見毛相犬2  第五章


「まったく……相変わらずふざけた男だ」
 ラズナーは司令部の廊下を歩きながら忌々しそうに呟く。部屋の扉を開けて中に入れば部下たちが一斉に緊張するのが判った。
「……」
 それに気づいてラズナーは思い切り眉を顰める。カッカッと靴音も高く席につくと、机に置かれた書類を手に取った。目を通し幾つかの事項にチェックしサインを認める。途中何度か部下を呼びつけ、指示や指摘を与えながらてきぱきと書類を処理していった。
「ハミルトン少尉」
「イエッサー!」
 呼ばれて長身の男がガタンと椅子を鳴らして立ち上がる。すぐさまラズナーの前にピシッと背筋を伸ばして立った。
「ハボック大佐関係の会議や演習、最終チェックは大丈夫だな?」
「勿論です、サー。万事抜かりありません」
「頼んだぞ。今回あのマスタング少佐が同行してきているからな、万一の事があったら済まされんからな」
「イエッサー!任せてください!」
 ピッと完璧な敬礼を返す部下にラズナーは満足そうに頷く。席に戻るハミルトンの動きを見ながら、ラズナーは長く息を吐き出した。
(部下と言うのはああでなきゃいかん)
 とラズナーは思う。脳裏にハボックのだらしなく笑った顔が浮かんで、ラズナーの眉間に深い皺が刻まれた。
(私の元に来たときからふざけた男だった。やる気もなくダラダラしているくせに妙に鼻が利くというか、ツボを押さえるのが巧いというか……。上官の覚えは悪かったが部下には慕われていたな)
 ハボックは決してラズナーに楯突くようなことはなかったし、言われた事はきちんとこなした。部下の人望も厚く、隊を率いての作戦成果はほぼ満点だ。それでも。
(あの目つきが気に食わん。それにあのダラダラした態度もだ)
 ハボックに言わせれば「普通にしてるだけなのに」と言うところだろう。だが、何事にも折り目正しい態度と正確で迅速な行動を求めるラズナーには、ハボックのマイペースでのらりくらりとした態度はなんとしても赦しがたいものがあった。それでいて何か事あればまるで何でもないようにそつなくかわしてしまう。そこまで考えて、ラズナーは不意に浮かんだ記憶に顔を歪めた。
小さな町を取り囲む敵軍。絶体絶命の窮地を抜け出す指示を与えてくれる筈の上官は、極々近い側近だけをつれて愛人共々逃げてしまった。ろくな装備も手駒もないままに、ただ泣き叫ぶしか能のない住民と一緒に置き去りにされた己が身一つで逃げ出したとて、責められる謂れはない筈だった。だが。
『聞いたか?ハボック中尉がラブリスの住民つれて脱出したって』
『嘘だろう?あの部隊は見殺しにされたって───』
『馬鹿、滅多なこと言うもんじゃない』
 その事実を知るものの間で密やかに交わされた言葉。誰にも期待されていなかった人物によってなされた功績の陰で、我が身の安全を第一に一人逃げ出したラズナーを誰も責めはしなかった。それがかえってラズナーを苦しめ、己の行為を恥ずべきものと感じさせたのだが、無事に戻ってきたハボックの言葉がその苦悩と羞恥心を怒りに変えさせた。
『ラズナー少佐もご無事だったんスね、よかったっス。命あっての物種っスから』
 戦闘経験もない田舎町の住人を引き連れて脱出するのは、考えただけでも途方もない苦労の連続であったろうに、そんな事は微塵も感じさせずに笑うハボックの言葉がラズナーを責め、嘲っているように感じさせた。ハボックという男の人となりを考えれば、その言葉には余計な含みなど全くなくその言葉通りの意味でしかないのは簡単に判る筈だったが、身を守る術のない住民を置き去りに一人逃げた事に負い目を感じていたラズナーにはとてもそうは思えなかった。その上、己の部下だった筈の男はトントンと出世街道を駆け上がり、あっと言う間に自分を追い越して今や大佐殿だ。東方司令部の実質的なナンバー2となり、あの焔の錬金術師として名高いロイ・マスタング少佐を引き連れてこの南方司令部に凱旋している。かつて上司だった己に阿(おもね)るような態度が、ラズナーには馬鹿にされているようで腹が立って仕方なかった。
(見ていろ、あれは単なる幸運だったのだと、私の方が実力が上だと思い知らせてやる)
 ロイを引き連れて己を見下ろすハボックの自慢げな顔を地べたに這い蹲らせてやると、ラズナーはその瞳に昏い炎を燃え上がらせていた。


「ふぇっくしょんッッ!!」
「うわ、きったねぇ!隊長、くしゃみするなら向こう向いて下さいよ」
「ごめ……」
 ズズッと鼻を啜ってハボックが言う。小隊の詰め所の床に座り込んで、短くなった煙草を吸っているハボックにチェンが言った。
「風邪ですか?たい……佐」
「隊長でいいよ、大佐なんて性に合わないもん」
「まぁたそんな事言って、ラズナー少佐の怒り買いますよ?」
 ハボックにしてみればその言葉には言葉通りの意味しかないのだろう。だが、今の軍部にはその言葉の裏の裏を勘ぐりたがる人間が多過ぎた。
「マスタング少佐は怖いし……オレ、ここに帰って来ちゃだめかなぁ」
「大佐」
「やだなぁ、会議も演習も出たくない……」
 ふにゃんと抱えた膝に顎を載せるハボックの姿に、チェン達がやれやれとため息をつく。
「こりゃマスタング少佐にしっかり手綱握って貰わないと駄目だな」
「そうだな……」
 元部下達にそんな事を囁かれているとは気づかずに、来た早々弱音を吐きまくるハボックだった。


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