見毛相犬2  第二十二章


「大丈夫か、チェン?」
 てんやわんやの医務室の中、手当を受けるチェンの側に立ったハボックが心配そうにその怪我の具合を覗き込む。そうすれば包帯を巻いていた医療兵がハボックの頭を押しやった。
「大佐、邪魔ですからあちらでお待ち下さい」
「でも」
「大佐」
 おろおろとしながらもその場に踏みとどまろうとするハボックの腕をロイが引く。
「今ここで貴方が出来ることはありませんし、他にもっとやるべきことがあります。判っているでしょう?」
「少佐」
 そう言われてハボックはグッと唇を噛み締める。クシャクシャと髪を掻き混ぜてクルリと背を向けると大股に医務室を出ていく背を、ロイは追って部屋の外へと出た。
「幸い軍病院にかつぎ込む必要があるほど大怪我をした者はいないようです」
 爆風に煽られて転倒し、脳震盪を起こした者がいただけで後は皆擦り傷や打撲ばかりだと、ロイがハボックを安心させるように言う。それに答えずドカドカと廊下を歩いてこちらにいる間二人にあてがわれた部屋まで戻ると、ハボックはドサリとソファーに腰を下ろした。
「処理は?」
「……ラズナー少佐が火薬の配合ミスで始末書を出したようです」
 そう聞いてハボックはバンッとテーブルを叩く。それを見てロイが尋ねた。
「ミスなどではなく故意に仕組まれた事だと訴えますか?」
「ラズナー少佐がやったという証拠はないっス」
 起爆装置の残骸が見つかっているからミスではないと訴える事は出来ても、それを仕組んだのがラズナーだという証拠はない。
「探ったところでラズナー少佐が自分がやったっていう証拠を残してるとは思えない」
 かつての上官の性格と能力を鑑みてハボックは言う。
「赦せないのはチェンや新兵たちを巻き込んだって事っス。オレが気に食わないなら直接オレを攻撃すればいい。それをこんなやり方……ッ」
 テーブルを叩いた手を爪が刺さるほど握り締めてハボックはロイを見た。
「自分の部下に、まだまだこれから育てて行かなきゃならない連中に、どうしてあんな事出来るんスかッ?ふざけんなッ!!」
「大佐」
 いつものほほんとしているハボックが激昂して声を荒げるのを、ロイは目を見開いて見つめる。返す答えを見つけられずに、それでもロイはその黒曜石でハボックをじっと見つめ続けた。そうすればその感情を抑えた黒い輝きに、ハボックも小さくため息をついて一度目を閉じた。
「……すんません」
「いいえ」
 閉じた目を開いた時にはハボックの怒りを伺わせるのは、鋭い光を宿す空色だけになっていた。そんなハボックを見てロイは尋ねる。
「これからどうしますか?」
 そう聞かれてハボックは少し考えてから答える代わりに質問で返した。
「少佐はオレがこのまま尻尾巻いて逃げ帰ったら全部終わると思うっスか?」
「思いません」
 即答されてハボックが目を見開く。肯定して欲しかったのだろうかと思いながらもロイは正直に思うところを口にした。
「このまま終わるにはもうラズナー少佐の行為は常軌を逸してます。貴方が東方司令部に帰ったとしても何らかの方法で仕掛けてくると考えてまず間違いないでしょう。直接仕掛けてくるならまだいい、今回のようにかつての貴方の部下や友人を標的にする可能性だってあります」
「ッ?!」
 ロイの言葉にハボックが弾かれたように立ち上がる。その瞳に怒りを燃え上がらせて見下ろしてくる空色を平然と受け止めて、ロイは続けた。
「あくまで可能性の問題ですが、貴方とラズナー少佐の性格を考えたらむしろ可能性は高いと言えるでしょう」
「そんなこと絶対させないっス」
 低い声で呻くようにハボックは言う。普段のハボックを知っている者が聞いたなら、彼にこんな一面があったのかと驚くかもしれない。それほどまでに激しい怒りを垣間見せるハボックをロイはじっと見つめた。その視線を受け止めていたハボックは、ドサリとソファーに体を戻す。ガリガリと頭を掻いたハボックがロイに視線を戻した時には、いつもの飄々とした笑みを浮かべていた。
「いつも少佐はすげぇって思ってるっスけど、やっぱすげぇっス」
「私はなにもしていませんが」
「そんなことねぇっしょ?さっきだって少佐がいなきゃオレはラズナー少佐の思惑通り崩れた建物の下敷きになってぺっしゃんこだった。今も怒り狂って自分を見失いそうなオレを宥めてくれたし。やっぱすげぇっス」
「そうまで言われるほどの事はしていません」
 ハボックの言葉にロイは小首を傾げて言う。実際演習の時はともかく、今は大したことは言っていないと思えた。
「んー、でもやっぱ少佐がいてくれてよかったって思います」
 ありがとう、とにっこり笑って言われ、ロイは面映ゆそうに目を逸らすとコホンと一つ咳払いをする。それから改めてハボックを見つめて尋ねた。
「では、これからの事ですが」
「うん。このまま東方司令部に帰っても終わらないならなんとかしないとっスね」
 そう言ってハボックは考え込むように腕を組む。
「次に仕掛けてくるとしたら視察の時でしょう」
「橋梁工事のっスね」
「ええ、クレタの近くです」
 そう言われてハボックは目を見開いた。ポスンとソファーの背に頭を預けると呆然と宙を見上げる。
「それ、もしかしなくても今回の山場じゃないっスか」
「そうですね、ラズナー少佐には忘れたくても忘れられない場所でしょう」
「…………来るんじゃなかった」
 出張に来たことを今更ながらに激しく後悔してハボックが呟くのを聞いて、ロイは苦笑した。得てして片方がひどく気にかけていることを、もう片方は全く気にしていなかったりするものだ。だからこそそこに恨みつらみや憎しみが生まれるのだろう。
 かつて彼らが死に物狂いで逃げ出した土地で一体なにが待っているのか、ロイはがっくりとソファーに沈み込むハボックを見つめながら考えていた。


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