ってハボックは乱暴に扉を閉めると目的の場所へと向かったのだった。

「くそー、大佐に嫌われたら中佐のせいだ…」
 ハボックはそう呟きながら目の前のビルを見上げる。闇の中に黒々と聳え立つビルはポツポツと灯りのついた窓はあるもののシンと静まり返っていた。ハボックは懐に手を入れると煙草のケースを取り出す。普段使わぬそのケースの中には錬成陣の描かれた煙草が入っていた。ハボックは中の一本取り出すと火をつける。ジジと低い音を立てたその先端から、ゆっくりと白いものが立ちのぼり始めた。よく見ればその白いものは煙などではなく微小な水の粒だ。煙草から生まれたそれはだんだんと広がって、やがて辺りは白い霧に包まれていった。
「それじゃお仕事始めますか」
 ハボックはそう独りごつと煙草を咥える。そっと裏口の扉を開くと体を滑り込ませ、足音を立てずに進んでいった。辿り着いた階段で一気に3階まで上がってしまうと指示された部屋の前に立つ。腰につけたフォルダーから小さな工具を取り出すと鍵穴に差し込んだ。数度捻るとピンッという音ともに鍵が外れる。中を伺いながら扉を押し開けたハボックは突然目の前に立ちはだかった黒い塊りに目を丸くした。
「え…?」
 ハボックの腰ほどの高さのそれは四足でのそりと歩きながらハボックを睨め付ける。猫のような顔をしたそれは耳まで裂けた口を開いてシャーッッと叫んだかと思うとヘビの尻尾を翻し、ハボック目がけて飛びかかってきた。
「キメラッ?!」
 咄嗟に攻撃をかわしながらハボックは叫ぶ。テーブルを挟んでキメラと向かい合うと言った。
「きしょっ!聞いてねぇぞっ、こんなのがいるなんてっ!」
 そう叫んでからハボックは頭に浮かんだ事実に眉を顰める。
「くそー、あの髭オヤジ、だからオレを寄越したんだな…っ」
 言えばハボックとて面倒事は嫌だと言うのが判っていてわざと告げなかったであろうヒューズの顔を思い浮かべてハボックは悪態をつく。隣の部屋でガタガタと音がするのを聞きとがめて舌を鳴らした。
「チッ、逃げちまうじゃねぇかっ!」
 こちらの騒ぎに気付いた男が窓から逃げ出そうとする気配にハボックは焦る。再び飛びかかってこようとするキメラに手近の椅子を投げつけると距離を取った。
「お前に付き合ってる暇はねぇっての」
 ハボックはそう言うと咥えていた煙草を手に取る。宙に模様を描くようにその先端を動かせば、キメラの回りを取り囲む霧が急に濃度を増した。
「ギャフッッ!!」
 纏わりつくものを振り払おうとキメラは左右に顔を振ったがそうすればする程逆に霧は濃度を増していく。暫くするとキメラは苦しげな息を吐き出してドウッと倒れた。
「いい子にお寝んねしてな」
 ハボックはそう言って煙草を咥えると隣の部屋に駆け込み、窓から垂れ下がったロープを伝って階下に下りると逃げた男を追ったのだった。


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