| 風の行く先 第四十七章 |
| 「眠れねぇ……」 病院のベッドの上、ハボックは何度目になるか判らない寝返りを打って呟く。ハアとため息をつけば微かに桃の香りがしてハボックはブランケットの陰で目を見開いた。それと同時に腕を伝う桃の果汁の感触と、それを辿るロイの濡れた舌の感触が蘇る。敏感な腕の内側の皮膚をぬめぬめと這う舌の動きを思い出して、ハボックはブランケットをはね除けて飛び起きた。 「イテテテテ……ッ」 その途端、ズキンと痛みが走ってハボックは体を二つに折る。外側の傷は大分癒えたものの、銃で撃たれた傷は深いところで痛みを呼び起こして、ハボックは傷を押さえて呼吸を整えた。 「ハア……」 と、ハボックは桃の香りがする息を吐き出す。手を伸ばして病室のカーテンを引くと、星が瞬く空を見上げた。 「なんであんな事したんだろ……」 ロイが差し入れてくれた桃。あんまり甘くて美味しくて、無我夢中になって食べた。熟れた桃がかぶりつく度汁を垂らすのも気づかないほどの勢いで食べ終えて、満足してホッと息を吐いた、その瞬間。 グイと腕を引かれて何事かとロイを見れば、腕を引き寄せたロイに腕を濡らす汁を舐めとられた。突然の事に驚いて見つめる自分に、ロイは何でもないようにただ“汁が垂れてた”とだけ言った。その後も普段と変わった様子もなく、桃とナイフを棚にしまって帰っていったのだ。 「気にし過ぎ、かな……」 手近にタオルがなく、桃の果汁がそのまま垂れてシーツを汚してしまわないように、そう思っただけなのかもしれない。ロイの行為にそれ以上の意味はきっとないのだろう。自分がロイに好きだと告げて肌を合わせたのはもう疾うにないものになっているのだから。それよりも。 『元気そうで安心した。しっかり治して早く帰ってこい』 『待っている』 ロイの背中を護るからと告げた自分にそう言ってくれた。どんな言葉よりもなによりもそれが嬉しくて。 「早く治さなくっちゃ。これからもずっとオレが大佐の背中護るんだ」 ロイの行為に心を乱される必要などないのだ。深い意味はないのだから。それよりも早く傷を治して部下としてロイの役に立つことがなによりも大事なのだ。 「早く寝よう。早く大佐んとこに戻るんだ」 ハボックは見上げた夜空に誓うように呟くと、そっと目を閉じた。 病院を出たロイは足早に通りを歩いていく。まるで逃げるように早足で歩き続けたロイは、やがてゆっくりと足を止めた。 「なにをやってるんだ、私は」 ハボックの様子が気になってきになって、ハボックが好きだという桃を手土産に病室を訪れた。桃を剥いてやれば待ちきれないと言って桃にかぶりつくハボックを見つめていれば。 『こんな桃、食べたことないっス!うわぁ、堪んないッ!』 本当に嬉しそうに笑いながら桃を食べるハボックの姿に目眩がした。子供のような無邪気な笑顔を向けられて、桃を食べるハボックから桃と同じ甘い匂いがすると思ったその瞬間、考える間もなく手を伸ばしてハボックの腕を引き寄せて。 『な……っ?ちょ……大佐ッ!』 驚いたハボックが腕を引こうとするのを赦さず桃の果汁に濡れた腕に舌を這わせた。本音を言えば甘く香るハボックをそのまま食らい尽くしてしまいたかったのだ。それでも。 驚きに見開く空色にぎりぎり最後のところで踏みとどまって腕を放した。まるでなんでもないように振る舞って、早く治して帰ってこいと告げる自分にハボックは身を乗り出し縋るようにして早く治してすぐ戻ると、背中を護ると告げたのだ。待っていると答えれば返ってきた輝くような笑顔に胸の痛みを感じて、ロイはその笑顔から逃げるように病室の扉を閉めた。そうしなければまた前と同じ過ちを犯してしまいそうだったから。 「最悪だ」 その身も心も、ハボックの全てが欲しくて堪らない。だが、今更ハボックに好きだと告げる方法など判らなくて。 「ハボック……」 ロイは、頭上に広がる夜空を見上げてそっとため息をついた。 |
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