井筒  第四章


 夕食だと呼ぶ声に読んでいた本を閉じるとロイは部屋を出る。階下に下りていい匂いのするダイニングへと入ればハボックがパッと振り向いて言った。
「ロイ!」
 満面の笑みを浮かべるハボックはロイの目には眩しすぎてフイと目を逸らす。何も言わずに席につくと、目の前に黄色も鮮やかなオムライスの皿が置かれた。
「はい、ロイ」
 ニコニコと笑うハボックに母が愛おしそうに笑う。
「ジャンってばすっかり張り切っちゃって、私の事邪魔だってキッチンから追い出すのよ」
「だって、母さん、横から煩いんだもの」
 そう言って仲よさそうに話す二人をロイはじっと見つめた。
 ジャンの父を「父さん」とは中々呼べなかったロイとは違って、ハボックは血の繋がらない新しい母親をすぐ「母さん」と呼んだ。まるで生まれた時からの親子のような二人の様子を見ているのが辛くてロイは湯気を上げるオムライスに目を落とす。
(そうだ、ジャンにとって母さんが母親であるように、私は兄でなければいけないんだ)
 ロイはそう自分に言い聞かせて一度目を閉じると顔を上げ二人に話しかけた。
「早く食べよう。せっかくジャンが作ってくれたのに冷めちゃうよ」
 そう言えば二人は慌てて席につく。「いただきます」の声と同時に食べ始めると、ハボックが期待に満ちた目を向けてきた。
「うん、とっても美味しいよ、ジャン」
「ホントっ?」
 パッと顔を輝かせるハボックにロイは微笑む。
「ジャンは料理が上手いな。それに比べて私は兄のくせに何も出来ないよ」
「そんな事ないよ、ロイは凄く頭がよくて何でもできるじゃないか」
 ハボックはそう言ってロイをじっと見つめた。
「オレもロイみたいになりたい。ロイの後についていきたい」
 そう言って熱のこもった瞳で見つめるハボックの視線から逃れるように目をそむけてロイは言った。
「私の後なんかについて来る事はない。ジャンはジャンの道を進めばいい」
「ロイっ」
「母さん、ドレッシング取ってくれる?」
「え?ええ」
 縋るように見つめてくるハボックを殊更に無視して、ロイは母に話しかけ続けた。

「ねぇ、ロイ。どうしてオレについてくるななんていうのさ。そんなにオレの事、迷惑?」
 食事を終えて部屋へ戻ろうと階段を上がればハボックが後からついてくる。引き離そうと駆けるように階段を上がったが、ハボックは長い脚でいともたやすくついて上がって来た。
「ロイってば!」
 グイと肩を掴まれてロイはその手を振り払う。いつの間にか自分より頭一つ大きくなっているハボックを見上げてロイは言った。
「もう小さい子供じゃないんだから何でもかんでも兄である私の真似をする必要はないんだ、ジャン」
「別に兄だからって真似してるわけじゃっ」
「もっとも兄として色々教えて欲しいと言われればいくらでも教えるけど」
 そう言うロイの言葉にハボックは目を見開いてロイを見つめていたがポツリと呟くように言う。
「ロイは兄さんなんかじゃない。オレ、オレは……ッ」
「養子縁組もしてるから私達は立派な兄弟だよ、ジャン。お前は私の自慢の弟だ」
「ロイっ」
「明日は早くに行かなきゃなんだ。もう休むよ、おやすみ。オムライスをありがとう、ジャン」
 ロイはそう言うとハボックに背を向け自分の部屋へと向かった。じっと見つめてくる視線を自室の扉で遮るとホッと息を吐く。閉じた扉に背を預けると呟いた。
「これでいいんだ、これで……」
 そう呟いて目を閉じると、ロイはズルズルと座り込んでしまった。

「ロイ……」
 自室のベッドの上に横たわってハボックはそう呟く。殊更に兄弟であることを強調するロイの言葉はハボックを酷く傷つけた。思わず「兄じゃない」と口走ってしまったことでハボックは自分の気持ちと向き合わざるを得なくなっている事に気付く。
 初めて新しい兄だと紹介された時からハボックはロイが大好きだった。綺麗で、頭がよくて、何でもできる兄に追いつきたくて、色んなことを頑張ってきた。ずっとずっとロイの背中を追い続ける内ロイの事しか見えなくなっていて。
「兄弟なんかじゃ嫌だ…」
 そう口にすれば自ずとその先にある気持ちがはっきりと見えてくる。
「ロイ……好き」
 その「好き」が兄弟以上のものを求める「好き」だと気づいた時、ハボックの瞳から涙が一筋零れて落ちた。

「ロイ、これサンキュ。助かった。今度なんか奢るぜ」
 ヒューズはそう言って借りていたファイルをロイに差し出す。ロイはそれを受け取るとふと思いついたように言った。
「奢ってくれなくていいから一つ頼まれてくれないか?」
「構わねぇけど…なんだ?」
 珍しいロイの頼みごとにヒューズは興味を駆られたようにロイを見る。ロイはどうしようかと悩むように何度か口を開きかけては黙るを繰り返していたが、漸く意を決したように言った。
「理由は聞かずに私には恋人がいるとハボックに言ってくれないか?」
「は?ワンコに?なんで?」
「理由は聞くなと言っただろう?」
 思わず聞き返したヒューズにロイがムッとして言う。睨んでくるロイをヒューズは目を眇めて見つめたがやがてゆっくりと言った。
「別にそれくらい言うのは構わんけど……だったらどういうかは俺が決めていいか?」
「ああ、言い方は任せる」
 ヒューズの言葉にロイはホッとして止めていた息を吐き出す。書きかけのレポートに手を延ばすと目を通し始めた。その長い睫に縁取られた瞳に宿る「何か」に気付いて、ヒューズは低い声で聞いた。
「それでいいのか?お前は」
「何がだ?」
 見上げて聞き返してくる黒い瞳にヒューズは苦笑する。
「まあ、お前ってヤツは昔っからそうだったよ。頑固で、素直でなくて」
「……何が言いたいんだ?」
「別に」
ヒューズはそう言ってロイの頭を軽く叩くと扉へと向かった。
「頼まれた事はやっておくから」
 安心しな、と言って出て行く背中にロイは慌てて「頼む」と声を上げる。扉が閉まる寸前で言った言葉をヒューズが聞きとめたかは判らなかった。ロイは手にしていたレポートを机に置くと窓を見上げる。
「これで全部終わる……」
 ロイはそう呟くと深いため息を吐いた。


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