いつか帰る場所であるように  第六章


 朝食の後片づけを済ませると、ハボックは食事の前に洗濯機に放り込んでおいたリネンの類を中庭に干してしまう。廊下の窓から真っ白なシーツが風に翻るのを見たロイは、戻ってきたハボックに言った。
「なんだ、わざわざ洗濯したのか?そのままにしておいて構わなかったのに」
「そう言うわけにいかないっスよ。次に誰か泊めるときに困るでしょ?」
 そう言われてロイは、ここに泊めたのがハボックが初めてだったと気づく。あのヒューズですら泊まるのはホテルでいくらでも部屋があるにも関わらずこの家に泊めた事はなかった。
「泊めたのはお前が初めてだな」
 ボソリと呟く言葉を聞きつけてハボックはロイを見つめる。その意外な事実に首を傾げて言った。
「ヒューズ中佐くらい泊まったことあるでしょ?」
「いや、アイツはいつもホテルに泊まるからな」
「なんで?」
「ここじゃメシが食えないからだろ」
 そんな風に答えればハボックがすんなりと納得するのを見て、ロイは不機嫌に言った。
「何故そこで納得する」
「いや、ここは納得するところでしょ」
「かわいげのない」
 フンと顔を背けるロイにハボックはクスリと笑うと同時にロイが誰もここに泊めたことのないと聞いて、どこかホッとしている自分に気づいて眉を顰める。
(何でオレ、ホッとしてんの?)
 別にロイが誰を泊めようと自分には関係のない筈なのに。
「おい、そろそろ出た方がいいんじゃないか?」
「あ、はい!」
 丁度その時ロイの声が聞こえて、ハボックは軽く頭を振ってその考えを閉め出すと、玄関に向かうロイの後を慌てて追いかけた。

「あ、おはようございます、大佐」
 司令室の扉を開ければ既に来ていたブレダが声をかけてくる。それに答えて執務室へと入っていくロイを見送って、ハボックは友人へと視線を移した。
「……はよ、ブレダ」
「…おう」
 挨拶の言葉をかければ明らかにブレダがホッとした表情を浮かべる。向かいの席に腰掛けるハボックにブレダが言った。
「その…昨日は悪かったな。お前の気持ちも考えずに勝手なこと言って」
「いいよ、別に怒ってないし」
 そう言ってからニヤリと笑ってみせれば、今度こそブレダが安心したように笑う。ハボックは煙草を取り出して火をつけるとだらしなく椅子に寄りかかった。
「あーあ。今日は土建屋仕事ばっかりだ」
「嫌ならオレの書類作りと代わってやるぜ」
「それはもっと嫌」
 心底嫌そうに言うハボックにブレダが笑う。ハボックは吸い始めたばかりの煙草を灰皿に押しつけると立ち上がった。
「んじゃ、ちょっくら行ってくるわ」
「おう、頑張ってこいや」
 そう言うブレダに軽く手を振って、ハボックは指令室を出ていった。

 執務室に入るとロイは相変わらず山と積まれた書類を目にしてうんざりとため息をつく。この調子だと今日は一日執務室に籠もりきりになりそうだと思えば、すんなり椅子に座る気にもなれなかった。
 ロイは大きな窓に近づくと寄りかかるようにして空を見上げる。綺麗に晴れ渡った空はハボックの瞳と同じ色で、何故だか心をざわつかせた。
「……最近どうも私は変だな」
 なにがどうしてこんな気持ちになるのか皆目見当がつかない。ロイは一つため息をつくと書類が山と積み上げられた机の前に腰を下ろした。

「あっつー……」
 ハボックはそう呟くと額の汗を手の甲で拭う。まだ春先であるにもかかわらず初夏のような陽射しにTシャツは瞬く間に汗でびっしょりになった。
 今日のハボック隊の仕事は先日の爆発事故で破壊された建物の撤去作業だ。屈強な男たちばかりの部隊とはいえ太陽の陽射しには敵うはずもなく、隊員たちはまだ午前中であるにも関わらず汗だくになっていた。
「おい、ちゃんと水分補給しながらやれよ」
 ハボックはミネラルウォーターのペットボトルを呷りながら言う。そうすればそこここから「うーす」と暑さにうんざりした声が返ってきた。
「あーあ、こんなことならブレダの書類仕事代わった方がよかったかも…」
 実際代わったら代わったで絶対文句を言うのは判っていながらハボックはそう言ってみる。言ったところで暑さに変わりがあるわけでなく、ハボックはうんざりしたため息をつくと台車に積み上げた瓦礫をトラックへと運んだ。

