| 井筒 第六章 |
| 「ただいま」 扉を開けてそう言った途端、バタバタと階段を駆け下りる音がする。階段の途中で一度立ち止まってロイを見つめたハボックはキュッと唇を噛むと飛び降りるように最後の数段を駆け下りるとロイの前に立った。 「ロイッ」 「……危ないだろう、そんな下り方をして。落ちたらどうするんだ」 眉を顰めてそう言うロイの腕をハボックは掴む。その途端思い切り振り払われてハボックは目を見開いた。 「気安く触るな」 ロイは冷たくそう言うと階段を上がっていく。ハボックは一瞬迷ったもののすぐにロイを追って階段を上がった。 「待ってよ、ロイ。ねぇってば!」 聞こえているだろうにロイはハボックを殊更に無視すると部屋の扉を開ける。そのまま締めようとした扉の間に追いかけてきたハボックが足を挟んだ。 「オレの話、聞いて、ロイ」 「聞きたくない」 「聞けよッ!!」 ハボックは声を荒げるとロイを押し込むようにして部屋の中へと入る。ロイはハボックから逃げるように距離を置くと持っていた本を机の上に置く。ハボックは頑なに自分に背を向けているロイをじっと見つめて言った。 「この間ロイの研究室にいるヤツがオレんとこに来た。ロイと……ロイと付き合ってるって…。それって本当?」 「それが本当だとしてもお前には関係ないだろう?」 「大ありだよッ!」 関係ないという言葉にカッとなってハボックは叫ぶ。手を伸ばしてロイの腕を掴むと言った。 「大ありだよッ、だってオレ、ロイのことが――」 「聞きたくないッ」 「ロイが好きなんだよッ!!」 ハボックがそう言った瞬間、ロイの体が大きく震える。ロイは目を大きく見開いてハボックを見つめると言った。 「馬鹿言うな。私達は兄弟なんだぞ」 「血が繋がってるわけじゃない」 「……私はヒューズが好きなんだ。お前の事は弟としか思えない」 「アイツのどこがいいんだよッ、いけ好かないヤツッ!」 「ハボック!」 ロイはヒューズを悪く言うハボックに声を荒げる。自分を見つめてくる空色の瞳を見返すと言った。 「よく知りもしないくせにヒューズの悪口を言うな」 「アイツとオレの違いって何?オレだってアイツに負けないくらい、ううん、アイツよりずっとロイのこと好きだよ」 「お前は私の弟だ」 「弟なんかじゃないって言ってんだろッ」 ハボックは苛々と言うとロイの腕を掴む手に力を込める。 「好きだ、好きなんだ、ロイッ」 ハボックはそう言うとロイをグイと引き寄せ唇を重ねた。不意に触れた唇の感触にロイは目を大きく見開く。押し返そうとした体はハボックの腕の中に抱き込まれてロイは息が止まりそうになる。唇の間から押し入ってこようとする舌に、ロイはハボックを突き飛ばすとその頬を思い切り叩いた。 「いい加減にしろッ!」 ロイはそう怒鳴ると唇を乱暴な仕草で拭う。 「ヒューズはお前なんかよりずっと大人だ。私を大切にして包み込んでくれる。子供で何の取り得もないお前とは全然違う」 ロイがそう言えばハボックの顔が傷ついたように歪む。ロイはそんなハボックに胸を痛めながら言った。 「たとえ兄弟でなくてもお前の事はなんとも思ってないから」 真逆のことを口にしてロイはハボックを見つめる。傷ついた顔でロイに背を向けると部屋から飛び出していってしまう。バタバタと階段を駆け下りた足音が家の外へと飛び出していくのを聞いた時。 ロイの瞳からポロリと涙が零れて落ちた。 「おーい、ロイ君、聞いてるかぁ?」 目の前でひらひらと振られる手にロイはハッとして顔を上げる。じっと見つめてくる常磐色の瞳に居心地悪そうに目を逸らすロイにヒューズは言った。 「様子が変だな。ワンコに何か言われたか?」 「別に何も言われてない」 探るように見つめてくる瞳を見返せずにそう言うロイにヒューズは眉を顰める。