風の行く先   第七章


「おはよう、ブレダ」
「おう、おはよ……って、どうしたよ、ハボック」
 扉が開く音に続いて聞こえた声に書類から顔を上げたブレダは、入ってきたハボックの顔を見て目を見開く。目元を腫らし青褪めた顔を歪めて笑みを浮かべたハボックは、のろのろと歩いて自席に腰を下ろした。
「イテテ……」
 椅子に腰を下ろす僅かな衝撃にも頭痛が走ったのだろう、ハボックは低く呻いて額を押さえる。明らかに二日酔いと知れるハボックの様子に、ブレダは呆れたため息をついて言った。
「なんだよ、また彼女にフラレたか?」
「うん、まあそんなとこ……」
 ハボックは蚊の鳴くような声で答える。息をするのも辛そうなハボックを見てブレダは言った。
「休んだ方がよかったんじゃねぇか?それじゃあ仕事になんねぇだろ」
 二日酔いで休みなど褒められたことではないが、出てきたところで仕事が出来ないのでは休んだ方が周りにも本人にとってもいいのではないだろうか。だが、そう言うブレダにハボックは顔を上げて言った。
「平気。休む訳にいかないから」
「何か大事な案件でもあったか?」
 今現在大きな事件もなかったし、至急の案件があるとも聞いていない。ブレダが不思議そうに首を傾げた時、司令室の扉が開いてロイが入ってきた。
「おはようございます、大佐」
「ああ、おはよう」
 ブレダに短く答えてチラリとハボックへ目をやったロイは、その顔を見て思い切り顔を顰める。プイと顔を背けると何も言わずに執務室に入ってしまったロイを見て、ブレダがやれやれとため息をついた。
「ほらみろ。大佐だって呆れて────ハボ?」
 執務室の扉からハボックへと視線を戻して、ブレダは目を丸くする。今にも泣き出しそうな顔をしたハボックをまじまじと見つめれば、ハボックがよろよろと立ち上がった。
「ちょっと医務室行って薬貰ってくる。頭イテぇ、はは……」
「お、おう。気をつけてな」
 まるで逃げるように司令室を出ていくハボックの背を見送ってブレダは目を瞬かせる。
「泣きそうなほど頭いてぇなら休めっての。変なところでクソ真面目だよなぁ、アイツ」
 やれやれと首を振って、ブレダは書類を手に取った。


「ハボックの奴……」
 パタンと執務室の扉を閉じてロイは呟く。こっぴどくフラレて一晩泣き明かしたのだろう、可哀想なほどに目元を腫らしていたハボックの顔を思い浮かべてロイは思い切り顔を顰めた。
「私のせいか?いや、私は悪くないぞ」
 ハボックの気持ちに答えられないから答えられないと告げたに過ぎないのだ。それでハボックが傷ついたとして、その責任が自分にあるだろうか、いや、ない!
「全くやってられんな」
 ロイはげんなりと呟いてドサリと椅子に腰を下ろす。自分のせいでは決してないと己に言い聞かせて、ロイは書類を手に取った。その書類の作成者がハボックだと気づいて、ロイは「げー」とばかりに顔を歪める。書類の中身を確認もせずサインを認めると、ロイはそれ以上触っているのも嫌だとばかりに書類を決裁済みの箱へと放り込んだ。
「────まあ、一晩飲んで泣いて、アイツも気持ちに踏ん切りつけたろう。明日になりゃ元に戻ってるだろうさ」
 多少の希望も織り込んでそう言うと、ロイはハボックの事を頭から閉め出した。


「少し休んでいったらどうかね?少尉」
 医務室に薬を貰いに行けば、あまりに酷いハボックの顔色に薬を出しながら軍医が言う。出された薬を水で流し込んだハボックは、小さく首を振って答えた。
「ありがと……でも、平気っス。動いて汗をかけばアルコール抜けるし」
「動けんのじゃないか?怪我をするぞ」
 汗をかくほど動く前に怪我をしそうだ。無理をするなと言う軍医に、だがハボックは首を振って言った。
「本当に大丈夫っス。休んでたりしたら首になっちゃう」
「マスタング大佐はそんなことで首にするような人ではなかろう?」
 多少の嫌みは言っても二日酔いくらいで目くじらをたてるような人間ではないだろう。そう言う軍医にハボックは力なく笑って医務室を出た。
「大佐、すごい顔してオレのこと見てた……」
 うんざりしたような軽蔑したような、そんな表情を浮かべて何も言わずに執務室に入ってしまった。
「しっかりしなきゃ。護衛官として頑張るんだ……」
 ともすれば溢れそうになるロイへの想いを必死に胸の奥へと押し込んでハボックは呟く。ロッカールームに行って着替えたハボックは演習場へと向かうと、照りつける陽射しの下零れそうになる涙をこらえて一人黙々と走り続けた。


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