見毛相犬2  第三十章


 ズザザザザッッ!!
 ガリガリガリッッ!!
 ガガガ────ッッ!!
 ガラスの向こうを木の枝や岩肌がもの凄い勢いで滑り、折れ、弾け飛ぶ。ガンガンと何度も大きな衝撃が襲い、鼓膜が破れるほど大きな音が響く車内で、体が飛び出さないよう必死に手足を突っ張っていたロイは、一際大きな衝撃に襲われて意識がフッと遠ざかった。


「────佐っ、少佐!しっかりして下さいッ!」
 何度も呼ぶ声が聞こえて、ロイはゆっくりと目を開ける。パチパチと数度瞬いてハッとしたロイは、思わず立ち上がろうとした体をシートベルトに引き戻された。
「少佐、大丈夫っスか?」
 そう声がかかって、ロイは声がした方を見る。そうすればハボックがホッとしたような表情を浮かべてロイを見ていた。
「怪我、ないっスか?動けます?」
 そう聞かれてロイは己の体の状態を確かめる。幾つか打ち身はあるものの、特に支障になるものはなさそうだった。
「大事ありません。大佐は?どこか怪我を?」
「オレは平気っス、頑丈なのが取り柄っスから」
 ハボックはそう言ってニッと笑う。だが、次の瞬間申し訳なさそうに眉を下げた。
「すんません、こんなことになっちまって」
「ここは?」
 ロイはそう言って辺りを見回す。だが、窓の外は木の枝と岩肌が見えるだけで状況がよく判らない。時折ギーギーと軋むような音が聞こえて、車が不安定に揺れた。
「カーブを曲がりきれずに道から飛び出したのは覚えてますか?」
「ええ」
 気を失う前の状況をロイは思い出して頷く。そうすればハボックが苦笑を浮かべて言った。
「今この車、斜面の途中に生えてる木に引っかかってるんス」
「えっ?」
 ロイは言われて改めて周りを見る。相変わらずいる場所はよく判らなかったが、そう言われればこのギーギーと軋む音が何を表しているのかが察せられてロイは顔色をなくしてハボックを見た。
「そう。いつ落ちるか判らないんス」
 どんな具合に木が斜面に生えていて、どういう風に車が引っかかっているのかも判らない。車はそれなりの重さがあり、とても斜面に生えた木が長時間支えていられるとは思えなかった。
「大佐」
「大丈夫、脱出出来るっスよ」
 ロイの視線を受け止めてハボックがにっこりと笑う。その笑みがいつもと変わらない事に気づいて、ロイも笑みを浮かべた。
「少佐、これでシートベルト切って下さい。それからゆっくりこっちに来て」
 笑みを浮かべるロイに頷いて、ハボックが手にしたナイフを差し出す。落ち着いてみてみればハボックは既に自分のシートベルトを切っていつでも動けるようにしていた。
「オレが切ってもよかったんスけど、多分こっちが斜面に近い方だと思うんで、バランス崩さない方がいいかなって」
「大丈夫です、自分で切れます」
 ロイはそう言ってナイフを受け取るとシートベルトを切る。ナイフを返し、ロイはハボックをじっと見た。
「ええと、そっちに移るんですか?」
「そうっス。こっちの窓から脱出します。オレの上に乗って構いませんから」
 そう言われてロイはサイドブレーキやらなにやらを動かしてしまわないよう気をつけながら、そろそろとハボックの方へ移動する。「失礼」と一言断ってハボックの膝の上に乗れば、空色の瞳にじっと見つめられてロイは怪訝そうに眉を顰めた。
「なんですか?」
「いや、少佐、思った通り軽いっスねぇ。女の子より軽いんじゃありません?それにいい匂いがして────」
 そこまで言ったハボックは、一瞬にして手にしたナイフを奪われ喉元に突きつけられていることに気づく。テロリストよりも物騒な光をたたえて睨んでくる黒曜石に、ハボックは引き攣った笑みを浮かべた。
「失言でした」
 そう言うハボックにロイはフンと鼻を鳴らしてそっぽを向く。ハボックはアハハと乾いた笑いを零すと気を取り直して言った。
「窓、歪んじまってるらしくて開かないんスよ。ナイフの柄の方使って割って下さい。ただし」
「衝撃はなるべく押さえて、ですね」
「そうっス」
 窓を割った衝撃で車がバランスを崩したりしたら目も当てられない。ロイはハボックの肩に掴まるとナイフを振り上げガラスに叩きつけた。数回叩きつければピシリと音がしてヒビが入る。ロイがヒビの入った箇所を集中的に叩くと漸く窓ガラスに穴が開いた。少しずつ穴を広げガラスの破片を窓の外に落とす。穴が大きくなれば吹き込んでくる雨風に車がゆらゆらと揺れて、二人は無言のまま出来る限りのスピードでガラスを落としていった。少ししてやっと人一人通れる位にまでガラスが外れる。ハボックはロイの手からナイフを受け取りベルトに挟むと窓の外を指さした。
「枝に移ります。あそこ、あれなら結構太いから乗っても大丈夫だと思います。支えますから少佐から行って下さい」
「判りました」
 ハボックが指さす枝を確認してロイが頷く。窓枠に手をかけ頭を窓から出せば、雨がロイの軍服を瞬く間に濡らしていった。
「下から押しますよ?」
「はい」
 片足を窓枠に載せ、体を外に出そうとするロイをハボックが中から押し出す。ロイは手を伸ばして届いた枝を数度引っ張り、大丈夫だと判るとそれを支えに車の外へと出てハボックが指さした枝へと移った。
「少佐?」
「大丈夫です」
 ロイの答えに車の中のハボックが笑みを浮かべる。ロイと同じようにして窓枠を踏み越えてハボックが車の外へと出ようとした時、パラパラと何かが崩れる音がした。
「やば……ッ」
「大佐っ?」
 その音を聞いてハボックが顔を引き攣らせ急いで窓枠をくぐろうとしたその時。
 ビョオと一際強い風が斜面を吹き降りてくる。次の瞬間、ハボックが乗った車がグラリと揺れてゆっくりと斜面と反対側に向かって傾いでいった。


→ 第三十一章
第二十九章 ←