見毛相犬  第二章


 ガチャリと開いた扉の向こうに立つ男に、司令室にいる全員が視線を向ける。その長身が勿体ないような猫背に背中を丸めて、咥え煙草でのんびりと部屋に足を踏み入れた男は、自分に向けられる視線に気づいて垂れた目を見開いた。入口で一瞬足を止めた男は、司令室の中を一通り見回す。それからポケットに突っ込んでいた手を出して顔の横にあげると、へらりと笑ってみせた。
「どうもー。今日からここでお世話になるジャン・ハボックっス。あれ?もしかしてみんなで誰かをお出迎えっスか?タイミング悪かったっスかね」
 そう言いながらボリボリと頭をかくハボックを、司令室の面々は呆気にとられたように見つめる。「ええと」とハボックが困ったように呟いたのを聞いて、ハッとしたロイが気を取り直して言った。
「大佐をお待ちしておりました。私はロイ・マスタング少佐であります」
 ピッと見本のような敬礼をよこすロイをハボックはじっと見つめる。それからニコッと笑って言った。
「どうも。これからよろしく」
 くだけた敬礼を返してハボックは残りのメンバーの名前を尋ねる。一人ひとり名乗るのを聞き終えて、改めてぐるりと見回したハボックは言った。
「オレ、今回はなにやらご大層な肩書き貰ってここに来たっスけど、その辺は気にせず今まで通りやってください」
 そう言ってヘラッと笑うハボックにフュリー達が顔を見合わせる。ハボックはロイに視線を向けると上から下まで眺めて言った。
「ここじゃマスタング少佐が実質責任者なんでしょ?これからもそんな感じでお願いします」
「……は?」
 その言葉にキョトンとして目を瞠るロイにハボックは首を傾げて言った。
「それにしても名高い焔の錬金術師が女性とは知らなかったっスよ。オレ、てっきり男だとばかり思ってたっス」
「は?」
 中尉と二人で両手に花っスね、とだらしない顔をするハボックをロイはポカンとして見つめる。プッと吹き出したブレダが必死に笑いをこらえて言った。
「大佐、マスタング少佐は男ですよ」
「へ?」
 そう言われてハボックはロイを見つめる。互いに驚いたような顔で見つめあっていたが、先に我に返ったロイが目を吊り上げて言った。
「私は男ですッ!!」
「えっ、でもそんなに綺麗でどこからどう見ても女性……」
「私のどこが女に見えると言うんだッ!!」
 カッとなって怒鳴るロイにハボックがタジタジとなる。壁に背を張り付けて見つめてくる空色の瞳に、ロイはハッとして言った。
「も、申し訳ありません、サー」
「や、こっちこそ……ごめんなさい」
 呟くようにそう言ってハボックはロイを見る。僅かに目尻を染めたその白い顔をじっと見つめていたが、不意に手を伸ばすとロイの顎を掴んだ。
「な……ッ?!」
「ホントに男?オレ、こんな綺麗な顔、女でも見たことないっスよ?」
 しげしげと見つめてくる空色の瞳にロイは目を見開く。その空色に吸い込まれてしまうような錯覚に陥りそうになった時、ハボックがロイを離した。
「マスタング少佐、じゃあ後はよろしくお願いします」
 まるで何事もなかったようにハボックはそう言って笑うと執務室に入っていってしまう。パタンと扉が閉まるのと同時にブレダ達がドッと笑った。
「しょっ、少佐のこと女だって……ッ」
「すっ、すごい面白い人ですねッ」
「本気で少佐のこと、女性と思っていたようですな」
 ゲラゲラと笑う部下達をロイは忌々しげに睨む。ホークアイですらクスクスと笑うのを聞いてロイが何か言おうとするより早く、ホークアイは笑い転げる男達に向かって言った。
「あなた達、あんまり馬鹿笑いしてると中に聞こえるわよ」
 そう言われて慌てて笑いを引っ込めたものの、こらえきれずにクククと零しながらブレダ達が席につく。ムッとした顔で黙り込んでいるロイにホークアイが言った。
「少佐、お得意のポーカーフェイスが作れるようになりましたら現在進行中の案件の説明をお願いいたします」
 ホークアイはそう言うとスケジュール表を手に執務室へと入っていく。ロイは益々不愉快そうに唇を突き出すとドサリと椅子に腰を下ろした。

