| それはとても特別な日 |
| 「くっそ……ッ、まだ着かねぇのかよッ」 列車に乗ったもののイーストシティまでの遠い道のりにヒューズは苛々として呟く。もう窓の外はとっくに暮れて、ハボックの瞳を思わせる空が見えなくなってしまっていることが余計にヒューズを焦らせた。 「まさか俺からのクッキーが届かないからって、他の誰かとなんて……」 『有り得ないわよ、もう別れてやろうかしらッ!』 不意に昼間聞いた女性の声が脳裏に蘇る。ハボックはモテるのだ。もしハボックがその気になれば、彼の恋人になりたいと思う者は老若男女を問わずごまんといるだろう。 「そんなのぜってー認めないからなッ」 確かにホワイトデーを忘れてはいた。だが、例えそうでもハボックは自分のものだとヒューズは思う。 「待ってろ、ジャン。今すぐいくからなッ!」 ヒューズはこの線路が続く先に行るはずの愛しい面影に向かってそう話しかけた。 男の声から逃れるように足早に歩きだしたハボックだったが、ふと行き交う人々を見て眉を寄せる。楽しげに手を繋いで歩くカップルの数が多いと思ったのは決して気のせいなどではなかった。 「はは……昨日のホワイトデーで上手くいっちゃった感じ?」 互いしか目に入らない様子のカップルを見ていられず、ハボックは丁度さしかかった川沿いの遊歩道へと足を向ける。幸せそうな恋する笑顔が視界から消えた事にホッと息をついたものの、その遊歩道を以前ヒューズと一緒に歩いたことを思い出して顔を歪めた。 『ジャン』 名を呼んで見つめてくる瞳がもしかしたら今頃は他の誰かを見つめているのかもしれない。さっき見たように綺麗な女性がヒューズの腕に己のそれを絡めているのかもしれない。そんな考えが次々と浮かんで胸が苦しくて苦しくて。 「自分がこんなに女々しいと思わなかったな……」 ハボックは己を嘲るように言葉を吐き出す。それでも。 「中佐……っ」 ヒューズの事が好きで好きでどうしようもなくて。 「苦しいよ、中佐……」 ハボックは川縁のベンチに座り込むと膝を抱えるようにして縮こまった。 「こんちくしょうッ、遅すぎだってのッ!」 漸くイーストシティの駅に滑り込んだ列車のデッキからヒューズは飛び降りる。改札を抜けると一目散にアパートへの道を走っていった。心臓が破けるのではないかと思うほどに走って走って、ヒューズはアパートにたどり着く。ゼイゼイと息を弾ませ手摺りに縋りながら三階まであがると、ヒューズはハボックの部屋のドアをドンドンと叩いた。 「ジャンッ!俺だッ!」 何度もハボックの名を呼びながら思い切りドアを叩く。だが、真っ暗なアパートに灯りが点く事はなく、ヒューズは肩で息をしながら耳を澄ませた。 「帰ってないのか……?」 夜も更けたこの時間、いったい何処に誰といるというのだろう。 「そんなの、赦さねぇぞ、ジャン……」 自分以外の誰かをあの空色が見つめるなんて、絶対に赦さない。ヒューズはもの凄い勢いで駆け降りるとハボックの姿を求めて必死に夜の街を駆け回った。 「くそ……ッ、どこにいるんだ……?」 以前一緒に訪れたことのあるバーやレストランを片っ端から見て回ったが、ハボックの姿は見つからない。まさかと思いながらハボックらしき人物がチェックインしなかったかホテルのフロントで尋ねてみたが、それらしい人物は見当たらなかった。 「まさか誰かの部屋に……」 個人の家に行ってしまっていたら流石に見つけることは難しくなる。ヒューズは浮かんだ考えを頭を振って追い払うと、疲れきった足を叱咤して歩きだした。ふと聞こえた水音に自分がイーストシティを横切る川の側に来ていたことに気づく。ヒューズは少し考えて、川沿いの遊歩道へ足を向けた。 「そういやここにも来たことあったな……」 ハボックと二人、酔いを醒ますためにここをぶらぶらと歩いたのはいつだったろう。酔いに白い頬をうっすらと染めたハボックを引き寄せて、酒精の混じるキスを交わしたのは。 『中佐ァ……』 その時のハボックの様を思い浮かべて遊歩道を歩いていたヒューズは、少し先のベンチにうずくまる人影に気づいた。夜の帳の中でも鮮やかな金色の頭を膝にこすりつけるように縮こまるその人影をじっと見つめていたヒューズは、次の瞬間ハッとして駆けだしていた。 → next prev ← |