井筒  第三章


「なあ、おい、ハボック。お前ホントにどっか部活、入らねぇの?」
 食堂の向かいの席に座ったブレダが定食のフライに齧りつきながら言う。ハボックはアイスコーヒーを啜りながら答えた。
「入んない」
「でも、あっちこっちから誘われてんだろ?中等科の時も結局どこの部にも入らなかったし、勿体無いじゃん」
 そう言いながら次のパンへ手を伸ばすブレダを見ながらハボックは眉を寄せる。
「お前、それ全部食うの?」
「んあ?当たり前だろ。食えないものは持って来ねぇよ」
 そう言うブレダのトレイの上には本日の定食メニューのチキンフライ定食、スープ・サラダ付きの他にチョココロネとメロンパンとコロッケドッグが載っていた。
「太るぞ。お前、制服の前ボタン、止まんないんだろ?」
 言われてブレダは自分の腹を見下ろす。立派に育ったそれをじっと見つめてそれからハボックを見ると言った。
「今は横に育つ時期なんだよ。そのうち縦に育つから大丈夫、大丈夫」
「……お前、それ、中等科の頃から言ってる」
 ハボックはそう言うと自分の前のトレイを押す。皿の上にまだエビフライが残っているのを見たブレダが目を輝かせて言った。
「もう食わねぇの?貰っていいか?」
「…いいけどね」
「おお、サンキュ」
 ブレダは嬉しそうに礼を言うとハボックの皿の上のエビフライをフォークで刺して口に運ぶ。ハボックは一つため息をつくと肘をついて窓の外を眺めた。
 ハボックはこの春から高等科へと進学した。中等科に入った頃からめきめきと背が伸びたハボックだったが、最近では背が高くなっただけでなく綺麗な筋肉に包まれた体が若い獣のようで、ハボックを少年から男へと変えつつあった。中等科の頃からどのスポーツにも人並み以上の実力を持っていたハボックはあちこちの部から入るように誘いを受けていたが、ハボックはそのどれにも入らず目の前のブレダと一緒に帰宅部を決め込んでいた。
「だって、部活なんてやったら益々ロイと顔合わせる時間、減っちゃうじゃん…」
 ボソリとそう呟く声を聞きとめてブレダが言う。
「そういやロイさん、相変わらず忙しいのか?」
「うん、ラボ篭って帰ってこない」
 大学に入って研究課程に進んだロイは実験だ研究だと言っては泊り込むことが多くなった。なかなか家に帰ってこないロイに会いたくて、大学まで押しかけたハボックをロイは「邪魔だ」の一言で追い返した。そう言われてしまえば大学に行くわけにもいかず、ハボックは学校が終わると飛んで家に帰ってロイの帰りを待つようになっていた。
「ロイさん、頭いいもんなぁ。教授たちもすげぇ期待してんだろ?」
「うん……」
 そう答えてハボックは食堂のテーブルに突っ伏す。顎をテーブルにつけたまま向かいの席でパンを頬張る友人を見つめた。
「オレもブレダみたいに頭よけりゃなぁ……」
 見かけのずんぐりした印象とは違って頭脳明晰な友人を見つめてハボックはため息をつく。
「そうしたらロイの後、追っかけていけんのに……」
 中等科で同じクラスになって以来、ハボックの兄への憧憬をよく知っているブレダは苦笑して言った。
「何言ってんだよ、まだこれから3年あるんだからいくらでも追いつけるだろ」
「無理。ロイの頭のよさ、尋常じゃないもん」
「頭脳明晰、容姿端麗。神さまってのは二物も三物も与えるもんだよな」
 その言葉に深いため息をつくハボックの頭をブレダは手を伸ばしてポンポンと叩く。
「お前にはお前のイイトコがあるだろ。大丈夫だって」
 親友の言葉にハボックは小さく息を吐いてそっと目を閉じた。