その黒髪に手を伸ばすと言った。 「ロイ。無理すんなよ」 「無理なんてしてないッ」 ヒューズの言葉にロイは伸ばされた手を振り払うと声を荒げる。泣きそうな顔でロイはヒューズを睨みつけた。 「アイツは私の弟で私はアイツの兄だ。それ以上でもそれ以下でもないんだ」 そう言い切ってロイは立ち上がると部屋を出て行く。 「人の気持ちはそんな簡単に割り切れないんだぜ?それは自分が一番知ってるだろう、ロイ」 ヒューズはため息をつくと聞く人のない言葉を呟いたのだった。 黒板に板書した式を指差しながら説明する教師の声を聞きながらハボックは窓の外へと目を向ける。頭の中に響くのは、聞いている筈の教師の声ではなくあの時ロイに投げつけられた言葉だった。 『私はヒューズが好きなんだ。お前の事は弟としか思えない』 浮かんだ言葉にハボックは唇を噛み締める。そうすれば再びロイの声が聞こえてきた。 『ヒューズはお前なんかよりずっと大人だ。私を大切にして包み込んでくれる。子供で何の取り得もないお前とは全然違う』 (オレだって……オレだってロイのこと…ッ) ロイを大切に思う気持ちは他の誰にも負けていないつもりだ。それでもロイが自分を認めてくれないというなら認めさせるよう努力するしかない。 ハボックはそう思うとまっすぐに前を見据えたのだった。 それから暫くの間、ロイは家に帰ろうとしなかった。ハボックと顔を合わせるのが何より辛かったし、もしあれ以上ハボックに好きだといわれ続けたら本当は自分も好きなのだと言ってしまいそうな気がしたからだ。 「これでいいんだ。暫く会わなければハボックだっていつか私の事など忘れてしまうんだから」 ロイは必死にそう自分に言い聞かせながら過ごしていたが、あまりに根をつめるロイを心配したヒューズに研究室を追い出されてしまう。仕方なしに重い足取りで家に戻ったロイを待っていたのは思いがけない知らせだった。 「セントラルの高校に移った?」 母親の言葉をロイは驚きのあまり鸚鵡返しに繰り返した。母親は心配そうに首を傾げて言う。 「ええ。以前からバスケで有名なコーチがいる学校からあっちの学校に来ないかって誘われてたの。ずっと断ってたんだけど、どういう心境の変化か突然向こうの学校に移るって言い出して」 せめて学期の区切りまで待てばと言った母親に、だがハボックはすぐに移ると言って譲らなかった。 『母さん、オレにやりたいことやれって言ったじゃん』 そう言われてしまえば反対し続けるわけにも行かない。まだ16になったばかりのハボックをひとりセントラルにやるのは心配だったが結局はハボックの望むままに送り出したのだ。 「お父さんも男なんだからやりたい事があるならやって来いって言うし。お父さんも貴方も研究だ仕事だって 中々家に帰ってこないんだから、私も一緒に行けばよかったわ」 半分本気でそんな事を言う母親の話を聞いた後、ロイは2階へと上がる。ハボックの部屋の扉を開けると中へ入った。 部屋の中はきちんと片付けられていて当分はこの部屋の主が帰ってこないのだと告げていた。ロイはハボックが使っていた机に歩み寄るとそこに残された本を手に取る。パラパラと捲れば間からひらひらと栞が舞い落ちて、ロイは屈むとそれを拾い上げた。細長く切った手製の栞には綺麗に乾かした紅葉が貼ってある。それはまだ二人が小さい頃、一緒に拾った紅葉だった。それを大事に取っておいたことと、こうして置いていってしまったことにロイは胸が痛くなる。 ロイは唇を噛み締めて栞を見つめていたが、持っていた本に挟むと静かに部屋を出て行った。 |
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