風の行く先   第四十五章


 見舞いに行ってみようかと思ったもののやはりどうしても躊躇われるまま数日が過ぎた。毎日主のいない席を眺めればハボックの事が気にかかり、部下の誰かが見舞いに行ったと話していれば耳をそばだてて聞いてしまう。自分は簡単に行けないのにと身勝手な妬心が沸いて、結果ロイの苛々は日に日に酷くなっていった。
「大佐、なにか気にかかる事がおありですか?」
 ついにはホークアイまでが気にして尋ねるようになって、ロイはペンを走らせる手を止める。ゆっくりと書類から顔を上げて見上げれば、心配そうに見つめてくる鳶色と目があった。
「酷く苛々しているように見えますけれど」
 今は特に事件もなく大きな決断を下す必要のある案件もない。だが、何事か起きた時に精神的な乱れは重大な判断ミスにも繋がりかねず、そうならないよう今のうちに上官の精神的安定を図りたいと見つめてくるホークアイの瞳の内に考えを読みとって、ロイは大きなため息をついた。
「そんなに苛々しているか?私は」
「はい、とっても。司令室の皆も大佐の顔色をうかがうのにそろそろ限界を感じています」
 何事もはっきりと言う副官の歯に衣着せぬ物言いにロイは顔を顰める。ムスッと唇を引き結んで見つめてくる上官にホークアイは言った。
「ハボック少尉の事が気になるならお見舞いに行かれては如何ですか?」
「いつ私がハボックの事を気にした?」
「しょっちゅう少尉の席を見てはため息をついて、ブレダ少尉達が少尉の話をしていれば耳をそばだてて、そんなにしていても気にしていないとおっしゃるのですか?」
「ッ!」
 そんな風に言われてロイはぐうの音も出ない。悔しげに睨んでくるロイにホークアイは続けた。
「少尉の事が心配でしたらお見舞いに行って下さい。それとも見舞いに行けないような事がなにかあったんですか?」
「────いや」
 ハボックとの間にあったことなどとても口に出来る筈もなくロイは答える。フゥと小さく息を吐いて言った。
「見舞いに行ってくるよ」
「そうなさって下さい。ハボック少尉も安心します」
 にっこりと笑みを浮かべてそう言うホークアイをロイは複雑な気持ちで見つめる。そんなロイの気持ちに気づいているのかいないのか、ホークアイは書類の山の上に手にしたファイルを置いて更に山を高くすると執務室を出ていった。


 ロイは軍病院への道をゆっくりと歩いていく。車をとホークアイに言われたが、ハボックと会うまでに少し時間が欲しくてロイは車を断って歩いて病院に向かっていた。
(会って何を話せばいいんだ?)
 調子はどうかと尋ねて、それから?怪我を負って病院にかつぎ込まれたばかりの時ならともかく、もう随分と落ち着いたであろう今頃見舞いに行って何を話せばいいのだろう。そんな事を考えてロイはため息をつく。ハボックの気持ちを踏みにじるようにセックスする前はこんな風に悩むことなどなかった。むしろハボックは部下の中でも気が置けない気安く接することが出来る、そんな間柄であった筈なのに。
(こんな風にしたのは私だ。それどころか)
 上司と部下として気さくに接することも出来ない。それどころか今の自分はハボックを好きなのだ。好きだと打ち明けられて気持ちが悪いと切り捨てた相手を実は好きだったなどと滑稽以外の何物でもない。
 ハアと大きなため息をついたロイは、ふと視線をやった店先に桃が並んでいるのを見つける。ハボックは桃が好きだとブレダが言っていた事を思い出して、ロイは足を止めた。
(持っていくか?)
 好物でも差し入れれば少しは場が持つかもしれない。少しでも長くハボックの側にいられるかもしれない。そんな考えが頭に浮かんで、ロイはゆっくりと店に近づいた。
「いらっしゃい、旦那。何をお求めで?」
 近づいてきたロイに店の主人が愛想良く声をかけてくる。ロイは少し悩んでから口を開いた。
「病人の見舞いに桃を持っていきたいんだが」
「桃ですか?じゃあこれなんてどうです?」
 そう言って主人は大振りな桃を手に取る。
「栽培が難しくてあんまり出回ってないんで幻の桃なんて言われてますがね、糖度が高くてもの凄く甘いんですよ。普通の桃が十二度くらいなとこ、こいつは十七度くらいありますからね」
「十七度?そいつは随分甘いな」
「果汁もたっぷりで歯ごたえもある。桃好きなら一発で虜ですよ」
 そう言いながら主人が差し出す桃をロイは受け取る。差し出される前から香っていた甘い香りが更に濃厚に感じられ、ロイは目を瞠った。
「いい香りだ。これをくれ、二つな」
「毎度っ」
 主人はにっこりと笑うとロイの手から桃を受け取り袋に入れ改めてロイに差し出す。
「ありがとう」
 支払いを済ませ紙袋を受け取ったロイは店から離れて歩きだした。
「いい香りだ」
 ふくよかな桃の甘い香りに思わず笑みが浮かぶ。この桃を見たらハボックは笑ってくれるだろうか。そんな事を考えてロイは病院へと歩いていった。


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