風の行く先   第九章


「────マリー?ああ、私です。すみません、お待たせして。……ええ、今からこちらを出ますのでもう少し。……申し訳ない、では後ほど」
 ロイは今日のデートの相手に待たせた詫びとこれから向かう旨を伝えて電話を切る。フゥとため息をつくと机の上に置いた会議で配られたファイルを抽斗に突っ込んだ。
「まったくあのロートル、下らんことにグダグダと。年寄りは年寄りらしくおとなしくしていろと言うんだっ」
 会議が終わる間際、もう退役間近の左官が会議の結果にクレームをつけた。おかげでまとまりかけた議決をもう一度検討しなくてはならなくなり──しかも結果は変わらず、だ──無駄に時間だけがかかってしまった。
「ハボック!」
 ロイは執務室の扉を開けながら大声で部下を呼ぶ。送迎のためにロイの帰りを待っていたハボックは即座に立ち上がって答えた。
「もういいんスか?」
「急いで車を回してくれ」
「イエッサー」
 苛々とした様子で言うロイに頷いてハボックは足早に司令室を出ていく。残った部下が帰りの挨拶を投げてくるのに答えながらロイもハボックを追うように司令室を出た。正面玄関をくぐりステップを降りればすぐさまロイの目の前に車が停まる。ハボックが運転席から下りて扉を開けるのを待たずに自分で開けると、ロイは体を滑り込ませながら言った。
「ミシェルへやってくれ。ああ、その前に駅前の花屋だ」
「はい────デートっスか?」
「まったくあのジジイのせいでマリーを待たせてしまった」
 ブツブツと文句を言うロイの声を背中に聞きながらハボックは車を発進させる。マリーという名前といい駅前の花屋といい、ロイがこれからデートなのは明らかだった。
(デートか……大佐、モテるもんな)
 自分が相手にされないのは判っていても、やはりロイがデートだと聞けば心穏やかではいられない。それでもハボックは言われたとおり駅前の花屋へと車を走らせた。
「これで花束を受け取ってきてくれ」
「はい」
 すぐ側の路肩に車を停めると、ロイが紙幣を数枚差し出してくる。それを受け取りハボックは車を降りて花屋へと歩いていった。
「すんません、マスタング大佐の使いのもんスけど」
「ああ、花束ですね。出来てますよ!」
 名を告げれば店員の女性がにっこりと笑って店の奥へ入っていく。薔薇がメインの大きな花束を腕に抱えて戻ってくると、店員はハボックに花束を差し出した。
「凄いデカイ花束っスね」
「マスタングさんが女性に贈る花束はいつもこんな感じですよ。私も一度でいいからこんなの貰ってみたいです」
 大きな花束はハボックが抱えてもかなりの大きさだ。女性にしてみればデートでこんな見事な花束をあのロイから貰ったなら、それはもう感激で堪らないだろう。
「どうもありがとうございました!」
 代金を支払ったハボックは店員の声に見送られて店を出る。早足で車に戻ると後部座席の扉を開けてロイの隣に花束を置いた。
「ああ、ありがとう、ハボック」
 ロイは綺麗に作られた花束を見て言う。ハボックは笑みだけ返して運転席に座ると車を発進させた。
「すげぇ花束っスね」
「デートなんだ、これくらい当然だろう?」
「こんなの貰ったらきっと凄い喜ぶんでしょうね。花屋の女の子も一度でいいから貰ってみたいって言ってたっスよ」
 ハボックが言えばロイが軽く笑う。程なくして店に着くと、ロイは花束を抱えてハボックが開けた扉から降りた。
「ご苦労だった。今日はもう帰って」
 いいぞ、と言いかけてロイはハボックがじっと自分を見ていることに気づく。思わず眉を寄せれば、ハボックがハッとして目を逸らした。
「いってらっしゃい。よい夜を」
「────ああ。お前もな」
 ロイは答えて歩き出す。ピンと背筋の伸びた背が店の扉の向こうに消えるのと同時にハボックは深いため息をついた。
「オレにいい夜なんてある訳ねぇじゃん」
 ハボックはそう呟いて運転席に戻る。車の中には花の甘い香りが残っていて、ハボックはクシャリと顔を歪めた。
「オレも花束欲しいって言ったら、大佐、どうするかな」
 そんなの考えずともロイの反応など知れている。
「はは……やっぱツライっての」
 必死に押さえ込んでいるもののまだその想いが消えてなくなったわけではないのだ。好きな相手が花束を抱えてデートに出かけるのを見送るのは辛くて堪らなかった。
「────馬鹿じゃねぇの、勝手に傷ついて」
 ハボックはハンドルに乗せた手に目元を押しつける。暫くそうしていたが、やがて顔を上げると乱暴に手の甲で目をこすってアクセルを踏み込んだ。


「まあ、綺麗!ありがとうございます、マスタングさん」
「美しい貴方にはちょっと貧弱でした。次にお会いするときにはもっと大きいものをお贈りしますよ」
 大きな花束を渡せば予想に外れぬ反応が返ってきて、ロイは満面の笑みを浮かべて答える。女性を席へと促して向かい合って腰掛けたロイは、ふと花束を抱えた自分を見つめるハボックの瞳を思い出した。
(ちょっと可哀想な事をしたか……。でも仕方ないじゃないか、これがアイツの仕事なんだし)
 ハボックに女性への花束を取りに行かせ、その上デートの場所まで送らせた。ハボックの気持ちを考えれば流石にちょっと可哀想な事をさせてしまったかと思わないでもなかったが、ロイは「仕事だ、仕事!」と己に言い訳する。
(あんな目で私を見るから酷い事をしている気分になるんじゃないか。フラレたんだからさっさと別の男なりなんなり探せ)
 ロイは目の前に浮かぶハボックの面影に向かって言うと、その面影を心の中から消し去って向かいに座る女性に意識を集中した。


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