見毛相犬  第七章


 ヤバいなぁ、どうしようとハボックはロイの顔を伺う。甘いもの好きならケーキがあれば、とりあえず今日の逃亡に関しては大目に見てもらえたかもしれないが、一人分だけ足りなかったとなれば逆効果もいいところだ。案の定、書類を書いていたロイは、顔をあげるとハボックをジロリと見て言った。
「大佐。ケーキまで買って休憩を楽しんでこられたなら随分とリフレッシュされたでしょう?それならサインもさくさくと書いてもらえそうだ」
「えっ?あ、いやその……」
「ご休憩の間に随分書類が溜まっているようですよ。早くしないと残業になるんじゃありませんか?」
 ギクリとするハボックにロイが笑って言う。その綺麗な笑顔の中で黒曜石の瞳だけが笑っていないのが、もの凄く恐ろしかった。
「そ、そうっスね。残業にならないように頑張らないとっスよねっ」
 へへへと頭を掻きながらハボックは笑ってみせる。そのハボックにフンッと鼻を鳴らすとロイは書類を手に出ていってしまった。
「ど、どうしようっ、大将っ」
「知るかよっ、言っとくけど俺のせいじゃないからなっ」
 エドワードはそう言って縋りついてくるハボックの手を邪険に払いのけると司令室を飛び出す。残った部下達を見回せば、目があったホークアイがため息をついて言った。
「子供じみたへそ曲がりですから、放っておけばじき収まりますわ」
「いや、でも…っ」
 そうでなくとも自分はロイの覚えがめでたくないのだ。その上こんな事で失点を重ねてどうしろというのだ。
 だが、ホークアイはそんなハボックの思惑など素知らぬ顔でピシャリと言ってのけた。
「大佐、もうケーキの話はおしまいにしてさっさと書類に取りかかってください。終わらなければ冗談抜きで残業ですから」
 そう言われてハボックは「うっ」とつまるとすごすごと執務室に入っていく。中に入った途端目に飛び込んできた格子のはまった大きな窓にハボックはげんなりと肩を落とした。
「これじゃあ牢屋か檻だっていうの……」
 ハボックはそう呟いて窓に近づく。太い格子を握り締めてその間から空を見上げた。
「せっかくの綺麗な空なのに」
 勿体ないとため息をついて、ハボックはこれ以上不評を買うまいと、大量のミミズを書類に書き込んでいったのだった。


「お、終わった……」
 ハボックは最後の書類にサインをしたためると机に突っ伏す。結局サボりまくっていたのが響いて、時計の針は終業時間より二時間ばかり多く回っていた。
「疲れた……コーヒー飲みてぇ」
 ハボックがそう呟いた時、コンコンとノックの音が響く。「どうぞ」と言うハボックの声に答えて開いた扉の向こうに立っていたのはロイだった。
「失礼します」
 ロイはそう言って中に入ってくると手にしていたトレイからコーヒーのカップをハボックの前に置く。驚きに見開いて見上げてくる空色の瞳を見返してロイは言った。
「そろそろ終わった頃かと思いましたので」
「あ、うん。丁度終わったとこ」
「それはよかった。では頂いて参ります」
 決済済みの箱の中から書類の束を取り上げながらロイは言う。ハボックはロイの白い顔を見上げて尋ねた。
「もしかして待っててくれたんスか?」
「今日中に提出しておければ私も助かりますから」
 肩を竦めてそう言ったロイは書類を手に執務室を出ていこうとする。その背を慌てて呼び止めるとハボックは振り向いたロイに向かって言った。
「あのっ、待っててくれてありがとうございます、少佐。……その、待たせたお詫びに一緒にメシでもどうっスか?」
 半ば尻を浮かせてそう言うハボックをロイは無表情にじっと見つめる。次の瞬間ふわりと笑って言った。
「せっかくですが約束がありますので。それに待っていたのはあくまで私の為ですから」
 失礼します、とロイは言うと執務室から出ていく。パタンと閉まった扉をじっと見ていたハボックは、ドサリと椅子に腰を下ろした。両手で頬を押さえれば、そこは随分と熱くて自分の顔が赤いのだと気づく。ロイが置いたカップをじっと見つめて呟いた。
「すっげぇ可愛いかも」
 自分が悪いとは言え昼間はあんなに恐かったロイが、わざわざ書類が終わるまで待っていてくれただけでも驚きなのに更にコーヒーのおまけまで付いたとなれば感動も一入だ。その上。
「あの笑顔は反則だろう……」
 あんなに可愛らしく笑うのだなんて知らなかった。出来る事ならもっと見てみたいと思う。
「一緒にメシ、食いたかったなぁ」
 そう呟けば約束があると言っていたロイの言葉が蘇った。
「デート……だよな」
 あの容姿であの若さで国家錬金術師だ。デートの相手など掃いて捨てるほどいるだろう。
「あーあ、オレなんて相手にもされないって」
 ろくに仕事もできないサボり魔と思われているに違いない。
 ハボックはため息をつくとぬるくなったコーヒーを啜ったのだった。


