見毛相犬  第八章


 司令室からの帰り道、車の窓をよぎった洋菓子店の灯りにロイは車を止めるように言う。ロイは車を下りると金色の流れるような書体でミシェルと書かれた店の中へと入った。ショーケースの中に並んだ色とりどりのケーキを眺める。その中からフルーツと生クリームで綺麗にデコレーションされたものを買い求めると、店を出て車に戻った。
「ご苦労だった」
 ロイは車を運転していた警備兵にそう言って下りると、門を開けステップを上がる。扉を開けて中に入ったロイが灯りをつければ、それを確認した警備兵が車を走らせ去っていった。
 やたらと広いその家で、まだ独身のロイは一人で暮らしていた。一人で住むには広いが大量の本を持ち込むには丁度よく、リビングとダイニング、キッチンと寝室以外にいくつかある部屋は、多かれ少なかれ本の山に占拠されているような状態だった。
 ロイはリビングに入ると来ていたコートをソファーの上に放り投げ、ダイニングへと入っていく。テーブルの上にケーキの箱を置き、キッチンでティーパックの紅茶を淹れてダイニングに戻ってきた。買ってきたケーキを広げると早速食べ始める。一口食べたロイは、フォークをおいてケーキをじっと見つめた。
「司令室で食べたケーキの方が旨かった気がする……」
 そう呟いてもう一口食べる。司令室で食べたフルーツと生クリームがたっぷり載ったケーキが旨くて無性に食べたくなり、似たようなケーキを買ってきたのだが、思っていたのとはまるで違うその味にロイはがっかりとため息をついた。もうそれ以上食べる気が失せて、ロイは立ち上がると冷蔵庫の中を覗く。ろくに料理もしない家の冷蔵庫にはミネラルウォーターとチーズくらいしか入っておらず、ロイはもう一度ため息をついて扉を閉めた。
「仕方ない、食べに行くか……」
 ケーキで夕飯を済ませるつもりだったのだが、あのケーキはさっぱり食べる気になれない。大好きなミシェルのケーキなのに、と首を捻りながらロイはもう一度コートを手に取ると夜の街へと出かけていった。


 ハボックはジャンパーのポケットに手を突っ込んで鼻歌交じりに通りを歩いていく。一生懸命作ったケーキが思いの外好評で、ハボックはすっかり上機嫌だった。
「少佐も旨いって言ってくれたし、これで少しは点数挽回出来たかな」
 そう呟きながら覗いた店で食材を買い込んでいく。ロイに言ったらケーキでなく仕事で挽回してみせろと言われそうなものだが、何にせよ少しは印象がよくなったであろう事に、ハボックは満足していた。
「チキンを粉つけてカリッと焼いて……ジャガイモでスープでも作りゃ簡単に出来るな。んじゃ後はパン買えばいいか」
 ハボックは買い込んだものを見ながらブツブツと言うと、パン屋に向かって歩きだした。


「何を食べよう……」
 腹が減ってはいるもののこれという当てがあるわけでもなく、ロイは横目で店の看板を見ながら歩いていく。手書きで書かれた本日のメニューを見ても、どれも大して食欲をそそらなかった。
「……めんどくさい」
 つらつらと眺めているうちにだんだんと面倒になってくる。もともと食事に関してはいい加減なところのあるロイは、今夜はもうワインでも飲んで済ませてしまおうと決めると、前に進んでいた足をいきなり止めて180度向きを変えた。
「うわっ!」
「あっ」
 あまりに唐突な方向転換に、ロイのすぐ後ろを歩いていた男達がよけきれずにぶつかってしまう。ドンッとよろめいてしまった男が、カッとなってロイを睨んだ。
「てめぇッ、どこ見て歩いてんだッ」
「……それはこっちの台詞だ」
「んだとぉっ!てめぇがいきなり振り向くからぶつかったんじゃねぇか!」
「ちゃんと前を見て歩いてない方が悪い」
 全く悪びれた様子もなくそう言うロイにぶつかった男が目を吊り上げる。今にも殴りかかりそうな男を連れの男が腕を引いて止めると言った。
「落ちつけって。どうやらこのねぇちゃんは礼儀を知らないらしいな。俺達で教えてやろうじゃないの」
 ニヤリと笑って言えば他の男達も頷く。ぶつかった男もそれはいいとばかりにロイに向かって言った。
「なるほど、確かに礼儀ってものを知らんようだ。俺達で教えてやるよ、おねぇちゃん」
そう言って男はロイの腕を掴む。ニヤニヤと笑う男の手を乱暴に振り払ってロイは言った。
「誰が“おねえちゃん”だッ!私は男だッ!!」
 そう言うロイを男達は頭のてっぺんからつま先までジロジロと見る。黒いコートに身を包んだロイはどう見てもボーイッシュな美女にしか見えない。男達はゲラゲラと笑ってロイを取り囲んだ。
「そんなこと言って逃げられると思ってんの?」
「笑えない冗談はいただけないぜ」
「くだらない事言ってないで、俺達に礼儀を教えてくださいって言ってみな」
 そう言いながら手を伸ばしてきた男を、ロイはいきなり殴りつけた。
「ガハッ!」
 不用意のまま鼻を殴られた男が鼻血を出して蹲る。思いがけない反撃に男達は色めき立った。
「このアマっ!こっちが下手に出てりゃいい気になりやがってッ!」
「女だからってただじゃおかねぇッ!」
「……だから私は女じゃないと言うのにっ」
 男達の言葉にロイはキッと目を吊り上げて一番手前にいる男に殴りかかっていった。


