| 風の行く先 第三十一章 |
| (機嫌、悪かったな) ハボックは給湯室でコーヒーが落ちるのを待ちながら思う。ついさっき、階段の途中から手摺り越し身を乗り出すようにして睨んできた黒曜石を思い出して、ハボックは首を傾げた。 (どうしたんだろう。最近なんだか苛々してるみたいだ) ロイの機嫌がどことなく悪い事はハボックも気づいていた。ここのところ大きな事件もなく、そうとなればロイにとって会議に出席したり書類に埋もれる時間が多くなる。会議も書類も大嫌いなロイがそんな時間の繰り返しにいい加減嫌気がさして苛々する事はこれまでもあったが、今回のロイの機嫌の悪さはこれまでのそれとはどこか違う気がした。 (少しイイ子にしとこう) 部下たちとのちょっとしたお喋りくらい大目に見て欲しいものだが、機嫌の悪いロイを無駄に苛々させることもないだろう。ハボックは首を竦めてそう考えると丁度落ちきったコーヒーをカップに注いで給湯室を出た。 「コーヒーお持ちしました」 ノックをして執務室のドアを開けると、ハボックはそう言ってトレイに乗せたカップを大きな執務机の上に置く。コーヒーを淹れろと言ったにも関わらず置かれたカップに手を伸ばすどころか腕組みしたままムスッとしているロイに、ハボックは僅かに眉を寄せた。 (そっとしといた方がよさそうだ) ここまで機嫌が悪いロイは障らぬ神になんとやら、そっとしておく方がいいだろう。そう考えたハボックがトレイを脇に抱えて執務室を出ようとすれば、ロイがムッと引き結んでいた唇を開いた。 「何を話していたんだ?」 「えっ?」 唐突にそう聞かれハボックは驚いて振り向く。そうすれば睨むように見つめてくる黒曜石と目があって、ハボックは見開いた目を瞬かせた。 「何をって?」 一瞬何を尋ねられたのか判らず、ハボックは問いに問いで返す。すると戸惑ったように視線を逸らしたロイが、諦めたように口を開いた。 「────さっき奴らと何を話していた?」 「え?────あ、ああ」 そんな事を聞かれるとは思っていなかったせいもあって、ロイが言った言葉の意味が半瞬遅れて意味を成す。ハボックは「ええと」と口ごもりながら部下との会話を思い出そうとした。 「えっと……確かこの間の訓練の時、マイクがおかしな事やらかした話をしてたっスかね」 正直丸っきりの雑談で、改めて何を話していたかなどと聞かれてもよく思い出せない。小首を傾げてもごもごと答えればロイの視線が険しさを増した。 「随分と楽しそうだったな」 「えっ?そりゃあまあ……」 気の置けない部下たちとのお喋りなのだ。くだらない話でも楽しくない訳はない。そもそもそんな他愛のないお喋りの事をまるで責めるように尋ねられて、眉を寄せたハボックにロイが言った。 「いつもあんな風に馴れ馴れしくさせるのか、お前は」 「えっ?」 「あんな風に気安く触らせるなんて────っ」 「──大佐?」 苛々とした口調を速めて言い募った言葉を飲み込むロイをハボックが困惑したように呼ぶ。気遣うように見つめるハボックにロイが片手で目元を覆うようにして言った。 「なんでもない。もういい、出て行け」 普段からはとても考えられない、呟くような声で言うロイにハボックは目を見開く。だが、出て行けと言われればそれ以上どうすることも出来ず、ハボックは一礼して執務室を後にした。 「何を言ってるんだ、私は……っ」 パタンと閉じた扉の向こうにハボックの姿が消えると同時にロイは小さく呻く。大きく息を吐くと椅子の背にぐったりと凭れかかった。 どうぞとコーヒーを差し出したハボックの、どこかよそよそしい態度が妙に気に障った。そう思えばさっきの部下たちと楽しく会話を交わすハボックの姿が思い浮かんで、自分に対する態度との差に更に苛立ちが募って、気がつけば口にするつもりのなかった問いを唇に乗せていた。キョトンとして見つめてくる空色に「しまった」と思ったものの一度吐き出してしまった言葉を取り消すことも出来なくて問いを重ねた。返ってきたハボックの歯切れの悪い答えが自分を拒んでいると感じた瞬間、ハボックに馴れ馴れしく触れる部下の手が頭に浮かんでその挙げ句。 「どうしてあんな事を」 聞いてしまったのか自分でも判らない。 「そもそもこの間まであんなに好き好きオーラを送ってきたくせに、一度抱いてやったらもう満足か?」 一度だけ抱いてやるから忘れろと言ったのは自分であることには目を瞑ってハボックを罵ったロイは、だが。 「くそ……ッ、一体なんだと言うんだ……」 もやもやと胸に渦巻く気持ちがなんなのか判らぬまま、ロイは冷めたコーヒーをガブリと飲んだ。 |
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