風の行く先   第四十四章


 ジリジリと耳障りな音を立てる目覚ましをロイは手を伸ばして止める。ベッドの上で身を起こしロイは深いため息をついた。
 夕べはずっと読みたいと思っていた本を広げたものの思考は文字の上を上滑りするばかりでちっとも内容が頭に入ってこなかった。気がつけば仕事帰りハボックの見舞いに出かけた部下達の事を考えてしまう。病院のベッドの上、枕を背に身を起こすハボックを囲んで何を話したのだろう。和気藹々と笑いあって、昔馴染みのあの部下はハボックとじゃれあったりしたのだろうか。
「……くそっ」
 そう思えばハボックの金髪をクシャクシャと掻き混ぜるブレダの姿が浮かぶ。ハボックを囲んで楽しそうに笑うファルマンやフュリーの顔が浮かべば手にした本の文字など全く頭に入っては来なかった。
 気安く触るな、と思う。親しげに話す彼らにそんな権利はお前達にないと思う自分こそが一番権利を持っていない事をロイはよく判っていた。
 頭の中からハボックの事を閉めだそうとして叶わないまま、ロイは手早く身支度を済ませ階下に向かう。朝食をとるどころか新聞すら開く気になれず、ロイは迎えの車が来るのを苛々として待った。


 漸く来た車に乗って司令部に着くとロイは真っ直ぐに司令室に向かう。扉を開ければ始業前の僅かな時間、私語を交わす部下達の姿が目に飛び込んできた。
「おはようございます、大佐」
 扉が開く音に振り向いた部下達が口々に朝の挨拶を口にする。朝から溌剌とした様子の部下達をジロリと睨んだロイが何も答えず執務室に入ろうとすると、ブレダが書類を手に後からついてきた。
「大佐、書類にサインお願いします」
 そう言って差し出された書類を机についたロイが受け取る。ムッと唇を引き結んだまま書類に目を通すロイを見下ろしてブレダが言った。
「大佐、朝が苦手なのは判ってますがね、だからと言ってあんまり苛々ムスッとしてっと余計に苛々が募りますよ。ハボックだって心配してんですから」
「────え?」
 余計なお世話だと思いながらブレダが言うのを聞いていたロイは、最後に付け加えられた思いがけない言葉に書類から顔を上げる。目を丸くして見つめるロイにブレダが肩を竦めた。
「昨日見舞いに行ったらハボの奴、大佐どうしてるかって。フュリーがちょっと“苛ついてるみたいだ”なんて言ったもんだから、ハボック、もの凄い気にしてたんですよ。怪我人が治療に専念出来るよう、余計な心配かけないでやって下さい、大佐」
「私は別に苛ついてなど」
 ボソボソと言い訳のように呟いてロイは書類に目を戻す。そもそもフュリーが余計なことを言わなければ心配することもなかったろうと思いながら目を通し終えた書類にサインを認めて、ロイは書類をブレダに差し出した。
「その……どんな具合なんだ?ハボックは」
「調子良さそうでしたよ。病院食が不味いなんて言ってましたから食欲もあるでしょう。差し入れた桃もぺろりと食べてましたし、元々頑丈な奴ですからこの調子で回復すればそう遠からず仕事に復帰出来るんじゃないでしょうか」
「そうか」
 それでもどうにも気になって躊躇いがちに尋ねたロイは、夕べのハボックの様子を思い出しながら言うブレダの言葉を聞いて内心ホッとする。「どうも」と短く言って受け取った書類を軽く丸めて持ったブレダは、執務室を出ていこうとして扉のところで立ち止まった。
「気になるなら様子を見に行ったらどうですか?大佐がちゃんとやってるって判ればハボックも安心しますよ」
 そう言ってブレダは執務室を出ていってしまう。その背を目を見開いて見送ったロイはチッと舌打ちして書類に手を伸ばした。
「別に私は気にしてなど……それに私が行ってもアイツは喜ばん」
 上官の自分が行っても気を遣うばかりだろう。それにそもそも自分とハボックの関係は微妙なのだ。だが。
『ハボの奴、大佐どうしてるかって。もの凄い気にしてたんですよ』
『大佐がちゃんとやってるって判ればハボックも安心しますよ』
 ブレダの言葉が脳裏に蘇ってロイは走らせていたペンを止める。
「────様子を見に行ってみるか……?」
 そう呟いてロイは窓の外に広がる空を見上げた。


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