いつか帰る場所であるように  第五章


「殺してやる、か。そいつはまた穏やかでない言葉だな」
 なるべく深刻そうに聞こえないよう気をつけて、ロイは言葉を発する。あえてそれ以上尋ねる言葉は口にせずハボックの言葉を待てば、ハボックはそっと息を吐いて言った。
「両親の仇なんです、その男」
「仇?お前の両親は殺されたのか?」
 驚きに目を見開いて尋ねるロイにハボックが苦く笑って視線を落とす。
「なにか……理由が?」
 聞き辛そうにロイがそう口にした途端、ハボックは弾かれたようにロイを見て言った。
「理由?そんなものある訳ないっ!父さんも母さんも悪い事なんてなにもしてなかった。それなのに殺されたんス、アメストリスの軍人に…ッ!!」
 憎しみを露わにして声を荒げるハボックをロイは信じられないものを見るようにして見つめる。たとえ戦いの中にあってさえ、こんな風にハボックが誰かに対して憎しみをぶつけるのを見たことなどなかった。
「ハボック」
 窘めるようにそう名を呼べばハボックがハッとした顔をする。慌てて視線を逸らすと言った。
「すんません、怒鳴ったりして…」
「別に構わんさ、気にするな」
 苦笑混じりにそう言うロイに視線を戻すとハボックも困ったように笑う。手にしたコーヒーのカップを弄りながら言った。
「すみません、この事ではちょっと苛々してて…。資料調べても全然判んないし、ブレダにはもう諦めろって言われるし…」
「ハボック」
「でも、諦めるなんて出来ない…っ、だって父さんと母さんは殺されたんだッ!!あの男に、父さんと母さんは…ッッ!!」
 ハボックの怒りの激しさを表すように手にしたカップの中のコーヒーが波立ち、ハボックの手を汚す。ロイは立ち上がるとハボックの隣に席を移し、コーヒーに汚れた手をそっと握った。
「おちつけ、ハボック」
 そう言って握り締めてくる手の温かさにハボックはロイを見る。キュッと唇を噛んで言った。
「すみません、オレ…ッ」
「構わん。私の方こそ無遠慮に聞き過ぎた」
 悪かったと謝るロイにハボックは首を振る。小さくため息をついて言った。
「疲れてんのかな……」
 消え入りそうな声でそう呟くと目を閉じる。隣にある温もりに引き寄せられるようにコツンと頭を預けた。
「父さん…母さん…」
 唇の動きだけでそう言ったハボックはいつしか眠りに落ちていった。

「………ハボック?」
 自分の肩に頭を預けて眠ってしまったハボックをロイは囁くように呼ぶ。だが、返ってくるのが寝息ばかりだと判ると小さくため息をついた。そっと手を伸ばしてハボックの手からコーヒーのカップを取り上げる。それをテーブルに置くと自分のカップに唇を寄せた。
 ハボックにそんな過去があったとは思いもつかなかった。軍に提出された書類ではハボックの両親は揃っていたから気づかなくても仕方ないのだが、それでもロイは気づかなかった自分が何故だか赦せないと感じる。だがそう感じる理由が判らなくて、ロイは大きく息を吐き出すと抱き締めるように金色の頭を引き寄せた。

 自分を包む優しい温かさにハボックはホッとため息を漏らす。無意識にその温もりに擦り寄るように身を寄せた弾みにハッと目を開いたハボックは、自分が擦り寄った相手がロイだと気づくと大慌てで身を起こした。
「うわっ、すんませんっ、オレ…ッ?!」
「ああ、目が覚めたのか」
 片手で本を開いて読んでいたロイは不意に腕の中から逃げ出してしまった温もりに、小さなため息をつく。ついてしまってから自分がため息を漏らしていた事に気づいて苦笑した。
「オレ、もしかして大佐の肩借りて寝てたんスか?」
「疲れてたんだろう、話の途中でいきなり、な」
「げーっ、すんませんーッ!」
 頬を両手で挟んでそう喚いたハボックはラックの上の時計に目をやる。その針がもう殆ど12を指そうとしているのに気づいて慌てて立ち上がった。
「うそっ、もうこんな時間っ?!オレってば何時間寝てたんだ?!」
「かれこれ3時間ばかりじゃないか?」
「起こしてくださいよッ」
「あんまり気持ちよさそうだったからな」
 別に嫌みでなくそう言うロイにハボックは顔を赤らめる。帰らなくちゃとあたふたと立ち上がるハボックにロイは言った。
「もう遅い。泊まっていったらどうだ?」
「えっ?でも」
「どうせ部屋なら余ってるからな。構わんよ」
 そう言って笑みを浮かべるロイにハボックは「はあ」と気の抜けた返事をする。ロイは本をテーブルに置くと立ち上がった。
「そうと決まったらさっさとシャワーを浴びて寝た方がいい。こっちだ、ハボック」
 そう言ってリビングを出ていくロイをハボックは慌てて追いかける。廊下を奥まで進んだ右手の部屋の扉を開けると言った。
「この部屋を使ってくれ。部屋の奥にシャワーがついてる。タオルやバスローブも好きに使ってくれていいから」
「すみません、急に泊まる事になって」
 申し訳なさそうに高い背を丸めるハボックにロイはクスリと笑う。
「気にするな。何か要りようなものがあったら遠慮なく言ってくれ。2階の右奥が私の寝室だから」
 そう言うとロイは「おやすみ」と言って部屋を出ていった。

