空色のカノン  第七章


「ハボック、普通にしてたな」
 執務室に入り椅子に腰を下ろしてロイはそう呟く。別に喧嘩をしたわけではないのだからそれで当たり前なのだが、なかなか寝付けず考え込んでいた身にしてみればそれはそれでなんともひっかかるものがあった。
「ああ、もうっ」
 それでもロイはふるふると首を振ってそんな考えを頭から押し出そうとする。
「最近ちょっと気にし過ぎだ、私は」
 ハボックがロイの誘いを断り続けていたのだって、結局単にバイトをしていただけの事ではないか。あの曲を弾かなかったのだって、単に苦手なだけとか以前弾いて笑われた事があるとか、そんな単純な理由なのかもしれないのだ。
「ちょっと興奮し過ぎたんだ、落ち着け、ロイ」
 ロイはそう言ってギュッと目を瞑ってから開くとペンを取る。積まれた山から書類を取ろうと手を伸ばした時、コンコンと扉をノックする音がした。
「大佐、これにサインお願いします」
 ノックに答えれば入ってきたブレダが書類を差し出す。それに目を通しながら、ロイは知らず深いため息を零していた。
「元気ないですね、大佐。どうかしたんですか?」
 細い肩を落としため息をつく様に、ブレダが不思議そうに言う。ハボックの様子が変だと不安がっていたロイを、夕べハボックのバイト先に連れていってその不安はすっかり消えたように見えた。実際、バイトが終わったハボックとロイが並んで帰っていく後ろ姿はとても仲睦まじくて、てっきりあの後楽しい時間を過ごしたとばかり思っていたのだ。
「あの後なにかあったんですか?」
「え?」
 思わずそう尋ねればロイが弾かれたように書類から顔を上げる。まん丸に目を見開いてブレダを見上げたロイは、ハアとため息をついて視線を落とした。
「なにかというほどの事でもないんだが」
 ロイにしては珍しく歯切れの悪い物言いにブレダはやれやれとため息をつく。
「いいですよ、もうこの際最後まで面倒みますから。ハボックと何があったんです?」
 恋する二人の間の事など正直当事者だけで解決して欲しいと思わないではなかったが、乗りかかった船だ。首を突っ込んで途中で放り出すのも気が引ける。そう思ったブレダがロイに聞けば、ロイは少し躊躇ってから口を開いた。
「夕べあの後、ハボックがうちに来てな。色々リクエストしたら恥ずかしいとか言いながら弾いてくれたんだ。アイツ、意外とよく曲を知ってるんだな。まさかあんなに弾けるなんて思いもしなかった。それにすっごくカッコよかった。店で弾いてる時より数倍カッコよかったぞ。バイトの後で疲れてるだろうに私のリクエストに答えて次々と曲を────」
「大佐」
 話し始めればベラベラとノロケのようなことを言い出すロイをブレダはうんざりと遮る。
「話がノロケ話なら俺、仕事あるんで」
「す、すまん」
 げんなりした様子でブレダに言われ、ロイは顔を赤らめて謝ると一つ咳払いをして話を続けた。
「それで、最後に私が好きな曲をリクエストしたんだが、その曲のタイトルを言った途端ハボックの奴、その曲はダメだって言って」
 そのまま逃げるように帰ってしまったのだとロイが言えば、ブレダが小首を傾げて尋ねる。
「なんて曲をリクエストしたんです?」
「亡き王女のためのパヴァーヌ」
 聞かれてロイが答えた曲名に、ブレダが目を見開いた。それから考えるように口元に手を持っていくのを見て、ロイは机に手をつき腰を浮かしてズイとブレダに顔を寄せる。
「理由を知ってるのか?」
「あー、えっと」
 目を吊り上げるロイにブレダが困ったように口ごもる。その顔をじっと見つめていたロイはドサリと椅子に腰を戻した。
「仕方のない事だとは思うんだが」
「大佐?」
「少尉は私の知らないハボックの事を色々と知ってるな」
 プイとそっぽを向いてそう呟くロイのムスッとした顔を見てブレダはやれやれとため息をつく。その表情が示すものがヤキモチだと判れば、ブレダはボリボリと頭を掻いた。
「ええと、大佐、ハボックからバイオリンの話、どこまで聞きましたか?」
「どこまで、って……」
 ブレダに聞かれてロイは小首を傾げる。
「子供の頃、近所に十年上の女性が住んでて、庭で聞いてるのに気づいた彼女に教えて貰ったっていう話は聞いたぞ」
 ロイがハボックに聞いた話を口にすればブレダが腕を組んでうーんと唸った。
「俺から言っちまっていいのか悩むんですけど」
 まあ、隠すほどの話でもないしなぁとすぐには話しだそうとしないブレダに、ロイが苛々と先を促そうとした時、コンコンとノックの音が響いた。
「……ッ、なんだっ?」
 ムッとした気持ちを押さえ込んで何とか答えればホークアイが入ってくる。
「大佐、少し早いですが会議を始めたいそうです。構いませんか?」
 ロイを見、ブレダを見て尋ねるホークアイにロイは苛立ちの滲む視線を向けた。それでも。
「──判った」
 短くそう答えてロイは席を立ち執務室を出ていく。その背をやれやれと見送ってブレダはため息をついた。
「まったく、なにやってんだかね、ハボックの奴は」
 せっかく妙な誤解をしないようにとロイをバイト先に連れていったというのにまたなにやら誤解の種を蒔いている友人に、ブレダはまったくもうとため息をついて執務室から出ていった。


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