 今日の予定を伝えて出てきたホークアイと入れ替わりに、ロイは執務室に入っていく。そうすれば窓辺に立って煙草を吸いながら外を見ているハボックの姿が目に飛び込んできた。
「失礼します、サー」
「少佐」
 声をかければハボックがにっこりと笑う。その人懐っこい笑みにドキリとしながらロイは手にしたファイルを広げた。
「よろしければ案件の説明をさせて頂きますが」
「ああ、それなら少佐にお任せしますんで。少佐の判断でやってください」
 そう言ってハボックは窓から空を見上げて煙を吐き出す。大きな執務机を挟んで立ったロイはファイルの中から書類を取り出して机の上に置いた。
「そう言うわけにはいきません。現在我々が直接関わって言う案件はこちらになります。一つ目は───」
「ねぇ、少佐、オレに対しては敬語でなくっていいっスよ。オレの方が年下なんだし。それにアンタはなんて言っても天下の焔の錬金術師なんだし」
 ロイの説明の腰を折ってそんな事を言うとハボックはにっこりと笑う。ロイは書類から顔を上げてハボックを見るとため息をついた。
「そう言うわけにはいかないでしょう。貴方は私の上官だ。それも2つも階級が上の」
 そう言うロイにハボックは苦笑する。
「オレの肩書きなんて大したことないっスよ。それよりアンタの二つ名の方がよっぽど価値も力もある」
 だから、ね、と笑うハボックにロイはだが首を振った。
「そう言うわけにはいきません」
「もしかしたさっき女の子と間違えちゃった事、怒ってます?」
「………怒ってません」
 そんな風に言われてロイは一瞬押し黙る。それでも何でもないかのように答えれば、ハボックが苦笑した。
「嘘ばっかり。ホントは女の子に間違えられて『なんだ、コノヤローッ!!』って思ってるっしょ」
 面白そうな光をその空色の瞳に浮かべて言うハボックをロイは睨む。普通ならその瞳の苛烈さに睨まれた相手がタジタジとなるような目つきでハボックを見て言った。
「女性に間違えられた事より貴方のそのいい加減な態度の方が数倍も腹が立つ」
 ビシリとそう言い放ってロイは手にしていたファイルをバンッと机に置いた。
「最近東方司令部の管轄内で起こった事件と現在進行中の案件の詳細です。全部目を通しておいて下さい」
「だから少佐にお任せしますって───」
「大佐」
 へらへらと笑って済まそうとするハボックをロイは思い切り睨む。
「冗談も大概にしてください、司令官は貴方です。これ、ちゃんと目を通しておいて下さい」
 ロイはそう言うと執務室を出ていってしまう。バタンと音を立てて扉が閉まるとハボックはプハーと煙を吐き出した。
「冗談じゃねぇのに……」
 そう言ってハボックはドサリと椅子に座って置かれた書類をチラリとめくってみる。
「駄目、とても読む気になんねぇ……」
 ハボックはそう呟くと書類をまとめて机の抽斗に放り込んだ。

「なんなんだ、あのやる気のなさはッ」
 執務室を出たロイは苛々としてそう言いながら自席に腰を下ろす。書類を書いていたフュリーが顔を上げて言った。
「どうかしたんですか?」
「最近と今現在の事件の説明をしようとしたら、全部私に任せると言われた」
 ムスッとしてそう言えばフュリーが首を傾げる。
「いいんじゃないですか?実際これまでだって少佐の意見の方が司令官たちの意見よりずっと理に叶ってたし、全部少佐に任せるというならこれまでよりずっと時間も手間もかからないじゃないですか」
「そう言う問題じゃない」
 確かにこれまでの事を考えたなら全てロイに任せてくれるという今回の事は歓迎すべきなのかもしれない。だが、そんな形での実権掌握など望んでいないロイは、ハボックのあまりにいい加減な態度が腹立たしくてしかたなかった。


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