空色のカノン  第四章


「始まりますよ」
 ブレダに言われるまでもなく、暗闇の中に射す一条のスポットライトはロイの視線をその光が照らし出す先へと導く。光の中に佇む人物が構えているのがバイオリンだとロイが気づいた瞬間、彼が構えた弓が翻って音を奏で始めた。
 暗く哀しげな雰囲気で始まったメロディーがシンと静まった店内に流れ始めればロイは釘付けになったように光の中の人物を見つめる。高く儚いトリルが響いてロイをグイと音の(かいな)に抱き締めるように引き寄せたと思うと、曲は少し軽やかなリズムへと移り変わった。その拍子に俯いていた彼の顔が少しあがって金髪がライトの光を弾く。その段になってロイは漸くバイオリンを奏でる人物が誰なのかに気づいた。
「え……あっ、ハボック?」
 そう口にしてからもロイは信じられないように目を見開いてライトに照らし出された人物を見つめる。曲は再び儚げな曲調へと変わり最後は空高く昇り消えていくように終わった。
 ワッと拍手が鳴り響き、ハボックはにっこりと笑って一礼する。すぐさま拍手に答えるようにバイオリンを構えると次の曲を引き始めた。先ほどのスローテンポで哀しげな曲とは打って変わって軽快なメロディはそのタイトル通り妖精たちがくるくると舞い踊っているようだ。右手も左手もまるで走り回っているように奏でる様がロイを始め店内の客の目も耳も引きつけて離さなかった。技巧もさることながら暖かく美しい音色は彼の性格をそのまま映し出しているようにロイには思える。ポカンとして見つめるうち、3分足らずの短い曲はあっと言う間に終わりを告げ、店の中は再び割れんばかりの拍手でいっぱいになった。
 それからハボックはバイオリン片手にテーブルの間を歩いては客のりクエストに答えて流行(はやり)の曲を弾いてみせる。楽しげに笑いながらバイオリン片手にやってきたハボックとポカンとして見つめるロイの目がバッチリと合った。
「な……ッ?大────っ」
 大声で言いかけた口元をハボックは弓を持った手で押さえる。ロイと同じテーブルで笑いながらヒラヒラと手を振るブレダをバッと見ると、ハボックは逃げるように他のテーブルに行ってしまった。
「大佐、これで判りましたか?」
 ハボックが行ってしまうとブレダはロイに向かって言う。だが、ポカンとしてハボックの動きを目で追ってばかりいるロイは、ブレダの声などまるで耳に入っていないようだった。
「えっと……あー、大佐っ?」
 どうしようかと迷って、ブレダはロイの目の前で手を振ってみる。そうすればビクリと震えたロイが、漸くブレダを見た。
「えと……大丈夫ですか?大佐」
 なんと言ったものかと迷って、ブレダはとりあえずそう聞いてみる。そうすればパチパチと瞬きしてハッとしたロイがいきなりブレダの胸倉を掴んで引き寄せた。
「どっ、どういうことだッ、これはッッ?!」
「バイトしてるんですよ、ここで」
「バイトってバイオリン弾きのッ?!」
「たった今見たでしょう?」
「そ、それはそうだが……」
 ロイはそう呟いてハボックの姿を目で追う。バイオリン片手に楽しそうに笑って客と話すハボックを見て、ロイは何度も目を瞬かせた。
「バイオリン弾けるなんて初めて知った」
「恥ずかしいからって隠してたみたいですからね」
 ボソリと呟いたロイの言葉に気づいてブレダが答える。
「知ってたのか?」
「そりゃあガキの頃からのつきあいですし」
「マートンも知ってたんだろう?」
 自分だけが知らされていなかったのかと、仲間外れにされたようで恨めしげに言うロイにブレダがボリボリと頭を掻いた。
「あの頃、寮で飲んで騒いじゃハボックのバイオリンでみんなで歌いまくってたんですよ。だから同期の連中はみんな知ってるんです」
 そう言ってハボックに目を向けるブレダにつられてロイもまたハボックを見る。客のリクエストに応えて子供の頃よく聞いた懐かしいメロディをハボックが優しく奏でれば、誰もが皆口を閉ざしてその音色に聞き入った。
「知らなかった……」
 思いがけないハボックの姿にロイは呆然と呟く。そんなロイにブレダはグラスを傾けながら言った。
「店が終わったらハボックのところに行きましょう。詳しい話はアイツから直接聞いたらいいですよ」
 そう言ったもののロイからの返事は返ってこない。黒曜石の瞳がうっとりとハボックの長身を追い続けているのに気づいて、ブレダはやれやれとため息をついた。


「なんで二人でこんなところにいるんだよっ」
 店が終わったところでロイとブレダが奥の部屋を訪ねれば、バイオリンを片づけていたハボックが二人の姿を見つけて目を吊り上げる。そんなハボックにブレダがまあまあと宥めるように手を振って言った。
「仕方ないだろう、お前がここんとこ俺のアパートに来てたのがバレちまったんだから。ほっといて変に誤解されるよりはいいだろう?」
「バレたっ?嘘ッ」
 ブレダに言われてギョッとしたハボックが慌ててロイを見る。そうすればロイが頷いて言った。
「休憩所で晩飯の話をしてたろう?」
「あっ?……ああ」
 そうか、あれかとハボックが頭を掻く。うーんと唸って、観念したようにハボックが話し出した。
「マートンに頼まれたんスよ。出演するはずだったバイオリニストが急病で代わりに出て欲しいって。ちょっと断れない状況で」
 ハボックはパタンとバイオリンケースの蓋を閉めて続けた。
「でも、最近忙しくて弾く時間なかったし、とはいえぶっつけ本番ってわけにも行かないし、ブレダのアパートで練習させて貰ってたんです」
「俺のアパート、一室完全防音になってるんですよ」
「そうだったのか」
 何故ブレダのアパートなのか、補足の説明に漸くロイが納得したように頷く。それでも不満そうにハボックを見上げて言った。
「でも、だったらそうと説明してくれればいいじゃないか」
「えっ?や、だってバイオリン弾くの、内緒にしてたし」
「そもそもどうして内緒にしてたんだ?士官学校の連中はみんな知ってるんだろう?」
 私一人除け者にして、と睨んでくる黒い瞳にハボックが首を竦める。
「だって……恥ずかしいじゃないっスか」
「どうして?すっごくカッコよかったのに!」
 ハボックの言葉にロイが思わず大きな声を上げれば、ハボックが目を見開いた。
「カッコよかった。光の中、ピンと背筋を伸ばしたお前がバイオリンを構えてて、そこから信じられないくらいもの悲しくて綺麗なメロディが零れて。そうかと思うと妖精がくるくる舞っているように音が楽しげに飛び跳ねて!綺麗でカッコよくて、私はっ」
「────大佐」
 夢中になって言い募るロイに、ハボックが真っ赤になる。それを見たロイもまた真っ赤になって、口を噤んだ二人がじっと見つめあうのを見て、ブレダがうんざりとため息をついた。
「はいはい、続きは帰ってからにしてくださいよ、お二人さん」
 そう言われてハッとした二人は、ますます顔を赤く染めたのだった。


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