見毛相犬2  第十二章


「おはようございます、大佐」
 二度目のノックで開いた扉にロイはほんの少し驚いた顔をする。朝食を取るためにホテルのレストランに向かって歩きながら、ロイは思ったままを口にした。
「今朝はちゃんと起きられたんですね」
「あはは、目覚ましはかけてたんですけどね、実はチェンにモーニングコールで起こして貰いました」
「なんだ」
 ほんの少し見直したのは必要なかったらしい。肩を竦めればショボンと項垂れるハボックに、ロイはやれやれとため息をつく。
「まあ、いずれにせよ初日からは大きな進歩です」
 大騒ぎだった最初の朝を思えば大した進歩だ。そう言えばパッと顔を輝かせるハボックを見て、ロイはなんだか小さな子供の子守をしている気になった。
「今日も新兵の演習あるんスよね」
 相変わらず朝からガッツリ食べながらハボックが言う。その楽しそうな様子にロイはコーヒーにフウフウと息を吹きかけて言った。
「あれ?お嫌なんじゃないんですか?」
「偉そうに訓辞を垂れるのは嫌っスよ、オレ、そんな立派なこと言えないし。でも、一緒になってやるなら楽しいっス」
 求められているのはちょっとばかり違う事のような気がすると思いつつ、ロイはとりあえず何も言わないでおく。せっかくやる気を起こしているところを下手な事を言ってそのやる気を殺いでしまってはつまらない。ロイがそんな事を考えているなどとは全く気づかず、ハボックは上機嫌で朝食をぺろりと平らげて満足げなため息をついた。
「せっかく二人で来てるんスから担当分けるってのも手だと思うんスけど」
「担当を分ける?」
「いやだからオレが演習で少佐が会議とかいいと───」
「大佐」
 言いかけた言葉を温度の下がった声で遮られてハボックはピンと背筋を伸ばす。ジロリと睨まれてハボックはガタガタと立ち上がった。
「遅刻したら拙いっスからそろそろ行きましょうかッ」
「朝一番は」
「会議っスよね、判ってます!」
 ロイにしまいまで言わせずハボックが言う。じっと見つめてくる黒曜石がほんの少し和らいだのに気づいて、ハボックはホッとため息をついた。


「おはようございます、大佐、少佐」
 今日もまた迎えに来たチェンが様子を伺うように二人の顔を見る。朝の挨拶を返してきた二人と車の方へ歩いていきながらチェンはハボックに言った。
「よかったですね、大佐。今日は雷落ちなかったようで」
「ちょっと危なかったけどな」
「まさかあの後二度寝したとか言わんでくださいよ?」
 わざわざモーニングコールしたのにと眉を寄せるチェンにハボックは違う違うと手を振る。チラリとロイの顔色を伺ったハボックが言った。
「それより例のもの、用意してくれた?」
「ええ、一応。でも急だったし数あわせるのに相当ボロいのもありますけど」
「構わないよ、どうせ一回こっきりだし」
 車に乗り込みながらそんな会話を交わす二人にロイが首を傾げる。
「例のものってなんです?」
「え?ああ、ちょっと今日の演習の前に使おうと思って」
 ニコニコと楽しそうな笑みを浮かべるハボックに、ロイはなんだか不安になった。
「大佐、また妙な事考えてるんじゃないでしょうね?」
「妙なこと?オレ、今まで妙なことなんてしてないっスよ」
「あんな訓辞しておいて」
 心外なという顔をするハボックにロイはボソリと言う。それでも“それがなにか?”という顔をしているハボックを見れば、ロイは言っても無駄と悟ってハンドルを握るチェンに視線を向けた。
「チェン?」
「この一年の目標を書いて貰うんだそうです」
「目標を?書いて貰う?」
「まあ、その時になれば判るっスよ」
 チェンの答えにも首を傾げているロイにハボックは楽しそうにそう言った。


