見毛相犬2  第十九章


 南方司令部の敷地の端に位置する演習用の模擬市街地。日が沈みとっぷりと暮れたその場所にコツコツと誰かの足音が響く。小さなライトを手にした誰かは、他に人影もなく不気味に静まり返った偽物の街を時折足を止めながら歩き回った。そうして最後に満足げに低い笑い声を漏らすと歩み去る。チラチラと揺れるライトの光がなくなった偽物の街は、これから起きることを楽しもうとするかのようにその懐に仕込まれたものをそっと押し隠した。

「少佐は会議、好きっスか?」
「好きとか嫌いとか考えたことはありません」
 朝食の席、スクランブルエッグをグチョグチョと掻き回しながら尋ねるハボックに、ロイはコーヒーを手に答える。かけたトマトソースがすっかりと混ざって、オレンジ色のペーストのようになってしまったスクランブルエッグを見て、ロイは眉を顰めた。
「あまり混ぜない方がいいんじゃありませんか?」
 どうやって食べようが本人の勝手だし口出しするつもりはなかったが、ベチョベチョになってしまったスクランブルエッグが哀れでロイは思わずそう口にする。だが、ハボックは掻き混ぜる手を止めずに言った。
「本当に?本当はいっつも嫌だなぁとか思ってるんじゃないっスか?」
 ジーッと上目遣いに見つめられて、ロイは飲もうとして口を付けたカップから唇を離す。カチャリと皿にカップを戻してため息をついた。
「それはまあ、くだらない会議が多くてうんざりすることはありますが」
「なんでみんなあんなに会議が好きなんだろう」
 毎日毎日続く会議にハボックはうんざりしてため息をつく。ペースト状のスクランブルエッグをグルグルと勢いよく掻き回すハボックにロイは言った。
「文句を言ったところで会議はなくなりません。それより早く食べて行きませんと遅刻しますよ。もう食べる気がないなら行きましょう」
 掻き混ぜるばかりで口を付けようとしないのを見てロイが言えば、ハボックが慌てて背筋を伸ばした。
「いや、食いますよ。ちょっと待ってください」
 ハボックはそう言うとスクランブルエッグの皿を持ち上げそのまま口元に持っていく。グチョグチョのスクランブルエッグを流し込むのを見て、ロイは込み上げてくるものに口を押さえた。
「ごちそうさま。……どうかしたっスか?」
「いえ……暫く卵料理は食べたくなくなりそうです」
「へ?」
 朝食代わりのコーヒーすら半分も飲まないまま席を立つロイに、ハボックは不思議そうに首を傾げた。


「大佐、大丈夫ですか?」
 午前中みっちり続いた会議を終えて、フラフラしながら会議室を出るハボックに続いたロイは背後からそう尋ねる。横に並んで見上げたハボックの顔色があまり優れないのを見て、ロイは眉を寄せた。
「朝食べたスクランブルエッグが胃に凭れてる気がするっス」
 口元を押さえて言うハボックの言葉に、ロイは「ああ」という顔をする。
「そりゃああんな食べ方すれば」
 粗末にされたスクランブルエッグも逆襲の一つもするだろうとロイが思っていれば、ハボックがうっぷと派手にゲップした。
「大佐」
「すんません」
 わざとじゃないのは判っていても思わず責めるように睨むロイに、ハボックが首を竦めて謝罪する。食堂に向かって歩きながらロイは一つため息をついた。
「昼食はどうします?その調子じゃ無理そうですね」
「え?食いますけど」
「は?」
 思ってもみない返答にロイは思わず足を止める。数歩進んで不思議そうに振り返るハボックにロイが言った。
「胃の調子が悪いんでしょう?そう言うときは普通食べないんじゃないんですか?」
「そんなメシ抜くなんて勿体無いこと出来るわけねぇっしょ」
 食います、とヨロヨロしながら食堂に入っていくハボックの背を見つめて。
「なんて食い意地が張ってるんだ」
 呆れたように呟くロイだった。


 そして。
「やっぱ食うんじゃなかった……」
 演習場に向かう廊下の途中、ゴンと壁に額をぶつけるようにして寄りかかるハボックをロイはうんざりとしたような目で見つめる。
「だから昼食を抜いた方がいいのではと言ったんです」
「だって、メシ抜くなんて考えらんないもん」
「まったくもう」
 多量のため息と共に言葉を吐き出したロイは、ハボックを置いて医務室に行って胃腸薬を貰ってきてくれた。
「ありがとうございます、少佐」
 ハボックは礼を言うと貰った胃薬を口の中に放り込む。腹をさすりながら演習場の一角に設けられた模擬市街地に入っていった。
「大佐!」
 ハボックとロイの姿を見つけて、準備をしていたチェンが駆け寄ってくる。ヘロヘロとしたハボックの様子にチェンは尋ねるようにロイを見た。
「胃の調子が悪くてね」
「珍しいこともあるもんですね」
 意外そうに目を瞠るチェンにロイは苦笑する。その時、コツコツと足音がしたと思うと、ラズナーが近づいてきた。
「ハボック大佐」
 その声に三人が一斉にラズナーを見る。ラズナーは薄く笑みを浮かべてハボックに言った。
「今日はチェン少尉の部隊をテロリストに見立ててその拠点を攻略する訓練を行います。大佐には是非新兵の部隊に加わって頂いて、実地での助言を頂ければと────」
「あー、すんません、少佐」
 そう話すラズナーの言葉をハボックが片手を上げて遮る。上げた手で頭をボリボリと掻いてハボックは言った。
「申し訳ないんスけど、ちょっと腹の調子が悪いもんで演習の参加は遠慮させて貰います」
「は?しかし」
「途中で腹下してトイレに駆け込むような事になったら困るっしょ?演習の様子は街の櫓の上から見せて貰うっスから」
 ハボックはそう言うと、街のほぼ中心に位置して街の様子を一望出来る櫓へとロイを促して歩き始める。その背を目を見開いて見送ったラズナーの顔が怒りに醜く歪むのを、後に残ったチェンが息をのんで見つめていた。


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