| 井筒 第十章 |
| ピィ―――――ッッ!! 試合終了を告げるホイッスルが鳴り響きワアッと歓声が体育館を包む。大差で高校最後の試合を終えたハボック達に、体育館の観客は惜しみない拍手を送った。ハボックは観客の声援に答えて手を振りながら観客席を見上げる。自分に向かって大きく手を振る母親の横でロイが試合の興奮に頬を染めてこちらを見ているのを目にして、ハボックは目を細めた。 鳴り止まぬ拍手と歓声を後に選手達が控え室へと消えていくと、拍手はやがて興奮の余韻に包まれた騒めきへと代わり、観客達は帰り支度を始めるとゆっくりと席を立ち体育館の外へと向かい始める。ロイも母親と一緒に観客席から通路へと出たが、その時母親がロイを手招いて歩きだした。 「こっちよ」 そう言った母親が向かうのは『関係者以外立入禁止』と書かれた看板の先で、ロイは眉を寄せて母親を引き止める。 「母さん、そっちは関係者以外ダメだよ」 「あら、私、関係者だもの」 ロイの言葉に母親は事も無げに答えた。 「選手の母親なんだから十分に関係者でしょ?」 「そんな事言ったら友人だから、学校が一緒だからって言い出すヤツらが出てきてきりがないって」 そう言ってロイが腕を掴めば母親はジロリと息子を睨む。 「いちいち煩い子ね、アンタは。いいからいらっしゃい」 腕を掴んできた手を逆に掴んで、母親はどんどん奥へと入っていった。すれ違う大会のスタッフと思しき人達に胡散臭げに見られて、ロイが再び母親を引きとめようとした時。 「あ、いたいた。ジャーン!!」 母親が上げた声にロイはビクリと体を震わせる。選手達がたむろっているところへ母親が近づいていけば中の一人が奥に向かって声をかけた。 「ハボック!お前の母さん来てるぞ!」 「こんにちは!最後の試合もみんなカッコよかったわよ!はい、これ、差し入れね」 ニコニコと笑いながら母親がそう言えば選手達が「ありがとう」だの「そうですか」だの言いながら笑っている。どうもすっかり顔馴染みになっているらしい母親の耳元にロイは思わず囁いた。 「どういうこと?もしかして母さん、しょっちゅう来てるの?」 コソコソと囁くロイを選手達が目を丸くして見つめる。比較的小柄な選手が母親に聞いた。 「えと、おばさん、こちらの方は?」 その声にハッとしたロイが選手達の方へ目をやれば一斉に自分を見つめている事に気付く。何だか急に気恥ずかしくなって顔を紅くしたロイの背をグッと押して母親が答えた。 「ロイよ、私の息子。やっと一緒に試合を見に来たの」 「…どうも」 紹介されて仕方なしに頭を下げるロイに選手達が一斉に声を上げ始める。我先に自己紹介を始めようとする選手達の背後から機嫌の悪そうな声が聞こえた。 「何やってんだよ、お前ら」 その声と共に仲間達をかき分けてハボックが姿を現す。まだユニフォームに身を包んだ背の高い体をロイは目を見開いて見つめた。 「母さん、勝手に入ってきちゃダメだって言ってるでしょ?」 「いいじゃないの。それに今回は高校最後なんだし…」 母親はそう言うとハボックの筋肉に包まれた腕を叩く。 「これまで良く頑張ったわね。本当に凄かったわ」 「……ありがとう、母さん」 優しく見つめてくる瞳にハボックも微笑み返すとそう答えた。それからロイに目をやると言う。 「ロイも、見にきてくれてありがとう。見て貰えてすげぇ嬉しいっス」 そう言われて何か返そうと思うものの上手い言葉が出てこない。ロイが困ったように目を伏せるとハボックは母親に聞いた。 「母さんはすぐ帰るの?」 「父さんが出張から帰ってくるって言うからすぐ戻るわ」 「そっか。父さんによろしく言っておいて」 その言葉に頷く母親に小さく笑うとハボックはロイを見る。その黒い瞳をじっと見据えて尋ねた。 「ロイは?泊まって行くんでしょ?」 「あ、うん。せっかくだからセントラルもゆっくり見たいし…」 「そう」 ハボックは薄っすらと笑って頷くと母親に目を移す。 「母さん、ちょっと待ってて。駅まで送るから」 「あら、ミーティングは?」 「送ってからすぐ学校戻るから平気」 ハボックはそう言うと奥へと引っ込みジャージを着て荷物を持って戻ってきた。 「コーチにも断わってきたから、さ、行こ」 「あら、コーチに挨拶くらいしたいわ」 「母さん、話し出すと長くなるからいいよ。どうせ卒業式にも来るんだろ?その時でいいじゃん」 ハボックはそう言って二人の背を押す。