「ロイ!この間の実験結果、どこにある?」
 バンッと扉が開く音と共に聞こえてきた声にロイはレポートを書いていた手を止める。ドカドカと部屋に入ってきた男をロイはうんざりした様子で見上げた。
「ヒューズ、部屋に入ってくるときは静かに入って来いと言っているだろう?」
 ロイはそう言ってかけていた眼鏡を外すと机の上に置く。ヒューズは机の端に尻を引っ掛けてロイが置いた眼鏡を手に取った。
「なんだよ、相変わらず伊達眼鏡してんのか?似合わねぇからやめろって」
 眼鏡は俺みたいなのがかけてこそ似合うんだぜ、とニヤリと笑って言うヒューズにため息をつくとロイはファイルに手を伸ばす。それをヒューズに差し出して言った。
「お前が言ってるのはこれだろう?…眼鏡、返せ」
 そう言えばヒューズがファイルと引き換えに眼鏡をロイに渡す。再び眼鏡をかけるとレポートを書き出すロイを見ながらヒューズは言った。
「そういやさ、お前んちのワンコ、どうしてる?」
「ワンコ?私の家には犬なんていないぞ」
 キョトンとして見つめてくる黒い瞳にヒューズが悪戯っぽく笑う。
「いるじゃないか、ほら。金色の大型犬が」
 ニヤニヤと笑って言うヒューズにロイは顔を顰めた。
「ハボックのことか?なんだよ、大型犬って言うのは」
「大型犬だろ?大事なご主人さま守ろうと必死じゃん」
 楽しそうに言ってヒューズは以前見たハボックの姿を思い浮かべる。挑戦的に睨んできた空色の瞳を思い出してクスクスと笑った。
「可愛いよなぁ、俺のこと、すっげぇ目で睨んできて。大事な兄ちゃんに触るなってよ」
「ヒューズ」
 咎めるように言うロイをヒューズはじっと見る。まっすぐに見つめてくる常盤色の瞳に居心地悪そうに目を背けるロイにヒューズは言った。
「可愛いんだろ?あんまり冷たくすると泣くぞ」
「別に冷たくなんてしてない」
「そうか?」
 大学に来たときのハボックとロイとのやり取りを思い浮かべてヒューズは目を細める。傷ついて泣き出しそうな顔で走り去ったハボックの姿が目に浮かんでヒューズはため息をついた。
「まあ、俺はとやかく言わんけどよ。んじゃ、これ、ちょっと借りるな」
 そう言ってヒューズはファイルを振って部屋を出て行く。パタンと扉が閉まるとロイは手にしていたペンを置いた。椅子の背に体を預けると眼鏡を外す。疲れたように眉間を揉み解すと窓の外へと目を向けた。そこに広がる空色にハボックの瞳の色を思い出してロイは唇を噛み締める。
 どんどん男として成長していくハボックに強く惹き付けられ目を離せなくなっている自分に気付いて、ロイは必死にその気持ちを押さえ込もうとしていた。なるべくハボックと会う時間を減らし、会う時には殊更兄として振舞うようにしていた。
(ハボックは弟なんだ。こんな気持ち、おかしいだろう)
 ロイは必死に自分にそう言い聞かせる。だがそう思おうとすればする程ハボックのことばかりが頭に浮かんでしまい、ロイは緩く頭を振った。
 今日中に書いてしまおうと思っていたレポートも、今はこれ以上書き進める事など出来そうもなくてロイは仕方なしに片づけを始める。かけていた眼鏡を外そうとしたが結局はそのままにロイは部屋を後にした。

「ただいまぁ」
 学校を終えて家に帰ってきたハボックは母親のいるキッチンに向かってそう声をかけると2階へと上がる。自分の部屋に入ろうとして奥のロイの部屋に灯りがついている事に気がついた。
「ロイっ?帰ってるのっ?」
 そう言いながらノックもそこそこに部屋の扉を開ける。そうすれば窓辺の椅子に座って本を読んでいたロイが咎めるような視線を向けた。
「ちゃんとノックをしろといつも言っているだろう……ジャン」
「…久しぶりに会ったのに最初にそんな事言わなくてもいいじゃん」
 ハボックはそう言って唇を尖らせるとロイに近づいていく。窓辺の陽だまりの中に座るロイはハボックの目にはとても輝いて見えた。
「元気だった?ロイ。ちゃんとメシ食ってる?」
 ハボックはそう言ってロイの頬に触れる。ロイは金の髪に陽の光を弾いて笑うハボックを眩しそうに見上げたが、ハボックの手を払うと答えた。
「食べてる。そんなのお前に言われるまでもない」
「だって、ロイ。夢中になるとメシ食うの忘れるじゃん」
 ハボックは払われた手をどうしたらよいか迷うように握り締めるとそう言う。それからいい事を思いついたと言うような顔をして言った。
「そうだ。オムライス作ってあげるよ。とろとろ卵のヤツ。ロイ、好きでしょ?」
 小さい頃、ロイがオムライスを好きだと聞いたハボックはロイの喜ぶ顔が見たくて母に作り方を習ったものだった。ニコニコと笑いながら言うハボックにロイは困ったように目を伏せる。「いらない」と言いかけてそれではあまりに大人気ないかと言葉を飲み込んだ。
「そうだな、じゃあ久しぶりに作ってくれるか?オムライス」
 ロイがそう言えばハボックが嬉しそうに笑った。


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