 パンを買って店から出てきたハボックは、なにやら人だかりが出来ているのを目にしてそちらに向かって歩き出す。一番後ろにいる野次馬にどうしたのかと尋ねれば、男は興奮した様子で答えた。
「喧嘩だってよ。しかも美女一人に男五人だぜっ」
「喧嘩?しかも女の子って……誰か助けてやれよ」
 ハボックは眉を顰めてそう言うと野次馬をかき分けて前に進む。一番前まで来たハボックは、殴り合いをしている中に見知った顔を見つけて目を丸くした。
「え…?ちょ……少佐ッ?!」
 驚いて思わず大声を上げればロイがこちらを見る。ハボックの姿をみつけて目を瞠ったロイの動きが一瞬止まったところに、男の一人のパンチがロイの鳩尾を抉った。
「……ッッ!!」
 微かに呻いてよろめいたロイに男達が襲いかかる。ハッとしたハボックは手に持っていた袋を隣の男に押しつけた。
「ちょっと持ってて!」
 そうして喧嘩の中に飛び込むと、一番手近の男の襟首を掴んで振り向かせる。
「な…っ?」
 振り向いた男の顔を殴り飛ばすともうそれには目もくれず、次の男の腹に思い切り蹴りを叩き込んだ。
「グハッ!!」
 叫んで野次馬の中に男が吹き飛び悲鳴が上がる。ハボックは一言も発することなく残りの男達をあっと言う間に叩きのめしてパンパンと手の埃をはたいた。
「一人を大勢でなんて卑怯なことすんじゃねぇよ」
 低い声でそう凄めば男達が這々の体で逃げ出していく。ハボックは一つ息を吐いてそれを見送ると跪くロイに向かって手を差し出した。
「大丈夫っスか?」
「お前……」
 チンピラ相手とはいえものの数分で五人もの男を叩きのめしてしまったハボックをロイは目を見開いて見つめる。自分を見つめたきり動こうとしないロイに、ハボックは心配になって膝をつくとロイの顔を覗き込んだ。
「どこか痛めたんスか?」
 そう言って間近から見つめてくる空色の瞳にロイはギョッとして慌てて立ち上がる。膝をついたまま見上げてくるハボックに向かって言った。
「別にどこも痛めてないっ」
 何故だか赤くなる顔を誤魔化すように乱暴に言ってロイは野次馬をかき分けて歩き出す。ハボックは預けた荷物を慌てて受け取るとロイを追いかけた。
「待って、少佐!」
 駆け寄ったロイの隣に並んで歩きながらハボックが言う。
「こんなところで会うなんて珍しいっスね。どっか行くところだったんスか?」
 そう聞かれてロイは食事をする為に出てきたことを思い出した。
「食事をしようと思ったんだが、食べる気が失せた。帰る」
 そう短く言って足を早めるロイに、ハボックは一瞬足を止めたハボックは再びロイに走り寄って並ぶと話しかける。
「だったらうちに来て食いません?オレ、丁度これからメシ作るところなんスよ」
「え?」
 そう言われて今度はロイの方が足を止めた。
「オレんちすぐそこなんで。一人分作るのも二人分作るのも手間変わんないし、一人で食うより二人で食う方が旨いし、ね?」
 そう言って笑う空色の瞳に引き込まれるように、ロイは知らず頷いていた。


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