あのコのチョコに手を出すな  


「ハボック」
 演習を終えシャワーを浴びて廊下を歩いていたハボックは、背後から聞こえた声に振り向く。そうすればこちらに向かって歩いてくるヒューズの姿を見つけて、パァッと顔を輝かせた。
「中佐!」
 嬉しそうに声を上げてハボックはヒューズに駆け寄る。飛びつきたい気持ちを何とかこらえて、ハボックはヒューズの前で足を止めた。
「早かったっスね、中佐」
「おう、珍しく列車が定刻通りでな」
 ヒューズは答えてハボックの金髪をクシャリと掻き混ぜる。
「久しぶり、だな」
「……うん」
 目を細めて言うヒューズにハボックは頷く。久しぶりにその常盤色に見つめられて、ハボックは恥ずかしそうに俯いた。
「演習だったのか?」
「えっ?」
 聞かれて弾かれたようにハボックは顔を上げる。ヒューズは掻き混ぜた髪を軽く引っ張って言った。
「髪。濡れてる」
「あ」
「ちゃんと乾かせよ。風邪ひくぞ」
 まだ湿り気の残る髪を梳いてヒューズが言う。擽ったそうに首を竦めてハボックは答えた。
「だって、中佐が来るって思ったから気が急いちゃって」
「だからって、お前が風邪引いたら心配するだろうが。ちゃんと乾かしてこい」
「……はい」
 先に司令室へ行っていると言うヒューズに頷いて、ハボックはロッカールームに戻る。タオルでガシガシとこすって短い髪から水分を粗方とると、急いで司令室に向かった。
「中佐っ」
 バンッと扉を開いて司令室に飛び込む。昼休みが終わるにはまだ間がある司令室は閑散として、ヒューズが窓辺に寄りかかって煙草の煙を燻らせていた。
「おう、ちゃんと乾かしてきたか?」
「はいっ」
 寄りかかったまま視線だけ向けて言うヒューズにハボックは頷く。早速用意したチョコを渡そうと机の上に置いた紙袋を手にとって、ハボックはその軽さに目を見開いた。
「あれっ?」
 袋の中を覗けば中に入れて置いたはずの包みがない。慌てて机の上を探すハボックに、ヒューズが言った。
「どうした?」
「────ない」
「ないって、なにが?」
 そう尋ねて近づいてくるヒューズをハボックは見る。
「チョコ。中佐にあげるチョコがないんス」
「えッ?!」
 自分が貰う筈のチョコがないと聞いて、ヒューズはハボックが手にした袋を覗き込む。空っぽの袋の底を見、ハボックの顔を見て、ヒューズは言った。
「どっかその辺に落ちてないのかっ?」
「その辺って……」
 言われてハボックは机の周りをキョロキョロと見る。その視線がゴミ箱の上で止まったと思うと、ハボックは大きく目を見開いた。
「えっ?まさかッ」
 ハボックは叫ぶように言ってゴミ箱に手を突っ込む。中からビリビリに破かれた包みと空っぽの箱を取り出したハボックの瞳が、信じられないものを見るように見開かれた。
「うそ……」
「おいっ、まさかそれ……ッ」
「誰かが食べちゃった……中佐にあげるチョコ……」
 ハボックが呟くように言うのを聞いて、ヒューズはハボックの手からチョコの箱を奪い取る。仄かに残る甘い香りだけがそこにチョコが入っていたことを知らせる箱をヒューズが食い入るように見つめていると、カチャリと司令室の扉が開いて声が聞こえた。
「ああ、来てたのか、ヒューズ」
「ロイ」
 司令室の中に入ってきたロイはチョコの箱を手にしているヒューズとハボックを見る。フフンと笑みを浮かべて、ロイは言った。
「ああ、今年のチョコも美味しかったよ、ハボック」
「……え?」
「ヒーローズのチョコと食べ比べが出来て楽しかったが、やはり私としてはお前の手作りチョコの方が旨いと思うぞ」
 そう言ってにっこりと笑うロイをハボックが信じられないものを見るように見つめる。呆然とするハボックの表情と満足そうな笑みを浮かべるロイの顔を交互に見ていたヒューズが、ハッとして言った。
「まさか、ロイ!お前、オレのチョコを……ッ?!」
「上官の私がヒーローズのチョコでお前が手作りチョコなんて赦せんからな。ごちそうさま、ハボック。来年もまた頼むよ」
「酷いっス、たいさ……っ」
