見毛相犬  第六章


「失礼しまーす」
 ノックをして執務室の扉を開いたフュリーは、もぬけの殻と化している室内に「あっ」と顔を歪めた。
「少佐ァっ!」
 書類を握り締めて飛び出してきたフュリーにロイの眉間の皺が深くなる。
「またか」
 うんざりしたようにそう言って立ち上がったロイは、フュリーと入れ替わりに執務室に入ると中を見回した。
 ハボックが東方司令部に来てから早半月。その間にハボックが逃亡した回数は既に両手の指でも足りなかった。逃亡する理由の第一位は「サインするのが嫌だから」だ。くだらない書類が数多くを占める中、ロイとて時折嫌になることがないといったら嘘になる。だが、ハボックがサインをするのを嫌がるのは「字がヘタクソだから」というしょうもない理由だった。確かにハボックの字はお世辞にも上手いとは言えない。というより、正直瀕死のミミズがのたうっているのではと言えるくらい酷い。だが、字が上手かろうがヘタクソだろうが誰が署名したか最低限判ればいいのだから、そんなくだらない理由でしょっちゅう逃亡されてはたまらなかった。
「まったく、逃げ出したところで結局はサインしなければならんという事が判らんのか、あの馬鹿大佐」
 ロイはそう言いながら開け放たれた大きな窓を見る。ハボックの瞳と同じ色の空を背景に大きな枝を広げる木を見て眉を顰めた。
「おい、資材部にいって鉄板を二枚ほど貰ってきてくれ。鉄板がなければ小隊用の盾でもいい」
「盾でいいならうちの小隊の持ってきますよ」
「頼む」
 執務室から顔を出して言うロイの言葉にブレダが答える。足早に司令室から出ていったブレダは、暫くして盾を二枚持って戻ってきた。
「これでいいですか?」
「ああ、ありがとう」
「そんなもの何に使うんです?」
 盾を渡したブレダは席に戻らず、執務室で盾をどう使うのだろうと興味津々に尋ねる。その質問に答えず、ロイはハボックの机の上から紙とペンを取り上げるとサラサラと錬成陣を描き、盾と一緒に窓辺に置いた。両手をその上に当てればバチッという音と共に部屋の中を目映い錬成の光が満たす。その光が収まったとき、大きな窓には太い鉄格子がはまっていた。
「うわ、まるで檻ですね、少佐」
「これで逃亡もできんだろう」
 出来上がった鉄格子を掴んで満足そうに頷くロイをブレダが見る。その、何となくハボックに同情を寄せるような視線にロイはムッとブレダを見返した。
「何だ、何か文句があるのか?そもそも仕事中に職場から逃げ出すのがいけないんだろう?」
「まあ確かにそうなんですけど」
 ロイに睨まれたブレダが肩を竦めて言う。
「せっかくの綺麗な青空もこんな格子に遮られちゃ台無しですね」
 そう言うブレダの言葉に、ロイは格子で細く刻まれた空を見上げて眉を顰めた。


「ホントなんでなかなか諦めてくれないんだろ」
 両手をズボンのポケットに突っ込んだハボックは、スラリと高い背を丸めて歩きながら呟く。もうこれくらい逃げ出してばかりいるのだから、いい加減自分に書類のサインをさせるのを諦めてくれてもいいんじゃないかとハボックは思うのだが、逃げ出して暫くして帰ってみても、書類の山は減るどころか増える一方だった。
「あーあ、もうやんなっちゃう」
 ハボックはブホッと煙草の煙を吐き出しながらそう呟く。足下の小石を蹴り上げてその転がる方へ目をやれば、小さな洋菓子店が目に入った。
「ふぅん、ケーキかぁ」
 正直ハボック自身はそんなに甘いものに興味はない。それでもガラス越しに並んだ色とりどりのケーキはとても可愛らしく、美味しそうに見えた。
「お土産に買って帰ろうかな」
 ふと、そんな考えが浮かんでハボックは扉を押し開けて中に入る。一口サイズの色んなケーキが半ダース詰め合わせになっているのを一箱買い求めた。
「ありがとうございました!」
 買ったケーキのように小柄で可愛らしい店員の声を背にハボックは店を出る。おやつの時間に丁度いいかなと思いながら司令部に戻ったハボックは、いつも出入口に使っている窓を見上げてあんぐりと口を開いた。
「うそ……」
 丁度いい具合に大振りな枝が近くまで張り出したその窓は太い格子に塞がれている。
「少佐だな、いつの間に……」
 国家錬金術師の肩書きを持つ黒い瞳の少佐の姿を思い描いてため息をついた。
「少佐もなぁ、もう少しにこやかにしてくれてもいいのに。せっかくの美人が勿体ない」
 ロイがしょっちゅう不機嫌なのは大半がハボックのいい加減な言動のせいなのだが、それに気づいていないのかハボックはそう呟く。もう一度窓を見上げてため息をついた。
「まあ、どっちにしろケーキ持ってたら木はよじ登れないか。……でもこれから不便だなぁ」
そう言うとハボックは仕方なしに玄関の方へと回ったのだった。


