風の行く先   第二十三章


「よーし、やめっ!」
 市街地を設定しての模擬戦の訓練を繰り広げていた小隊のメンバーの上にハボックの声が響く。あちこちでホッと吐き出される息より一際大きなため息をついて、ハボックは部下たちを見回した。
「今日はここまで。片づけすませて三十分後にミーティング」
 そう声を上げるのも正直しんどくて、ハボックはいつもより汗が流れる首筋を手の甲で乱暴に拭う。返る部下たちの声を聞きながら背を向けゆっくりと歩き出した。
(しんど……)
 夕べ初めて男に抱かれた体はあちこちが軋んで、普段なら何の苦労もせずにこなせる筈の訓練がキツくて仕方なかった。なにより時折痛みにも似た鈍い違和感が下腹に走るのが辛くて、思わず息を詰めては湿度の高いため息を零してしまう。何とか訓練を終えたものの立っているのもしんどくて、ハボックはもつれそうになる足を叱咤して司令部の建物へと歩いていた。
「……あっ」
 なんでもないところで躓いて、ハボックは転びそうになる。膝から落ちそうになる体を背後から伸びてきた手ががっしりと支えた。
「隊長っ、大丈夫ですかっ?」
「────マイク。……サンキュ」
 体を支える腕に縋ってハボックは部下を見上げる。ホッと安堵のため息混じりに礼を言えば、マイクが顔を赤らめるのを見てハボックは首を傾げた。
「どうかした?マイク」
「えっ?!い、いやっ、なんでもないですッ!」
 顔を覗き込むようにして尋ねればますます顔を赤らめるマイクをハボックは不思議そうに見る。それでもなんでもないと言われればそれ以上尋ねようもなく、ハボックはマイクの腕に掴まって体を起こした。
「ありがと。助かった」
 あのまま倒れていたら膝を痛めていたかもしれない。訓練以外の、それもこんななんでもないところで怪我などしたら目も当てられないとハボックはにっこりと笑って礼を言った。
「いや別にこんなのどうってことは」
 モゴモゴとなにやら呟くマイクの肩を叩いてハボックは歩き出す。
(なにやってんだ、しっかりしろ、自分!)
 部下として役に立とうというなら体調不良などという言い訳をするわけにはいかない。知らず湿度の高いため息を零す唇をキュッと引き結んで、ハボックはゆっくりと歩いていった。


「……ったく」
 長い会議を終えて、ロイはうんざりとしたため息をつく。このまま司令室に戻ってすぐに書類と向かい合う気にはなれなくて、ロイは休憩所に向かう角を曲がった。丁度誰もいないのを幸いとロイは休憩所の片隅の観葉植物の陰になっているソファーに腰を下ろした。
「やれやれ」
 ドサリと座ったソファーに背を預けてロイはため息をつく。ふと目を上げれば窓の外に広がる空が見えて、ロイの脳裏に空と同じ色の瞳を持つ部下の姿を浮かび上がらせた。
『たいさァ……ッ』
 その瞳を涙に濡らして縋りついてきたハボックの姿を思い出せば下腹がずくりと重くなる。ロイはだらしなくソファーに身を預けて広がる空を見上げた。
(悦かったな)
 あんな悦楽はこれまで感じたことがなかった。ロイが思わず頬を弛めた時、ドカドカと足音がして数人の男たちが休憩所に入ってきた。今日の演習はキツかっただの疲れただの口々に言いながら男たちはソファーに腰を下ろす。急に騒がしくなった休憩所の空気にロイは眉を顰めた。
(どこの連中だ?)
 ロイは見知った顔がいないかと観葉植物の陰から男たちを伺う。ロイがいることに気づかず男たちは会話を続けた。
「なあ、今日の隊長、ヤバくなかったか?」
「あっ、お前も思った?やっぱヤバかったよな!」
「なんかさぁ、やけに色っぽくなかったか?」
「そうそうそう!なんかこう、零すため息が濡れっぽいっていうか!」
 一人が言い出せば次々と声を上げる男たちの顔をロイは見る。その中の数人が以前ハボックと一緒にいたことを思い出して、ロイは眉を寄せた。
(それじゃあ隊長っていうのは)
 どうやら連中が盛り上がっているのはハボックの事らしい。ロイが聞いているのも気づかず、男たちは大声で話し続けた。
「前から隊長って可愛いとこあると思ってたけど、なんか今日の隊長は可愛いっていうより色っぽかったよな」
「うん、こう、ちょっと眉を寄せちゃってさ……俺、思わず見とれちまったよ」
「判る判る!俺も見とれちまったもん」
「キスしてぇって思わなかったか?」
「「「思ったッッ!!」」」
 ワアッと盛り上がる男たちにロイはムッと顔を歪める。勢い良く立ち上がると観葉植物の陰から出た。
「う……わっ、マスタング大佐っ?!」
 まさかこんなところに上官がいるとは思ってもみなかったのだろう。凍り付く男たちをロイはジロリと見回した。
「随分と賑やかだな。あんまり下らん事を言っていると侮辱罪でぶち込まれるぞ」
「もっ、申し訳ありませんっ、サー!」
 慌てて立ち上がり敬礼を寄越す男たちにフンと鼻を鳴らして、ロイは休憩所を出る。背後に男たちの騒めきを聞きながら廊下を歩いていくロイの眉間に深い皺が寄った。
(キスしたいだと?フン、私はキス以上の事を散々してやったぞ)
 男たちに張り合うようにロイは思う。
(と言うよりその色っぽさは私が可愛がってやったからだ!それも知らんとキスしたいだなんて!ハボックもハボックだ、部下たちになんて顔を見せてるんだッ!)
 何となく面白くなくて、ロイはムカムカとする気持ちのままに足音も荒く廊下を歩いていった。


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