 ハッハッハッと笑いながら執務室に向かうロイの言葉にハボックがボロボロと泣き出してしまう。空っぽの箱を抱き締めて泣きじゃくるハボックの姿に、ヒューズがブルブルと拳を震わせた。
「────待て、ロイ」
  ロイの手が執務室の扉にかかる寸前、地を這うようなヒューズの声が響く。ゆっくりと振り向くロイを睨んで、ヒューズが言った。
「よくもオレのチョコを食べてくれたな……ジャンの気持ちがこもった大事なチョコを……」
「仕事をサボってバレンタインだなどと浮かれてる奴に食わせるチョコなんぞない。さっさとセントラルに帰って仕事しろ」
 フンと顎を突き出して言うとロイは執務室の扉を開けようとする。その扉にダンッと大きな音を立ててダガーが突き刺さった。
「赦さねぇぞ、ロイ。よくも食ってくれたな、オレのチョコ」
「ふんッ、ハボックのチョコを独り占めしようとするからだ」
「ローイ〜〜〜ッッ!」
 まるで悪びれた様子のないロイにヒューズがギリギリと歯を食いしばる。その手にダガーを握って、ヒューズはロイに襲いかかった。
「赦さんッッ!!」
 その言葉と同時に振りおろされるダガーをロイは咄嗟に転がってよける。床を転がって逃げるロイをヒューズのダガーが追いかけた。
「待てッ、この野郎ッッ!!」
「ハッ、色ボケで腕が鈍ったな、ヒューズ!!」
 ゴロリと転がった勢いのまま立ち上がったロイが笑みを浮かべて叫ぶ。キッと目を吊り上げて、ヒューズは手にしたダガーを投げつけた。ロイは頭を下げてダガーをよけると発火布をはめた指をすり合わせる。ロイの指先から迸った焔をヒューズは机の上に置かれたファイルを投げつけてよけた。焔の直撃を受けたファイルがボッと燃えて床に落ちる。その焔を踏みつけるようにして、ヒューズはロイに飛びかかった。
「返せッ、オレのチョコッ!」
「もうとっくに腹の中だッ!ザマアミロッ!!」
 飛びかかってくるヒューズの両手を己のそれでガシッと受け止めてロイが叫ぶ。間近に迫るヒューズに向かって、ロイはハーッと息を吹きかけた。
「どうだ?まだチョコの匂いがするか?旨かったぞ〜、ハボックのチョコ」
「ッッ!!ローイ〜〜〜ッッ!!」
 ハッハッハッと笑うロイにヒューズがギリギリと歯を鳴らして顔を近づける。がっしりと手を掴みあったまま、ヒューズは頭を後ろに引くと思い切り己の額をロイのそれに打ちつけた。
「「ッッ!!」」
 ゴンッと鈍い音がして、二人はその場に蹲る。互いに額を押さえていたが、同時にギッと互いを睨むとヒューズはダガーを構え、ロイは発火布をはめた手を突き出した。
「ロイッ!」
「ヒューズ!」
 言うと同時にヒューズのダガーが空を切って飛びロイの指先から迸った焔がそれを迎え打つ。焔に包まれたダガーが床に落ちるのを追うように飛び出した二人の拳が互いの頬に炸裂した。
「グッ!」
「ガッ!」
 遠慮の欠片もないパンチに、互いの顔が歪む。それでも倒れる事なく踏ん張って、再びダガーと発火布を突き出した二人に向かって、ハボックの声が飛んだ。
「やめてッ!もうやめてくださいッ!」
 その声に二人の動きがピタリと止まる。二人の視線が向かう先、チョコの包みを抱き締めたハボックが言った。
「やめてください。頼んますから」
「でも、ジャンっ」
「もういいんス。だからやめて、中佐」
 言ってふるふると首を振るハボックに、ヒューズは上げていた手をおろす。そうすればロイも手をおろして、二人は暫し睨みあった。
「フン」
 少しして、ロイはフンと鼻を鳴らして執務室に入ってしまう。その背を黙ったまま見送ったヒューズは、ダガーを懐にしまってハボックに歩み寄った。
「ジャン」
「ごめんなさい」
「なんでお前が謝るんだよ。悪いのはロイだろッ!」
 ポツリと謝罪の言葉を口にするハボックにヒューズが声を荒げる。そんなヒューズを上目遣いに見て、ハボックは言った。
「だって……オレのせいで喧嘩になっちゃって……」
「ジャン」
 言って唇を噛み締めるハボックをヒューズは抱き締めるとそっと唇を重ねた。


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