Black currant Cinderella


「うおーい、ローイ!開けて〜」
 ドンドンと扉を叩く音にロイは思い切り眉をしかめる。読んでいた本を脇に置くと、立ち上がり玄関の扉を開けた。
「よっ、ロイ!元気か?」
「元気もなにも昨日会ったばかりだろう?朝っぱらから一体何の用だ」
「うわ、折角きてやったのに、ロイ君、冷たいっ」
「誰も来てくれなんて頼んでない」
 ひどぉい、つめたぁい、と妙なシナを作って騒ぐヒューズに眉間の皺を深めて、ロイはリビングに戻る。ロイに続いて入ってきたヒューズは一人暮らしには広過ぎるマンションを見回して言った。
「相変わらず無駄に広い部屋だな」
「本を置くには狭いくらいだ」
 ヒューズにそう答えながらロイはソファーに腰を下ろす。ヒューズは勝手に冷蔵庫を開け取り出したミネラルウォーターのボトルを手にロイの向かいに座った。
「折角広い部屋なんだから誰かと一緒に住んだらどうだ?」
「そんな相手なんていないのはお前もよく知ってるだろう?」
 女性だけでなく男にさえモテるこの男に、実は彼女どころか好きな相手さえいないことはヒューズもよく知っている。
「これだけモテるのに、なんでかね。──あ、でも気になる相手はいるだろう?この間言ってたじゃないか」
 半ば呆れたように言ったヒューズが思い出したように言えば、ロイが読んでいた本から顔を上げた。
「あのチョコレート!もうなくなりそうなんだ!」
 まるでこの世の終わりのような情けない声でロイが言う。ソファーから立ち上がり棚の引き出しからチョコレートの箱を取り出した。
「本当に絶品だ、このチョコレートは」
 ロイは言いながら蓋を開けて中に並んだチョコレートを見る。同じように立ち上がって寄ってきたヒューズがチョコレートに伸ばしてきた手をピシリと叩いた。
「いいじゃん、その絶品チョコレート、俺にもくれよ」
「ふざけるな、あと三個しかないんだぞ、三個しか!」
 ロイはキッとヒューズを睨むと蓋を閉じる。大切に引き出しに箱をしまうロイを見て、ヒューズは言った。
「それ、バレンタインのチョコだろう?本当に誰からか判らないのか?」
「ああ、イニシャルしかついてなかったからな」
 ロイは残念そうにため息をつくと、箱と一緒にしまっておいた包装紙と空色のリボンをそっと指で撫でた。
「綺麗なリボンだろう?センスがいいよな」
 毎年もらう山ほどのチョコレート。甘い物好きのロイとしては嬉しくないと言ったら嘘になる。それでも軽そうに見えて存外誠実なこの男は、気持ちを受け取る気のないチョコレートを食べるわけにはいかないと、養護施設に寄付してしまうのが常だった。もっとも、下手に食べてしまうとのちのち面倒だというのが本音と言うところだろう。だが、そんな扱いのチョコレートの中、今年この空色のリボンで飾られたチョコレートを見た瞬間、ロイは考える間もなく手を伸ばしていた。いつ誰が置いていったのかも判らないチョコレート。ピンクや赤、金色といったラッピングが多い包みの中で、抜けるような空色のリボンを結んだその箱に手を伸ばしたロイは迷うことなく包みを解いた。十粒程並んだチョコは僅かずつ形が違うことから手作りと知れた。一粒とって口に放り込みカリッと噛んだ中には黒スグリのジャム。チョコの甘さとジャムの甘酸っぱさ加減が絶妙で、ラッピングの可憐さと相俟ってロイはすっかりこのチョコレートの虜になってしまった。
「本当に誰なんだろうな」
 ロイは空色のリボンを指にくるくると巻き付けて言う。チョコにつけられたメッセージカードには「好きです」の言葉に添えてJ.Hとしか記されていなかった。
「J.Hかぁ、お前の知り合いの女の子に同じイニシャルの子、いないの?」
「J……ジェーンはロサだし、ジュリエットはロマンだ。Jで始まる女性の知り合いといったら他にはジャクリーン、ジェサミン、ジル、ジャンヌ、ジュディー……」
「Jで始まる女の子の知り合い、そんなにいるのかよ。そもそもJって少なくねぇ?」
 俺はジェーンしか知らん、と呆れたように言うヒューズにロイは言う。
「だが誰もファミリーネームのイニシャルはHじゃない」
 幾ら考えても当てはまるイニシャルの女性は思い浮かばない。
「くそ……どうしてイニシャルだけなんだ」
「そりゃあお前、絶対あげても無理だと思ってるからだろ」
「無理?どうして?」
 全く判らないという顔をするロイにヒューズはやれやれとため息をついた。
「普通の女の子なら超絶モテモテのロイ君に振り向いて貰えるなんて思わないさ」
「でもチョコはくれたんだぞ」
「そこは、ほら、乙女心ってもんだろ」
 そう言うヒューズの言葉にロイは心底判らないという顔をする。顎に手を当て考え込む親友に、ヒューズはクスリと笑って言った。
「結構女の子じゃなくて男だったりしてな」
「男?男が手作りチョコなんて贈ってくるか?それはないだろう」
「まあ、普通に考えりゃそうだわな」
 女の子からのチョコレートだって殆どは市販品だ。
「このジャムが鍵な気もするんだが……」
 チョコを手作りする相手だ。ジャムも手作りの可能性は大きい。
「じゃあいっそジャム募集でもしてみたらどうだ?“美味しい黒スグリのジャムを探しているんだが誰か知らないか?”ってお前が言ったら、きっとわんさかジャムが来るぜ」
 シシシと笑ってヒューズは冗談混じりに言う。だが「ふむ」と本気で考え始めたロイに、ヒューズは慌てて言った。
「おい、まさか本当にジャム募集するつもりじゃないだろうな?」
「他にいい方法がないとなれば仕方あるまい。おい、ヒューズ。お前、募集の案内出してくれ」
「なんで俺がっ?」
 唐突に役目を振られてヒューズは目を剥く。だが、ロイはそんなヒューズに構わず、チョコレートの箱を開け一粒チョコを取り出した。
「こんな旨いチョコを作れるんだ。きっと素敵な女性だよ」
 笑みを浮かべてチョコを味わうロイにヒューズはため息をつく。
「仕方ねぇな。珍しく本気になったロイ君のためだ。マースさまが一肌脱いでやろうじゃないの」
「頼んだよ、ヒューズ」
 言ってニヤリと笑うヒューズに、ロイは空色のリボンにチュッとキスして言った。


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