風の行く先   第三十八章


「ハボックッッ!!」
 目の前で床に倒れ込むハボックの姿にロイは大きく目を見開く。倒れた体の下から血が流れてくるのを見れば、ロイは血の気が引くのを感じた。
「────貴様」
 ロイはゆっくりとウィルソンを振り返る。ハボックが標的との間に飛び込んできたことにチッと舌打ちしたウィルソンがロイを見てニヤリと笑った。
「フン、余計な事をするからこんな目に────」
 と、ウィルソンが嘲る言葉を全部言い終える前にロイは無言のまま床を蹴る。不意を突かれたウィルソンの顎を思い切り殴りつければ、ウィルソンの体が吹き飛び廊下の壁にぶち当たった。
「この野郎……ッ、────ッ?」
 衝撃に呻きながらも怒りに震えて体を起こしたウィルソンは、射した影にハッとして顔を上げる。その顔にロイの拳が襲いかかり、ウィルソンは起こした体を再び床に叩きつけられた。
「こ、の……ッ」
 ゲホゲホと激しく咳込みながら膝をついて立ち上がろうとしたウィルソンの視界の隅に床から発火布を拾い上げる手が映る。ゆっくりと顔を上げたウィルソンは、発火布をはめた手を己に向かって突き出すロイの姿を見て目を瞠った。
「マスタング……っ」
「よくもハボックを……絶対に赦さん」
 低く囁いたロイの指がすり合わされる寸前、ハボックの掠れた声が響いた。
「ダメっス、大佐……子供が見てる」
 その声にハッとして振り向けば、恐怖に凍り付く少年の姿が目に入る。ロイの注意が反れた一瞬を見逃さず銃口を向けるウィルソンに、ロイは視線を戻すと同時に指をすりあわせた。
「ギャアッ!」
 銃を持つ手を燃やされて、ウィルソンが悲鳴を上げる。ロイは床を蹴ってウィルソンに飛びかかると手刀でその首筋を打った。
「グッ!」
 低い呻き声を上げてウィルソンが昏倒する。その時になって漸く教室から飛び出してきた部下にウィルソンを任せて、ロイは床に倒れたハボックのところへ走った。
「ハボックッ!」
 倒れた体を抱き起こし、ロイはハボックの顔を覗き込む。そうすれば、ハボックがうっすらと目を開けてロイを見上げて微笑んだ。
「大佐……怪我はなさそうっスね……よかった」
「よくないッ!どうしてこんな……ッ!」
「だって……オレは、大佐の護衛っしょ……?これが、とうぜ、ん……」
「ハボック?……ハボックッッ!!」
 喋っていたハボックの瞼が落ちてその体から力が抜ける。手を濡らす温かい血に、ロイはぞっと身を震わせた。
「車を回せッ!ハボックをッッ!!」
 ロイはハボックの体を抱き上げて叫ぶ。
「すぐ回しますッ!」
 ロイの声に反応して飛び出していく部下の後を、ロイはハボックの体を抱き抱えて走った。


 猛スピードで軍病院に向かう車の中、ロイはハボックの体を抱き締める。ハボックの体から溢れてロイの手を濡らす血が瞬く間にその暖かさを失って冷たくなっていく感触に、ロイはハボックを失ってしまう恐怖に戦いてギュッと唇を噛み締めた。
「ハボック……ッ、死ぬなッ、死んだら赦さんぞッ!」
 ハボックの体からその温もりが消えてしまわないよう、ロイはハボックを抱き締める。病院への道のりがとてつもなく遠く感じられ、ロイはこの車の前を走る他の車を全て燃やしてしまいたい気持ちに駆られた。
「まだかッ?まだ着かないのかッ?」
「もうすぐですッ、マスタング大佐ッ」
 ハンドルを握る部下が悲鳴のような声で答える。その言葉に違う事なく、車は間をおかずに軍病院の前に着いた。
「ドクターッッ!!」
 ハボックを抱き抱えてロイは病院の中へ飛び込む。慌てて駆け寄ってきた看護士達がハボックをストレッチャーに乗せて処置室へと連れていこうとするのにロイがついていこうとすれば、看護士の一人がロイを押し留めて言った。
「どうぞそちらでお待ち下さい!」
「ッ」
 ピシリとそう言われてロイは足を止める。ガラガラと音を立ててハボックが処置室へと運び込まれるのを見送ったロイは、近くの椅子に倒れ込むようにドサリと腰を下ろした。
「ハボック……」
 呟くようにハボックを呼んだロイは、手で顔を覆おうとして己の手にべっとりとついた血を見つめる。車の中でハボックを抱き締めていたせいで青い軍服にも赤い血がそこここについているのを見て、ロイは目を見開いた。
「ハボック」
 もしこのままハボックが死んでしまったら。
「────ッッ」
 ロイは喉をついて出そうになった悲鳴を必死に押さえ込む。恐怖に震える体を血の付いた手で抱き締めて、ロイは顔を歪めた。
「ハボック……ッッ」
『大佐』
 呼べば笑顔を浮かべて振り向くハボックの顔が脳裏に浮かぶ。
『怪我はなさそうっスね……よかった』
 そう言って微笑むハボックの青褪めた顔が浮かんで、ロイはハボックの血に濡れた手で頭を抱えた。
「死ぬな……ッ、お前に何かあったら、そんな事になったら私は……ッ」
 喪失の恐怖に震えながら、ロイはハボックの名を呼び続けた。


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