 宛てがわれた部屋でハボックはとりあえず服を脱ぐとシャワーを浴びる。ちょっと悩んだ末棚にあったバスローブを羽織ると、脱いだ服の皺を伸ばしてハンガーに掛けた。
「あーあ」
 そうしてから大きなため息をついてベッドにボスンと身を投げ出す。頭の下で手を組んで天井を見上げた。
 思いがけず寝込んでしまったことに慌てたせいでその前の事を思い出す暇がなかったが、こうして柔らかいベッドに横たわっているとロイとの会話が思い出される。ハボックは眉間に皺を寄せて呟いた。
「なんで大佐にあんな話をしちゃったんだろう…」
 自分が親の仇を探しているのを知っているのはブレダだけだ。士官学校時代を共に過ごした仲間の中でも両親の話をしてもよいと思ったのはブレダだけだった。それも互いに馬鹿もすれば散々に打ち解けあった末の事だったのに。
「しかも大佐の肩借りて寝ちまうなんて」
 思い出すと恥ずかしくて顔から火が噴きそうな気がする。夢と現の狭間で頬を預けた温もりが優しくて安心出来たのだと気づいて、ハボックは顔を赤らめて眉間の皺を深くした。
「オレってば変なの」
 人の温もりに安心したのは両親を亡くしてから初めてだという事実には気づかぬフリで、ハボックは目を閉じると頭からブランケットを被った。

「…さ、たいさ、起きてくださいってば!」
「んー……後もう少し…」
 頭上から降ってくる声にロイは唸るとブランケットに潜り込む。そうすれば呆れたようなため息と共に言葉が聞こえた。
「アンタってほんと寝穢いっスね」
 司令部でサボっては隠れ家で昼寝をする度言われる言葉が、朝早く、しかも自宅で聞こえてきた事に驚いて、ロイはガバリと飛び起きる。目の前に大きく見開く空色の瞳が迫ってギョッとして固まるロイにハボックが言った。
「あ、起きた」
「え?ハボック?」
「朝飯の用意出来てますから。さっさと降りてきてくださいね」
 ハボックはそれだけ言ってさっさと部屋から出ていってしまう。その背を呆然と見送ったロイはがっくりと体の力を抜いた。
「そうだ、夕べ泊めたんだった…」
 昨夜、食事をした後寝入ってしまったハボックを、もう遅いからと泊めた事を思い出してロイは仰向けにベッドに倒れ込む。そうすれば目の前に迫った空色を思い出してドキリと心臓が跳ねた。
「…………どういうことだ、これは」
 何故、ハボックの瞳を思い出してドキドキする必要があるのだろう。
「寝起きだからだな、きっと」
 理由にならない理由を呟いて、ロイは勢いよく飛び起きると洗面所に飛び込み冷たい水を顔に掛けた。

 手早く身支度を済ませて階下に降りればコーヒーのいい香りがしてくる。自然と笑みを浮かべてダイニングへと入ればテーブルの上では朝食が湯気を上げてロイを待っていた。
「遅いっスよ、大佐。冷めちまうっしょ」
 さして待たせてはいない筈にもかかわらず唇を尖らせるハボックの、その唇をピンッと指で弾いてやれば空色の瞳が驚きと痛みに見開かれる。その様を楽しげに見ながら席につくとロイは言った。
「朝飯まで作ったのか、ご苦労だったな」
「泊めて貰っちゃいましたから、そのお礼。って言っても食材は大佐んちにあった奴っスけど」
 そう言って笑うハボックに笑い返してロイはジュースのグラスに手を伸ばす。一口飲んで乾いた喉を潤すとフォークを手に取った。
「いただきます」
 と、食べ始めればハボックも同じように食べ始める。朝の柔らかな空気の中、たわいもない話を交わしながら口にするその日最初の食事が思いがけず互いを満たしていることに、ロイもハボックもまだ気づいていなかった。



→ 第六章
第四章 ←