風の行く先   第四十二章


「大佐、こちらの書類にサインをお願いします」
 ファイルを抱えたホークアイがそう言いながら差し出した書類を、ロイは眉間に皺を寄せながら受け取る。中身に素早く目を通しサインを認めていれば降ってきた声に、ロイは眉間の皺を深めた。
「それが終わりましたら十時から会議、その後は会食の予定が入っておりますから」
 ロイはサインの最後の一文字を力を込めて書き上げると視線を上げてホークアイを見る。眉間に皺を寄せて見つめてくる上官に、ホークアイは事も無げに言った。
「午後の予定も申し上げた方がよろしいですか?」
「いらん。どうせ会議、会議で間はサインを書けと言うんだろう?」
「スケジュールをきちんと把握して頂いて助かりますわ」
 にっこりと笑う副官の笑顔にロイはため息をつくとペンをしまって立ち上がる。書類をホークアイに渡して言った。
「まだ時間はあるだろう?」
「十分ほどですが」
「屋上で涼んでくる────サボったりしないから」
「存じております」
 笑みを浮かべて言うホークアイをロイはジロリと睨んだが、それ以上は何も言わずに司令室を出る。無意識にハボックの席の方へ視線を向けてそこに煙草を咥えた姿を探してしまい、ロイは小さくため息をついた。
 司令室の大部屋を出たロイは手近の階段を上がって屋上に出る。頭上に広がる綺麗な空を見上げれば余計にハボックの不在を強く感じて、ロイは小さく頭を振ると屋上を横切って手摺りに凭れた。眼下に広がるイーストシティの街並みをロイはじっと見つめる。風に吹かれてぼんやりと景色を眺めていると、思考は螺旋を描いてハボックへと向かった。
 ハボックに好きだと告げられたのが酷く遠い昔のような気がする。空色の瞳に熱い想いを込めて見つめてくるハボックの気持ちを気食が悪いと切り捨てた。挙げ句その気持ちを踏みにじるようにハボックを抱いて、今更どんなに後悔してもしきれない。これまでの人生、後悔しなかったことがなかったとは言わないが、それでもその後悔を次のステップへのバネとしてきた。だが、今この後悔をどうやったらそんなバネに出来るというのだろう。
「ハボック……」
 ハボックに気持ちを告げられた時、もっと真剣にハボックに向き合えばよかった。ハボックが同性だというだけで、きちんと正面から向き合わなかった自分の愚かさのツケのあまりの大きさに、ロイは深いため息をつく。
「くそ……、なんて大馬鹿者だ、私は」
 小さく呟いたロイはハボックの瞳と同じ色の空を仰ぎ見ると、緩く首を振って屋上を後にした。


「ブレダ少尉、ハボック少尉のところに行くんでしょう?」
「おう、急ぎの仕事もないしな。定時に上がれば面会時間が終わる前に行けるだろ」
「僕らも行きますよ。果物だったら食べられますかね」
 会議を終えて戻ってきたロイが司令室の扉を開けると、ブレダ達が交わす会話が耳に飛び込んでくる。どうやら皆でハボックの見舞いに行くつもりらしいと判って、ロイはムッと唇を引き結んだ。
「あ、会議お疲れさまでした、大佐」
 ロイが戻ってきたことに気づいたフュリーがロイを見てにっこりと笑う。そんなフュリーの顔をジロリと睨んで、ロイは何も言わずに執務室の中へと入った。扉が閉まる寸前、部下達が見舞いならどんな果物がいいかと話すのが聞こえてくる。
「桃がいいんじゃないか?アイツの好物────」
 パタンと閉じた扉にブレダの声が遮られて、ロイは閉じた扉に頭をコツンと預けて寄りかかった。
「残業させてやろうか」
 ボソリと呟いた言葉は嫉妬に塗れている。ロイはチッと舌打ちして扉から離れると椅子にドサリと腰を下ろした。
 気軽に見舞いに行ける同僚や友人という立場の彼らが羨ましい。上官の自分がそう度々病院を訪れたりすれば、ハボックにとっては見舞いというよりプレッシャーにしか感じられないに違いなく、そうと判っていて尚病院に向かう事は流石のロイにも出来なかった。
「また、あんな風に」
 先日病院を訪れた時の、ハボックの無事を喜んでその金髪を乱暴に掻き混ぜるブレダの姿が目に浮かぶ。今日また皆で病院に行けばきっとハボックを囲んで笑いあうのだろう。
「────くそっ」
 クシャクシャと髪をかき混ぜたロイは、乱暴な仕草で椅子に背を預けて深いため息をついた。


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