「おはようっス」
 ガチャリと司令室の扉を開けてハボックは声をかける。そうすれば既に来ていた部下たちが口々に返して寄越した。
「少佐は?」
 いつもならとっくに来ているはずのロイの姿がない。空っぽの席を指さしてハボックが尋ねればフュリーが答えた。
「朝一番の会議でもう行かれましたよ」
「なんだ、そうなのか」
 がっかりした様子のハボックにフュリーは首を傾げる。小さな紙袋を手に肩を落として執務室に入っていくハボックに言った。
「少佐が戻ったらそちらに行くよう伝えましょうか?」
 その声にハボックは振り向いてフュリーを見る。まっすぐに見つめてくる空色の瞳になんとなく居心地が悪くなってきた頃、ハボックはもの凄い勢いでフュリーの傍まで来るとその耳元に囁いた。
「あのさ、少佐が戻ってきたら教えてくれる?」
「用事なら執務室の方がいいんじゃないですか?」
「少佐のこと呼びつけるなんて出来ないだろっ」
 自分の方が階級が上であるにもかかわらずそんなことを言うハボックにフュリーは思わず噴き出してしまう。慌てて表情を取り繕うフュリーにハボックは言った。
「とにかく戻ってきたら教えて、ね?」
「判りました、大佐」
 フュリーが頷くのを確認してハボックは執務室に戻っていく。
「面白い人だなぁ」
 パタンと閉まる扉を見つめてフュリーはおかしそうに言ったのだった。


「大佐っ、戻ってきましたよっ」
 扉の隙間から聞こえるフュリーの声にハボックは椅子から飛び上がる。机の上に置いてあった紙袋を引っ掴むと執務室から出た。
「会議お疲れさまっス、少佐」
 ハボックはそう言いながらロイの机に歩み寄る。なんなんだ、という表情をしながら見上げてくる黒い瞳に微笑んでハボックは言った。
「あの、これ、今日はちゃんと人数分用意したんでっ」
 ハボックはそう言いながら紙袋の中身を取り出す。中から出てきたフルーツと生クリームで飾られたケーキにロイは目を丸くした。
「私は別にケーキなんて」
「ま、ま、そう言わず、みんなもどう?ちょっと休憩」
 ね?と言えば昨日のケーキの味につられて集まってくる。小さなカップに入ったケーキとフォークを配れば、一口運んでフュリーが目を瞠った。
「おいしいっ!昨日のミシェルのケーキよりおいしいかも!」
「確かに、これは旨いですな」
「本当、上品な甘さね」
 ファルマンに続いてホークアイさえそう言うのに、流石のロイも我慢できずに手を伸ばす。フォークで切ってひと口口にしたロイは目をまあるくした。
「おいしい……」
「よかった、口にあいました?」
 へへ、とハボックが嬉しそうに笑う。パクパクとあっと言う間に食べてしまったフュリーが皿まで舐めたそうに見つめながら言った。
「これ、どこのケーキですか?僕も買いに行こうかなぁ」
「あ、これ?オレが焼いたんだよね」
「えっ?大佐がっ?」
 ボリボリと恥ずかしそうに頭を掻きながらハボックが言う。ちらりとロイを見やり、驚きにポカンとしている黒い瞳にニコッと笑った。
「えーっ、すっごい美味しかったですよっ」
「ありがとう」
 次々と驚きの言葉を口にする部下たちに照れくさそうに答えるハボックを、ロイは意外なものを見るように見つめていた。


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