見毛相犬  第十章


「おっはよーございまーすッ」
 司令室の扉が開いたと思うとハボックの能天気なまでに明るい声が飛び込んでくる。ニコニコと満面の笑みを浮かべているハボックにフュリーが言った。
「おはようございます、大佐。今日は随分ご機嫌ですね」
「あ、判るぅ?そんなに顔に出てるかな、オレ」
「そうですね、結構出てるかなぁ」
 笑みに崩れる頬を押さえてハボックが答える。これだけ嬉しそうに笑っているのを見て判らない方がどうかしていると内心思いながらフュリーが笑った。
「夕べちょっといいことがあったんだー」
 うふふ、と頬を染めてハボックが言う。
「いいことですか?なんです?」
「ナイショー」
 あんまり嬉しそうなその顔にフュリーが興味を駆られて聞いたが、ハボックはうふうふと笑いを浮かべて答えると執務室に入ってしまう。フュリーがちょっぴり残念に思ってため息を吐いた時、今度はロイがやってきた。
「おはようございます、少佐」
「ああ、おはよう」
 ロイはフュリーに頷いて自分の席につく。抽斗から書類を取り出して中を確認すると、ハボックのサインを貰おうと立ち上がった。
「またミミズ一匹貰うのに散々ごねられるのか……」
 ロイがため息混じりにそう呟くのを聞き止めてフュリーが言う。
「ああ、きっと今ならパパッとサインしてくれると思いますよ」
「どうして?」
 フュリーの言葉にロイが不思議そうに目を瞠る。フュリーはおかしそうに笑いながら答えた。
「つい今し方来られたんですけど、ものっ凄いご機嫌で」
 理由は教えて貰えなかったんですけど、と言うフュリーにロイは眉間に皺を寄せる。
(おめでたい奴が更におめでたくなってるのか?)
 ちょっとばかし酷いことを考えながらロイは執務室の扉をノックした。
「どうぞ」
 返事を待ってロイは扉を開ける。中に入って扉を閉めれば顔を上げたハボックがパッと顔を輝かせた。
「少佐っ、昨日はどうもありがとうございましたっ」
 腰を浮かせてそう言うハボックの後ろにブンブンと触れる尻尾が見えた気がしてロイは思わず目を瞠る。そんな筈はないと首を振ると手にした書類を差し出しながら言った。
「いえ、私の方こそ図々しくお邪魔した上に食事までご馳走になってしまって」
 ありがとうございました、と言いながらロイは不思議でならなかった。どうしてよく知りもしない男の誘いに乗って食事をしになど行ってしまったのだろう。それも相手のプライベートな空間である家に。昼間とびきり美味しいケーキを食べたことでどこか警戒心が弛んでいたのだろうか。
(いや、腹が減っていたせいだな)
 そんな事を思いながら書類を差し出せば、ハボックは受け取ったそれに僅かに眉を顰めたもののガリガリとサインをしたためる。書類をロイに返しながらハボックが言った。
「少佐、昨日も言いましたけど、今度ビーフシチュー作りますんで是非来てください。いつなら来られそうっスかね?少佐の都合に合わせますんで」
 ハボックはニコニコと満面の笑みを浮かべながらロイの返事を待つ。ロイはハボックの手から書類を受け取って言った。
「せっかくのお誘いですが、大佐の食事をご馳走になる理由がありませんので」
 お断りします、と言われてハボックはポカンとしてロイを見る。次の瞬間ガタガタッと椅子を蹴立てて立ち上がると言った。
「なんでっ?昨日は食べにくるって言ってたじゃないっスかッ」
「───私の記憶の限りではそのような返事をした覚えはありませんが」
 実際誘いを受けはしたが、それに対して答えは返さなかった筈だ。だが、ハボックはバンッと机を叩いて言った。
「あの流れなら絶対オッケーしてくれたと思うっしょ?!」
「それは大佐の勝手な解釈だと思います」
 ロイはそう言ってハボックに背を向けて数歩歩くと執務室の扉に手をかける。肩越しに振り返って言った。
「とにかく、お誘いはお断りさせて頂きます」
 失礼、とロイが出ていくとパタンと閉じた扉をハボックは呆然と見つめる。ガクリと椅子に腰を下ろしたハボックはガバッと机に突っ伏した。
「せっかくお近づきになれたと思ったのにーーッ!」
 ケーキで失点を取り戻し、チンピラを叩きのめして点数アップ、食事でバッチリお近づき、と思っていただけにショックは大きい。
「……ッキショー、昨日のあれはなんだったんだよ……」
 ガックリと机に頬を預けたまま格子の向こうの空を見上げたハボックだった。


「あ、少佐。すぐサイン貰えましたか?」
 ガチャリと扉の開く音に書類から顔を上げたフュリーが聞く。ロイは苦笑混じりに書類を振って答えた。
「ああ、こんなにすんなりサインを貰えたのは初めてだよ」
 それを聞いてフュリーは嬉しそうに笑う。
「やっぱり!じゃあ僕も今のうちにサイン貰ってきちゃおうっと。あ、書類出すんでしたら僕のと一緒に持っていきますよ」
 そう言って立ち上がると書類を手に執務室へ向かうフュリーを笑みを浮かべて見送ったロイは、持っていた書類をフュリーの机に置き自席に戻った。背後から降り注ぐ窓越しの陽射しの暖かさに思わず後ろを振り返れば綺麗に晴れ渡った空が見える。それを見ればさっきのポカンと見開いたハボックの瞳が思い出されて、ロイは眉を寄せた。
『食べにくるって言ってたじゃないっスかッ』
「……言ってないし」
 ロイはそう呟くと、ほんのちょっぴり感じた罪悪感には目を瞑って書類をめくったのだった。


「失礼します」
 ノックをして執務室の中に入ったフュリーは、机に懐いているハボックに書類を差し出す。
「大佐、サインお願いします」
 そう言ってハボックが書類を受け取るのを待ったが、上司の手はダラリと下ろされたままだった。
「……大佐?」
 どうしたのだろうと声をかけてみたが返事がない。よく見てみればさっきまでの明るさがなりを潜めて、ボーッと机に頬をつけたままのハボックにフュリーはふと不安になってハボックに顔を近づけた。
「あの、大佐?サイン欲しいんですけど」
「サインなんて嫌いだもん」
「えっ?」
「サインなんて……サインなんて……ッッ」
 ブルブルと体を震わせてそう言ったハボックが突然ガバッと立ち上がって、フュリーはギョッとして後ずさる。
「大っきらいだーーーッッ!!」
 そう叫んだかと思うと執務室を飛び出していってしまうハボックを、フュリーは呆然として見送ったのだった。


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