仲間達に「後で」と手を振れば、皆が母親とロイに向けて声をかけた。振り向いてニコニコとそれに答える母親をグイグイと押しながらハボックは体育館の外へと出る。途端に残っていた観客達に囲まれそうになって、ハボックはロイの手を掴むと走り出した。 「ジャンッ」 「いいから!母さんも早く!」 3人はバタバタと走って体育館を後にする。暫く走ったところで母親が「もう走れない」と悲鳴を上げて、3人は速度を落としてゆっくりと歩き出した。駅への道を並んで歩き出したはいいがいつまでたっても解かれない手にロイは困りきって軽くハボックを引っ張った。引かれてハボックはチラリとロイを見たが、唇の端を持ち上げて笑っただけで母親の方へ視線を向けてしまう。そのまま手を解かずに母親と言葉を交わすハボックの手から己のそれを引き抜こうとしたロイは、抜くどころか逆にギュッと握られて顔を紅くするとハボックを見た。 「ジャン…ッ」 小声で責めるようにハボックの名を呼べば空色の瞳が面白そうにロイを見る。繋ぐ手の指をロイの白い指に絡めると言った。 「小さい頃はよくこうして手、繋いで歩いたよね。ねぇ、母さん、覚えてる?」 「そうね。アンタはいっつもロイの後くっついて歩いてたから。ロイが歩く早さについていけなくて泣き出すとロイがいつも手を繋いでたわ」 懐かしそうに母親が答え、ロイは手を振りほどく事が出来なくなって唇を噛み締める。かつて自分の歩調についてこられずに泣いた弟は今では自分の背を遥か高くに追い越して、その歩幅も自分よりずっと長い。気付かないうちに逆転した立場にロイが何も言えないままでいるうちに3人は駅に着いた。 「じゃあ、母さん。今日は来てくれて本当にありがとう」 「いい試合だったわ。アンタは私の誇りよ、ジャン」 そう言って笑う母親の頬にキスをする。手を振って駅の中へと消えていく背を見送る間もハボックはロイの手を離さなかった。母親の姿が見えなくなるとロイは繋がれた手をグイと引く。 「手、いい加減に離せ」 紅い顔で言うロイを面白そうに見つめたハボックは、その言葉を綺麗に無視して言った。 「ホテルどこっスか?駅のとこ?」 「そうだけど…ッ」 「ミーティング終わったらすぐ行くから部屋で待ってて。どこにも行かないで」 まっすぐに見つめてくる瞳を見返していることが出来なくてロイはフイと目を逸らす。 「聞いてるっスか?」 ギュッと繋ぐ手に力を込められてロイはキッとハボックを睨みあげると言った。 「聞いてるッ!そんな事より、手!」 「一人でホテル行ける?」 手を離すどころかそんな事を言い出すハボックにロイはムッと唇を突き出す。 「お前、私を幾つだと思ってるんだ?すぐそこのホテルだぞ?行けないわけがないだろうがッ」 「……そういう意味じゃないんスけどね」 小さい子供じゃあるまいし、と怒るロイにハボックは苦笑した。繋いだままだった手を持ち上げるとロイの白い手の甲に唇を押し付ける。ギョッとして引こうとする手を引き寄せてハボックは言った。 「すぐ戻ってくるから」 「わ、判ったッ!」 ロイは今度こそハボックの手を振り解くとそれだけ言ってくるりと背を向ける。逃げるようにホテルに向かって歩き出したロイを、すぐハボックが追いかけてきた。 「ジャン?!」 「やっぱ心配。ホテルまで送ってく」 「…ッ!あのなぁッ」 「送ってくっス」 その短い言葉が持つ妙な迫力に押されて、ロイはそれ以上何も言うことが出来なくなって目を瞠る。隣を歩くハボックから守るように両手を胸の前で握り閉めると何も言わずに歩き続けた。 ホテルについてそこで帰るのかと思いきや結局部屋の前まで付いてきたハボックをロイは不満げに睨みつける。ハボックは困ったように笑ったが、次の瞬間ロイの体を引き寄せギュッと抱き締めた。 「な…っ」 「後でね、ロイ」 耳元に低く吹き込まれる声にゾクリと身を震わせるロイをハボックはそっと離す。扉を開けてロイを中へと入れると優しく笑って扉を閉めた。遠ざかっていく足音を聞きながらロイはヘナヘナと座り込む。まだ声が木霊しているように思える耳をそっと手で押さえた。 「も……バカっ」 押さえた耳から熱が体中に広がるような気がして、ロイは自分の体を抱きしめて小さく蹲った。 |
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