| 見毛相犬2 第二十九章 |
| 来たときと同じようにハボックがハンドルを握り、ロイは助手席で外の景色に目を向ける。行きと違うのは車の中を重苦しい沈黙が支配している事だった。 「橋が架かればみんなの生活がずっと楽になるって言ってたんスよ。それなのに」 その沈黙の中、ハボックがボソリと呟く。それだけ言って口を閉ざせば車内の空気は益々重さを増したように感じた。ロイは真っ直ぐ前を見据えたままハンドルを握るハボックの横顔を暫くの間じっと見つめていたが、やがて口を開いて言った。 「二度と同じ事が起きないように業務を改善させましょう。そのためにも早く帰ってしっかり調査しないと」 そう言うロイをハボックがチラリと見る。それにロイが頷いて見せればハボックが僅かに目を細めて、再び視線を正面に戻した。 「雨」 正面に戻した視線がフロントガラスを濡らす滴に気がつく。そのまま視線を空へと向ければ、さっきまで晴れ渡っていた空はいつの間にか厚い雲に覆われていた。 「急いだ方がよさそうっス」 ハボックはそう言うと視線を戻してハンドルを握り直した。 ラズナーはカーブが続く道を慣れた様子で右に左に車を走らせていく。少し前から雨が降り出していたが、スピードを緩めるどころか寧ろ上げてすらいた。 (一番最初に見たときから気に食わなかった) ラズナーはまだ見えてこない前を行く車のハンドルを握っている筈の男を思い浮かべながらそう思う。そうすれば初めてハボックが配属された日のことが思い浮かんだ。 『ジャン・ハボック少尉っス。よろしくお願いします!』 そう言って満面の笑みを浮かべて笑った若い少尉。その屈託のない笑顔がやけに眩しかった。真っ直ぐな気質とすぐに人の心を掴む明るさが、好ましいと思うと同時に妬ましかった。皆に示す好意と同じものが自分に向けられるのが嬉しいと思うと同時に、同じものを向けられるのが嫌で堪らなかった。側にいて欲しいと思うと同時にいて欲しくなかった。そしてあの日。 『ラズナー少佐、町のみんなを連れて逃げましょう』 上官たちが逃げ出し、無力なばかりか足手纏いですらある住民たちと取り残されて、怒りと失望とで混乱すらしていたラズナーにハボックはそう言った。諦めるということを知らない真っ直ぐな瞳に己の弱さを曝け出されるのが怖くて、ラズナーは独りで逃げたのだ。その時の自分を思いだして、ラズナーはギリと唇を噛んだ。 「消し去ってやる。あんな過去は私には必要ない、あってはならないんだ……ッ」 ラズナーは呻くようにそう言うとアクセルをグッと踏み込んだ。 「雨、酷くなってきましたね」 車の屋根を叩く雨の音が会話を邪魔するほどになっている。フロントガラスをひっきりなしにワイパーがこすっていたが、それすら間に合わないほど雨は激しくなっていた。 「どこかに車を寄せて雨が収まるのを待ちますか?」 ロイはそう言って窓ガラスから外を透かし見る。道は右に左にとカーブの連続だ。幾らハボックの運転技術が優れていると言っても、この雨の中車を走らせ続けるのは至難の業と思えた。 「そんな暇、ないと思うっス」 ハンドルを握ったハボックは、雨が流れるガラスの向こうをしっかりと見据えてそう言う。どことなく焦りの滲む声に、ロイは僅かに眉を寄せた。 「確かに早く調べられるものは調べた方がいいでしょうが、そこまで急がなくても」 雨が過ぎるのを待つ時間くらいあるだろう。ロイがそう思って言った時、ハボックが低く呟いた。 「来た」 「えっ?」 その言葉にロイは後ろを振り向く。ヘッドレストに腕をかけ雨に煙るガラスの向こうを見れば、車のヘッドライトが猛スピードで近づいてくるのが判った。 「ラズナー少佐……?」 その車がこの山道を登る時ついていったそれだと気づいて、ロイはその車の持ち主の名を口にする。ハッとして視線を向けた先のハボックの顔は、辛そうに歪んで泣き出しそうにさえ見えた。 「大佐」 「来ないで欲しいと思ってたんスけど」 「でも、まさかそんな」 ハボックの懸念を察してロイは言う。もう一度振り向けば車のヘッドライトはすぐそこまで近づいてきていた。 「しっかり掴まっててください、少佐!」 「ッ!」 その声にロイは両手でシートをしっかりと掴む。その途端、車が急カーブを切ってロイは横滑りしそうになる体を必死になって支えた。 「来ますっ、気をつけて!」 「うわッ!!」 ハボックの大声に続いてガンッと車の後ろから衝撃が走る。車内をヘッドライトの明かりが不気味に照らす中、ハボックは次の攻撃を避けようとハンドルを切った。 「くぅッ!」 雨の路面を車が横滑りし、かかる負荷に唇から声が漏れる。カーブから車が飛び出さないよう、シフトチェンジしながらハボックはアクセルを踏み込んだ。 「車を当ててくるなんてっ!」 ロイは信じられないという表情で首を捻って背後の車を見る。少しだけ開いた距離は、だがすぐに縮まってヘッドライトの明かりが強くなった。 「下手すれば自分だって落ちるのにっ」 「少佐、喋んない方がいいっス、舌噛むっスよ!」 驚きのあまり叫ぶロイにハボックが言う。次の瞬間再びガンッと大きな衝撃が来て、前に向かって泳ぐ二人の体をシートベルトが引き留めた。 「くそったれ!」 ハボックは低く呻いて必死にハンドルを切り、ブレーキとアクセルを繰り返す。そうするうちに後ろの車との距離があいて、車内を薄闇が支配した。 「諦めた、んでしょうか」 首を捻って背後を伺いながらロイが呟く。ハボックはそれに軽く首を振って答えた。 「そうなら嬉しいっスけど、こんな事して簡単に諦める訳」 ない、とハボックが言おうとした時、前方の斜面を車が横滑りするようにして下りてくるのが目に入った。 「なっ?!」 横滑りして下ってきた車が二人が乗る車の横に並ぶ。運転するハボックの向こう、雨に煙るガラスの中で並んで走る車の運転席にラズナーがいるのをロイが確認した瞬間、ラズナーがハンドルを切った。 「うわッ!!」 ガンッと車体の横に車を当てたまま二台の車が山道を併走する。ギャギャギャと車体がこすれる嫌な音が響き、二人の乗る車が道の端へと押しやられた。 「大佐っ!」 「クソッ!!」 何とか車を道の真ん中へ押し戻そうとハンドルにしがみついたハボックは、目の前に迫る風景に気づいて目を見開いた。 「しまっ……────。」 呻くように言ったハボックが見つめる先に視線を向けたロイの黒曜石が大きく見開かれる。そして。 二人を乗せた車はカーブを曲がりきれず、ガードレールを突き破って宙へと飛び出していた。 |
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