風の行く先   第二十二章


 昨日のうちにほぼ仕上げておいた書類を抽斗から出すと、ハボックはミスがないか目を通していく。幾つか見つけた誤字を訂正して、これでよしと束ねた書類をトントンと机の上で揃えた時、カチャリと司令室の扉が開いた。
「おはようございます、大佐」
 入ってきたロイにフュリーが元気良く声をかける。それに「おはよう」と返したロイの視線が司令室の中をぐるりと巡ってハボックの上で止まった。
「おはようございます、大佐」
「────ああ、おはよう、ハボック」
 ハボックは自分を見つめてくるロイににっこりと笑って言う。ほんの僅かな間をおいて同じように笑って答えたロイにハボックは言った。
「サイン貰いたい書類があるんです。会議の前にお願いします」
「判った」
 ロイは答えてホークアイと共に執務室に入っていく。パタンと扉が閉じてその姿が見えなくなると、ハボックはホッと息を吐いた。
(よし)
 とりあえず普通に笑って話せた事にハボックは安心する。今日の予定を確認したホークアイが執務室から出てくるのを待って、ハボックは書類を手に立ち上がった。
「失礼しまーす」
 軽くノックをすると同時に扉を開ける。うんざりとした様子で書類の山を睨んでいるロイにハボックは書類を差し出した。
「サイン、お願いします」
「どれ」
 ロイは差し出された書類を受け取り目を通す。フムと頷いてサインを認めるとハボックに返した。
「ありがとうございます」
 書類を受け取ったハボックはロイがじっと自分を見つめていることに気づいて首を傾げる。尋ねるように見返したが何も答えが返らないのに、困ったように口を開いた。
「なんスか?書類、拙いとこあった?」
「────いや」
 ロイは短く答えて山積みの書類を手に取る。興味を失ったかのように書類を読み出すロイに、ハボックはキュッと唇を噛むと書類を手に執務室を出た。
「書類出して、そのまま演習行ってくるわ」
「はい、いってらっしゃい」
 フュリーに声をかければ返る答えに送られてハボックは司令室を出る。廊下を歩きながらハボックはキュウッと唇を引き結んだ。
(大丈夫、ちゃんと普通に話せた。大丈夫)
 自分に言い聞かせるように大丈夫と繰り返すハボックの脳裏に書類を読むロイの姿が思い浮かんだ。
(やっぱり、オレの事なんてなんとも思ってないんだなぁ)
 見つめてくるロイに一瞬言葉を期待した。夕べ散々に思い知らされたと言うのに何を望もうと言うのだろう。
(よく判っただろう。昨日のでもう全部忘れるんだ)
 そう言う約束でのデートだった。躯の奥底に残る違和感と共に虚しさを抱き締めて、ハボックは廊下を歩いていった。


 司令室の扉を開けて中に入ったロイはぐるりと部屋を見回す。そうすれば見つめてくる空色と目があったと思うとハボックがにっこりと笑みを浮かべた。
「おはようございます、大佐」
「────ああ、おはよう、ハボック」
 至極素直なその笑みにロイは一瞬ドキリとする。それでも何でもないように返せば後でサインが欲しいと言うのに頷いて、ロイは執務室に入った。
(特に変わりはなかったな……)
 ホークアイが本日の予定を読み上げるのを聞きながらロイは思う。昨日の今日で少しは何か変わったところが見られるかと思ったが、普段と変わりないハボックの態度がロイは何となく面白くなくて眉を寄せた。
「聞いてらっしゃいますか?大佐」
「勿論だとも。三十分後に会議だろう?それまでに溜まった書類を少しでもやっておくよ」
「────よろしくお願いします」
 にっこりと笑って返せばホークアイもそれ以上咎めるようなことはせず執務室を出ていく。やるとは言ったものの山と積まれた書類をうんざりして睨んでいるとノックの音がしてハボックが入ってきた。
「サイン、お願いします」
「どれ」
 差し出された書類をチェックしてサインを認めハボックに返す。ミスなく書類が通過したことに子供のように笑みを浮かべるハボックをロイはじっと見つめた。
「なんスか?書類、拙いとこあった?」
「────いや」
 困ったように首を傾げるハボックに短く返して、ロイは山積みの書類を手に取る。書類を見るフリをして顔を俯けていれば足音に続いて扉が開き閉じる音がした。
「なんだ、全然変わらないじゃないか」
 夕べあんなに深く躯を交えたのだ。顔を赤らめるくらいするかと思ったが、何の変わりもないハボックにロイはムゥと唇を突き出す。
「まあ────あのデートで忘れるという約束だったしな」
 そう提案したのは他ならぬ自分だ。
「いいじゃないか、あれで」
 どこか不満げな表情を浮かべていることに自分でも気づかぬままそう呟いて、ロイは手にした書類をめくって目を通した。


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