風の行く先   第四十八章


 そうして何事もないまま時間が過ぎていく。部下たちが折を見てはハボックの見舞いに行くのを横目で見ながらもロイがもう一度病室へ行けずにいるうち、ハボックが入院してから一ヶ月が過ぎた。
「ハボックの奴、明日退院するそうですよ」
 書類を差し出しながらブレダが言う。ロイは殊更なんでもないように振る舞いながら受け取った書類に目を落として言った。
「そうか。入院してからどれくらいだ?」
「ええと、大体一ヶ月ですかね。結構かかりましたねぇ。まあ、それだけ大怪我だったってことですか」
 しみじみと言うブレダの言葉を聞きながら、ロイは内心ホッと息を吐く。ブレダに言われずともハボックが入院してからの時間はロイにとって果てもなく長く感じられ、一ヶ月と具体的に数字になってみると却って短く感じられた。
「それで、ちょっと退院の手伝いに行ってやりたいと思ってるんですけど。今特に火急の案件もないし、少し早めに上がっても構わないですよね?」
「────ああ、そうだな。手伝いに行ってやれ」
 ほんの一瞬サインを書き込む手を止めてロイは頷く。書き終えた書類を差し出せば受け取ったブレダがにっこりと笑った。
「じゃあそうさせて貰います。サイン、ありがとうございました」
 ブレダは言って執務室を出ていこうとする。ブレダがノブに手をかけた瞬間、ロイは思わず呼び止めていた。
「なんです?」
 呼び止められてブレダが不思議そうに振り向く。ほんの少し躊躇って、ロイは言った。
「退院おめでとうと伝えてくれ。その……復帰を待っている、と」
「はい!ハボック、喜びますよ」
 ニッと笑ったブレダが「失礼します」と執務室を出ていく。その背を見送ったロイは扉が閉まると同時にため息をついた。
「そうか、退院か……」
 これで毎日主のいない椅子を眺めて苛々せずにすむ。だが、自分の気持ちとハボックとの関係をどうすればいいのか、この一ヶ月悩んだ結果はまだ出ていなかった。
「どうするつもりなんだ、私は」
 ハボックとの間にあった事をないことにするのは簡単だ。そもそもそう言う約束でロイはハボックを抱いたのだから。だが、ハボックの事を好きなのだと自覚した今、全てをない事にするのは辛すぎた。とはいえ、おいそれと告白も出来ない。
「くそ……ッ」
 これからどうハボックと接していったらいいのか。考えても考えても出すことの出来ない答えに、ロイは低く呻いてギュッと手を握り締めた。


「おう、遅くなった、すまん」
「あ、ブレダ」
 ノックの音に続いて開いた扉に振り向けば、やってきた友人の顔を見てハボックは笑みを浮かべる。棚を開け中に入っているものを取り出しながら近づいてきたブレダに言った。
「一人でもなんとかなったのに」
「一ヶ月もアパート空けてたんだ。帰りに買った方がいいもんもあるだろ?丁度今、暇だしな。気にすんな」
 そう言ってブレダはハボックが出したものをボストンバッグの中に入れていく。「サンキュ」と素直に礼を言って、ハボックは残っているものがないか、棚を覗き込んだ。
「あ、ナイフ……」
 棚の隅っこに残っていた鞘付きのナイフをハボックは取り出す。なんだかんだと入院中世話になったナイフを確かめるように鞘から抜いてから戻し、バッグに突っ込んだ。
「結構使ったな、そのナイフ」
「はは、差し入れ色々ありがとう」
 来る度ブレダたちが差し入れてくれた果物は入院中の数少ない楽しみの一つだった。そんな事を思えば、ふとハボックの脳裏にロイが差し入れてくれた桃の事が浮かぶ。
「大佐がくれた桃、旨かったなぁ」
「ああ、あのえらい甘いっていう桃。お前、結局食わせてくれなかったな」
「あー、いやあ、流石にあれは誰にもあげたくないっていうか独り占めしたいっていうか」
 ジロリと横目で見られてハボックは苦笑する。えへへ、と笑うハボックにブレダが思い出したように言った。
「ああ、そうだ。大佐が退院おめでとうって言ってたぜ。復帰を待ってるってさ」
「大佐が?ホントに?」
 ブレダの言葉にハボックが顔を輝かせる。他愛のないロイの言葉に本当に嬉しそうなハボックの様子にブレダが呆れたように言った。
「そんなに嬉しいのか?ハボ」
「そりゃあね!よし、明日からバリバリ訓練して勘を取り戻すぞ!」
「無理すんなよ」
 そんなハボックに笑ってブレダはバッグのファスナーを閉める。
「忘れもんないか?」
「うん。これで全部」
「じゃあ行こうぜ」
 ブレダは言ってバッグを手に病室を出ていく。ハボックは入口で足を止めて振り返ると一ヶ月世話になった病室を見回した。
「よし、明日から頑張るぞ」
 気持ちも新たに頑張ろうと、ハボックは笑みを浮かべて病室を後にした。



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