「ああ、もううんざりだ」
 ロイはそう呻いてペンを放り投げる。午前中いっぱい書類と格闘していたものの、片づけたのと同じ分だけ更に書類が持ち込まれ、ロイの机の上の山は一向に減る気配がなかった。
「どこかで絶対サボっている奴がいるに違いない」
 ロイは普段の自分を棚に上げてそう呟く。一度失せてしまったやる気はどこに隠れたか戻ってくる様子はなく、ロイはゆっくりと立ち上がると扉に近づきそっと司令室の様子を伺った。
「………」
 細く開けた隙間から自分が一番苦手としている人物がいるかどうか確かめる。どうやらいないと見るや隙間の幅を広げて執務室から出た。素知らぬ顔で司令室を通り過ぎ廊下へ続く扉へと手をかけると背後からフュリーの声が聞こえる。
「大佐?どちらへお出かけですか?」
 恐らく自分から目を離すなと言われているのだろう、そう聞いてくる小柄な曹長にロイはにっこりと笑って言った。
「ちょっと総務に書類を取りにな」
「あ、だったら僕が行ってきますよ」
 そう言って立ち上がりかけるフュリーをロイは慌てて止める。
「構わんよ、気分転換にもなるから」
「はあ、そうですか?」
 気のいい曹長に頷いてロイはそそくさと司令室を出ていった。

「全くもう、私はサイン製造機じゃないんだぞ」
 司令室を抜け出したロイは足早に廊下を通り抜け司令部の建物を出る。途端に明るい光が降り注いで、ロイは眩しさに目を細めた。
「すごいな、雲一つない」
 ロイは空を見上げてそう呟く。ついこの間までの弱々しい光とはうって違った初夏の陽射しに、ロイは楽しそうに歩きだした。
「こんな日はやはり外にでるに限るな」
 そう言って歩いていたロイだったが、強い陽射しに厚い軍服の中は瞬く間に汗だくになって、うんざりしたように立ち止まった。
「目的もなく歩いているから嫌になるんだな。これじゃあ気分転換にならん」
 そう呟いたロイの脳裏にハボックの顔が浮かぶ。確か今日は一日瓦礫の撤去作業だったはずと思えば、自然と足がそちらへと向かった。
 照りつける陽射しの中歩いていけば遠くに建物の残骸とその近くで動き回る青い軍服が見えてくる。ロイはうっすらと笑みを浮かべると汗だくで動き回る男たちの方に近づいていった。
「ご苦労だな、ハボック」
 見慣れた金髪に向かってそう声をかければ部下の一人に指示を与えていたハボックが振り向く。驚きに見開かれる空色の瞳がなんだか嬉しくて、ロイはにっこりと笑った。
「アンタ、何しに来たんスか?」
 だが、うきうきと楽しいロイの気持ちとは裏腹に思い切り嫌そうな声でハボックが言う。そんなハボックに不満げに唇を突き出すとロイは言った。
「何しに、とは失礼な奴だな。陣中見舞いに来てやったに決まってるだろう」
「要はサボってきたんですね」
 疑いの余地なくそう言いきるハボックをロイは鼻に皺を寄せて睨む。
「お前、少しは上司の労をねぎらうとか出来んのか?」
「労、って何もしてないじゃないっスか」
「バカいえ、午前中いっぱい書類と格闘してきたんだぞ。コーヒーの一杯も飲まずに」
 ロイはそう言ってからいつもならハボックが適当な頃合いを見計らって息抜きのコーヒーを淹れてくれていたことに気がつく。思わず黙り込むロイをハボックは不思議そうに見つめていたが、ペットボトルを取り出すとロイに差し出した。
「コーヒーじゃないっスけどこれでよければ」
 そう言って差し出されたペットボトルの水が太陽の陽射しを弾いてキラリと光る。
「司令部から歩いてきたんなら暑かったでしょ?」
 そう言って笑う空の色を写す瞳にロイは何故だか目眩がした。それでもそんなことはおくびにも出さずロイは差し出されたボトルを受け取る。半分ほども飲まれたそれのキャップを開けると瞬く間に飲み干してしまった。
「すまん、全部飲んでしまった」
「構いませんよ、まだ持ってますから」
 ハボックは肩を竦めて笑いながら言う。
「ここ、暑いばかりでいたっていいことないっスよ。サボるんなら司令部帰った方がいいです」
「そうだな。その方がよっぽどゆっくりサボれそうだ」
 ロイがそう言えばハボックが苦笑した。
「中尉が爆発しない程度にしておいてくださいよ。今日はオレがいないんだから」
 それだけ言って「じゃあ」と作業に戻っていくハボックをロイはじっと見つめる。それからまるで違う種類のミネラルウォーターがだったのではと思えるほど甘い水が入っていたボトルを握り締めると、ハボックたちに背を向け司令部へと帰っていった。



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