見毛相犬2  第八章


「大佐、そろそろチェン少尉が迎えにきます。大佐?」
 最初は周囲に遠慮して軽く叩いていた扉を、今ではドンドンと拳で殴りつけながらロイは言う。うんともすんとも返事が返ってこない扉を睨みつけて、いい加減我慢の限界に達したロイが隠しから発火布を取り出した時、漸く扉が開いた。
「……はよございま……しょさ」
 かぱかぱと大口を開けて欠伸をしながらそう言うハボックの軍服は、着たまま寝たのかと聞きたくなるほど皺だらけでだらしなく乱れている。ロイはその姿にムッと眉を寄せると、ハボックを突き飛ばすようにして部屋の中に入った。
「替えの軍服はどこです?」
「……へ?」
「替えの軍服です。持ってきているんでしょう?」
「…………持ってきてないっス」
 そう答えてはいけない気がしながらもハボックはそう答える。案の定、ハボックが言った途端目を吊り上げるロイに、ハボックは慌てて言った。
「だって、たかが一週間の出張だしッ」
「だからって替えの一着も持ってくるのが普通でしょう?貴方、まさかパジャマ代わりにそれ着たまま寝たんじゃないでしょうね?」
「や、流石に脱いだっスけど」
 脱いだことは脱いだが、脱いだまんまベッドの側に丸めておいたのだと言うハボックにロイは額を押さえる。ジロリとハボックを睨んでロイが言った。
「脱いでください」
「えっ?」
「軍服を脱げと言ってるんですッ」
「や、でも、そんないきなり言われても心の準備が」
 ヘラッと笑って言えば途端にロイの全身から噴き出す怒気に、ハボックは“冗談ですっ”と慌てて軍服を脱ぐ。ロイはハボックが脱いだ軍服を受け取るとフロントに電話をかけた。
「三十分でクリーニングを頼む。……無理?無理でも何でもやってくれ!」
 ロイは強引に言うとすっ飛んできた客室係に軍服を押しつける。それと同時にルームサービスを頼みハボックに食べるよう促した。
「少佐は食わないんスか?」
 ボクサーパンツにTシャツという情けない格好でパンを齧りながらハボックは、自分用にはコーヒーだけ頼んだロイに向かって尋ねる。
「朝は食べない主義なんです」
「食わないと力出ないっスよ?」
「余計なお世話です」
 素っ気なく答えるロイをジロジロと見てハボックは言った。
「ちゃんと朝から食わないからそんな女の子みたいに細っこいんスよ」
 そう言った途端キッと睨まれてハボックは両手を上げる。「失言でした」と言うハボックにロイがフンと鼻を鳴らした時、部屋の扉をノックしてチェンが現れた。
「おはようございます、ハボック大佐、マスタング少佐……って、大佐、少佐の前でそんなだらしない格好」
 呆れたように言われてハボックが口を尖らせる。
「少佐に無理矢理脱がされたんだもん」
「人聞きの悪いことを言わないで下さい。あんな皺くちゃの軍服で新兵の前に立たれたらたまりません」
 ピシリとロイが言うのにチェンはなるほどと経緯を察して言った。
「どれくらいでクリーニング出来るんですか?」
「あと二十分くらいだ」
 ロイの言葉にチェンは時計を確認する。
「ギリギリですね。遅れてまた誰かさんにグチャグチャ言われると煩いですから。先に降りてエンジンかけて待ってます」
「すまない」
 敬礼して出ていくチェンにそう言うとロイはハボックを急き立てる。超特急でクリーニングされた軍服が届けられると、ハボックが袖を通すのもそこそこにロイはハボックを連れて部屋を出た。チェンが正面玄関の前につけておいてくれた車に二人が乗れば、車はすぐさま司令部に向かって走り出した。
「チェン少尉、すまないが軍服を一着、至急用意して貰えるか?」
「はい、少佐」
 チェンは頷きながらチラリとミラー越しにハボックを見る。そうすれば首を竦めるハボックにやれやれとため息をついて、チェンはアクセルを踏み込んだ。


 何とか時間に間に合うように滑り込んで、ハボックとロイは演習場に向かう。既にきちんと乱れなく整列した兵士の前に設えられた演壇の前で、ラズナーが二人を待っていた。
「ぴったり定刻ですね、流石です」
 最上級の嫌みを込めてラズナーが言う。それにムッと目を吊り上げるロイの腕を軽く叩いてハボックが笑った。
「えっと、一言言わせて貰えるんスよね?」
「お願いいたします、ハボック大佐」
 わざとらしく頭を下げて答えるとラズナーは演壇の前に立った。
「ハボック大佐から訓辞をいただく。数々の武勲をたててこられた大佐のお言葉だ。心して聞くように」
「……嫌な奴だな」
 ラズナーの言葉にロイが不愉快そうに呟く。ハボックはロイに軽くウィンクするとラズナーと入れ替わりに演壇に上がった。壇上に立ったハボックは普段は猫背の背をピシリと伸ばして立っている。クリーニングしたばかりの軍服に身を包むハボックは、お世辞抜きに格好よかった。
「ああいていれば随分印象も違うのに」
 半ば感心するようにロイは呟いてハボックを見る。意外とカッコいいじゃないかと、ハボックが聞いたら小躍りして喜びそうなことを考えながらロイが見ていると、ハボックが一つ咳払いして口を開いた。
「入隊おめでとう。諸君らの入隊を歓迎してオレから一言言わせて貰う」
 ハボックはそう言うと兵士たちを見回した。
「戦場で大切なことは今自分がおかれている戦況を見抜く力っス。危ないと思ったら」
 と、ハボックはにっこりと笑う。
「無理をせずに逃げよう」
 ハボックがそう言うのを聞いて、ロイはあんぐりと口を開ける。次の瞬間我に返ると、ロイは壇上のハボックに向けて小声で怒鳴った。
「大佐っ、それ、敵前逃亡を奨励しているように聞こえますッ」
「え?」
 言われてハボックは小首を傾げる。
「や、別にそう言うんじゃなくてー、闇雲に突っ込んで命を粗末にしちゃダメっていうか、逃げる勇気も必要っていうか……だって撤退の方が突撃より難しいっしょ?」
「それはそうですが」
 ハボックの言いたいことも判らないではなかったが、それにしたってもう少し言い方があるだろう。ロイが思わずへたり込みそうになっているとハボックが“うーん”と考えながら言った。
「自軍の状況を考えないような無理な作戦は立てない。時には引く決断をする勇気も大切だし、そこから生まれる勝機もある。命は一個しかないっスから、それをなげうつような作戦は立てるべきじゃない。生きて帰ること、それが勝つ事に繋がると思うっス。ね?ラズナー少佐」
「えっ?……ええ、まあ」
 言葉の最後をふられて、ラズナーがもごもごと答える。ハボックはそんなラズナーにニッと笑うと兵士達に目を戻して言った。
「じゃあ、生きて帰る為の訓練をしよう」
 ハボックの言葉に兵士達が一斉に敬礼を返す。それに敬礼を返してハボックは演壇から降りた。
「……喧嘩売りましたね?大佐」
「薬盛られましたからねぇ、やっぱ腹立つじゃないっスか。でも、生きて帰るのが大事だってのは本当っスよ?」
 降りてきたハボックにロイがそう囁けば、ハボックがニヤリと笑って答える。やれやれとため息をついたロイがチラリと視線を投げたその先で、ラズナーがもの凄い目で二人を睨んでいた。


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