「チェン!」
 午前中の会議を何とか乗り切り、演習の前に新兵を集めた会議室の前で立っていたハボックは、荷物を抱えたチェン達が廊下を歩いてくるのに気づいて手を振る。かつての部下達は上官の急な頼みにも嫌な顔一つせず、用意したものをハボックとロイの前に運んできた。
「はい、大佐。頼まれていた書道具一式」
「サンキュ、悪いけど中まで運んでくれ」
 ハボックの言葉に頷いて中に運び込むチェン達を見ながら目を丸くしたロイがハボックに言う。
「書道具一式?なにに使うんです?」
「見てれば判るっスよ」
 ハボックがそう答えた時、荒々しい靴音と共に大きな声が聞こえた。
「ハボック大佐、なにをなさってるんです?」
「ラズナー少佐」
 その声に振り向けばラズナーが肩を怒らせて立っている。ラズナーはズカズカとハボック達に近づいてくると、長身のハボックを睨み上げて言った。
「演習の時間だというのに姿が見えないと思ったら、こんなところに新兵を集めてなにをやってらっしゃるんです?!」
 予定をなんだと思っているのだと詰め寄るラズナーをまあまあと宥めてハボックが言う。
「みんなにこの一年の目標を書いて貰うんスよ」
「目標?訳の判らない事を言っていないで、すぐさま演習場に皆を戻して決められた予定を始めさせて下さいッ」
「大して時間は取らないっスよ───よし、みんな。全員のところに墨と筆、それから半紙は配られたな?」
 目を吊り上げて詰め寄るラズナーを()なしてハボックは居並ぶ新兵達を見回した。
「今からその半紙にそれぞれ今年一年の目標を書いてくれ」
 ハボックがそう言えば会議室の中がざわめく。一番前の机に座っていたリュウが手を挙げて発言の許可を求めた。
「なんだ、リュウ?」
「目標を書くとは具体的にどう言ったことを書けばいいのでしょうか?」
 上官の真意を量りかねて尋ねればハボックが答える。
「ん?そうだな、例えばこの一年で射撃の腕を上げたければ“射撃”と書けばいい。具体的なものでなくても構わない、この国の平和を目指すのが一番の目標なら“平和”と書けばいいし、家族を守りたいなら“家族”と書いてもいい。そうだな、自分の心構えなんかでもいいぞ」
 ニコニコと満面の笑みを浮かべてハボックが言うのを聞いて、ラズナーが食ってかかった。
「わざわざ演習の時間を潰してなにをするのかと思えば!くだらないッ、こんな事をして何の意味があるんです?何の役にも立たないでしょうッ?!」
 馬鹿馬鹿しいと吐き捨てるラズナーを見て、ハボックがプカリと煙草の煙を吐き出して言う。
「そんなことないっスよ。少なくとも何かあったときに思い出せばもう一踏ん張り頑張る力になる。例えば射撃の訓練が上手くいかなくて嫌になったら、あの時オレは射撃の腕をここまで上げるって決めたじゃないかって思えばもう少しやってみようかって思うっしょ?敵に攻め込まれてもう駄目だって思った時、家族を守るって誓ったと思い出せば敵を跳ね返す力になるっしょ?」
「そんなの、ただの思いこみだ。精々暗示にしかならん。大切なのは実際に訓練を重ねて経験を積み上げることだ」
 ハボックを睨みつけてラズナーが言えば、ハボックが答えるより早くロイが口を挟んだ。
「いや、確かに大佐の言うことには一理あるでしょう。一年の計はなんとやらと言いますからね、最初に目標を掲げるのはいいことだ」
「俺達も大佐がいた頃は書かされましたよ、結構励みになりましたね」
「だろ?」
 チェンが言えばハボックがウィンクする。そんな上官達のやりとりを聞いていたリュウが言った。
「では、自分の場合“棒術”と書くのでもいいのでしょうか」
「勿論!今度は優勝目指して頑張れ」
「はいっ、頑張りますッ!」
 ハボックに言われてリュウが背筋を伸ばして答える。早速筆を取り半紙に書き出せば、他の新兵達もそれぞれに考えては半紙に書き始めた。その様子を見て、ラズナーはぶるぶると拳を握り締めていたが、なにも言わずに出ていってしまう。その背を見送って、ロイはやれやれとため息をついた。そうして新兵達の間を歩いてなにやら言っているハボックを見ながら傍らのチェンに尋ねる。
「それで?大佐自身はなんて書いたんだ?」
「あんまり聞かない方がいいと思いますけど」
 そう言われて、だがロイは促すようにチェンを見た。
「何回かやりましたけどね、一回目は“安楽”で二回目は“人任せ”、三回目は───」
「もういい。聞いた私が馬鹿だった」
 聞くだけ無駄と遮って、ロイはうんざりとため息をついた。


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