「ただいま戻りましたー……」
 そうっと司令室の扉を開けたハボックは、中にいた金髪金目の少年と目が合う。自分の胸まで背があるかないかと言う少年を見つめてハボックは言った。
「ありゃー、小さな子がこんなとこ入って来ちゃだめだろう?それとも誰かんちの子供?」
 そう言って金髪をポンポンと叩けば少年が目を剥く。少年が頭を叩くハボックの手を振り払ったのとブレダ達がどっと笑ったのがほぼ同時だった。
「誰が小さな子だッ!!俺は十五だッ!!」
「へ?そうなの?」
 金色の瞳を怒りに燃え上がらせて怒鳴る少年をハボックはまじまじと見つめる。それを見ていたホークアイがくすくすと笑いながら言った。
「大佐、紹介します。彼はエドワード・エルリック。鋼の二つ名を持つ国家錬金術師です。エドワード君、この人はジャン・ハボック大佐。半月ほど前にこちらに赴任してらしたの」
 そう言えば金髪の少年、エドワードが、ああ、と言う顔でハボックを見上げる。
「アンタが新しい大佐か。少佐にいびられて泣いてんじゃないの?」
 かわいげのない物言いにハボックは苦笑して手を差し出した。
「君が鋼の錬金術師か。噂は聞いたことがあるよ、小さな子だなんて言って悪かったな」
 そう言われてエドワードは唇の端をピクピクと震わせる。それでも差し出された手をギュッと握り返した。
「アンタこそそんなにニョキニョキでかくて独活の大木とか言われねぇ?」
「うわ、耳がいてぇ……。失礼な事を言ったお詫びにケーキでもどう?大将」
 ハボックは片目を細めて笑うと机の上にケーキの箱を置く。それを覗き込んだフュリーが「あっ」と声を上げていった。
「サロン・ド・シェフ・ミシェルのケーキじゃないですか!」
「知ってるのか?フュリー」
 嬉しそうな声を上げる小柄な曹長にハボックが尋ねる。フュリーは眼鏡の奥の瞳を輝かせて言った。
「イーストシティで人気の洋菓子店なんですよ。美味しいんですよね、ここのケーキ」
「そうなんだ。じゃあみんなで一つずつどうぞ」
 ハボックはそう言ってまずホークアイに箱を差し出す。ホークアイは「あら」と言うように鳶色の瞳を丸くしたが、嬉しそうに笑って小さなケーキを摘み上げた。エドワード、ブレダ、フュリー、ファルマンと、次々にケーキを取って口に放り込む。「旨い」と言う声を聞いて、ハボックも最後に残ったケーキを摘んで口に放り込んだ。
「ホントだ、旨い」
 口に広がる甘酸っぱい香りにハボックは軽く目を見開いて言う。おいしかった、ごちそうさまと、思いがけない甘い休憩にそれぞれが笑みを浮かべて言った時。
「何をしているんだ、みんなで寄り集まって」
 ガチャリという音と共に扉が開いて司令室に入ってきたロイが言う。
「あ、少佐。今みんなで大佐が買ってきてくれたミシェルのケーキ食べてたんですよ」
「ミシェルのケーキ?」
 フュリーの言葉にロイが目を輝かせる。少佐もひとつ、と勧めようとしたフュリーは空っぽの箱を見て手を止めた。
「そういや六個入りのを買ってきたんだった。それで丁度だと思ったから」
 ハボックはそう言って計算外だったエドワードを見る。
「えっ?だって、どうぞ、って勧めたじゃん!」
 自分のせいじゃないと慌てるエドワードにそうじゃないと宥めるように肩を叩いてハボックはロイを見た。
「すみません、ちょっと計算違いで。また今度買ってきますから」
「……別にケーキなんぞいらん」
 自分の分がないと判るとロイはそう言って自席にドサリと乱暴に腰掛ける。こちらに目も向けずに書類をめくるロイを見て、フュリーが小声で言った。
「少佐、甘いものには目がないんです…っ」
「……それってもしかしなくてもヤバいじゃん」
 フュリーの言葉にハボックは眉を下げて不機嫌そうなロイの顔をそっと伺うのだった。


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